自殺への方程式、死のサインを見逃すな。 | プールサイドの人魚姫
年間3万人を超す自殺者を抱える経済大国日本。数字の多さが如何に現代人の心を闇の奥底に引き摺り込んでいるかが良く分かる。先日、北海道で小6少女の首吊り自殺が明らかになった。残された遺書から察するに多くの苛めが背後にあったものと思われる。しかし、市教委はそれを認めようとせず、ただ頭を下げるに留まった。遺書の内容が一般公開した時、それを読んで実に痛ましい事実があったのだと心が痛むと同時に悲しみより、怒りがこみ上げて来た。死を望む者からは必ず何らかのSOSとも言えるサインが出ているもの。普段より無口になったり、笑顔をみせなくなったり、人を避け独りになりたがる傾向が増えたりする。子どもとなればもし一人も友達がいないのなら不信感を抱いて当然ではないだろうか。苛めはどんな世界にもあり、無くす事は非常に困難である。各自治対が自殺防止に力を入れていても、自殺者は一向に減る気配を見せない。苛める子どもが悪いのではなく、大人が悪いのである。教師であり、親であり、子どもを取り巻く環境。教育も家庭も全てが子どもを守らなければならない筈。私は小学生の時苛められっ子として育った。家は貧しく着る服も余りなかったので、同じ服を一ヶ月毎日着て行った。ある日クラスメートが「なんか臭い」と言い出した。生徒達の視線が私に注がれる。「神戸君よーお前臭い」みんなから「臭い」「汚い」「乞食」と馬鹿にされ始めた。隣同士の女子生徒の肩に私の服が触れた時、その子は自分の肩に息を吹きかけながら、手で埃でも払うかのような仕草をした。この時の惨めな気持ちは今でも忘れないし、その子の顔もしっかり覚えている。クラスには苛めグループがおり、権力を握っていた。私は苛めのターゲットだった。ある昼休み、体育館の裏に呼び出され、着いて行くと、いつものメンバーが5人待っていた。行き成り私を羽交い絞めにし、体を壁に押し付けられ、全く身動き出来なくなった。苛めのボスが私のズボンを引き摺り降ろし、「パンツ汚ねー、臭い」と言いながら全員が大笑いしていた。静まり返った昼休みに5人の子ども達の楽しそうな笑い声だけが響いていた。私は涙を堪え、午後の授業に参加した。5人は何事もなかったかのように先生の授業を受けていた。先生につげ口するとそのお返しが恐かった。しかし私は勇気を振り絞って彼らに挑戦した。やくざな父に教えられた通りの事を実行した。午前中の中休みの時を見計らって、メンバーの一人に喧嘩を仕掛けたのである。父は「やられる前にやっちまえ」と教えてくれたのである。私の握り拳が一発相手の鼻を砕くように飛んだ。鼻を押さえながら倒れこんだ相手の手が、見る見る内に鮮血に染まった。この喧嘩で私を悪く言うクラスメートは一人もいなかった。それ以来私を苛める者はいなくなったのである。最も卑怯なのは傍観者でいる事。多忙だからと言う言い訳は通じないし、忙しいのはよいが、心まで無くしてしまっては何にもならないのである。子どもの発するサインを読み取れる大人になりたいものだ。

