水郷と北浦へ(北浦空跡) | 新・発動機とともに

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6.6.11 (火)☀ 29℃


日中は夏の陽射しです。

停まると暑い…💦


到着しました。
平日ですが、それなりに観光客が来てます。
主は👴さま、👵さまです。

名曲が流れています。
「いたこの〜い〜たろ〜♪」
暑いので、三度笠でも被りたいところ。

地元では「サッパ舟」と言うそうですが、何で「サッパ」なのか分かりません。
かって、近郊一帯は道路の代わりに縦横の水路で結ばれ、生活には欠かせない移動手段だったそうです。
「水郷」は水の郷と読めます。

櫓を漕いでいるのは、👩さんか👵さんか不明ですが、取り敢えずは「娘船頭さん」です。


まだ余り咲いていません。
いや、終わったのかな?
ど〜も今週末で終わって、また来年のようです。
満開は過ぎたのね。

アヤメに菖蒲、カキツバタ…
その違いは全くワカリマセン?

観光舟ですが、それなりの風情を感じます。
櫓を漕ぐのは難しそうだな。

この地の方は、とても親切ですね。
中年の御婦人二人に、ある場所を訪ねたところ、📱で懸命に探してくれました。
「いえ、いえ、そこまでは…大丈夫ですので…はい…」
と言っても📱検索は止まず。

自分の📱で探しますとは、とても言えない雰囲気となりまして、横着をしておりました。

アリガタヤ。m(__)m

そんなんで到着しました。↓

でも、🏍で走っていると、ママ👩さん達のダッシュ!なるものに何度か遭遇しましたわ。
危ない。

さて、昼飯にします。
前回食べた🐷カツ屋も捨て難いのですが・・・
中○脂○がねぇ〜〜〜?

でも、本日は暑さに負けないために、「す○屋の🐮丼」にしました。
🐷カツに比べると、ヘルシ〜とは思うのですが、食べ過ぎかもね。
紅生姜が美味い。

水郷を後にして、街道を北上します。
鹿島神宮まで5km地点の「神宮橋」を見て、北浦湖畔を西進します。
南北に細長い「北浦」も「霞ケ浦」の一部だそうで、出口で繋がっています。

通常、「霞ケ浦」と呼ばれているのは、別名、「西浦」と「東浦」のことですが、「北浦」もそうだったのね。

湖ならば「霞ケ浦湖」でも良さそうですが、「浦」の文字は昔の海の名残りなんでしょうね。多分…

戦後に出来た鉄橋…
🚃🚃🚃は水戸へと続きます。
対岸は⚽の鹿島です。
湖畔を走ると、北浦は結構な大きさです。
湖畔の風は涼しい。
海からの東風で、入江には白波が立ってました。

第2目的地に到着しました。
以前、二回ほど訪ねたことがあります。
前回のイメ〜ジと少し違って、🚤🛥用に整備されています。

このスロ〜プは、昔の水上機の滑走台です。


北浦空跡…
少しややこしくなります。
水上機の練習航空隊(後に実戦航空隊)であった「鹿島空」の北浦分遣隊から独立したのが、地名と同じ「北浦空」です。

「鹿島空」は鹿島の地ではなく、予科練で有名な霞ケ浦湖畔「土浦空」から、少し東に離れた湖畔に在りました。
鹿島空⇒霞ケ浦(西浦)
北浦空⇒北浦西岸

碑文…
令和になってから、建立されてました。
鈍足の下駄履機まで、悲しき史実です。

昨今のお国や🚔幹部のゴタゴタは、一体何なのでしょうか。

先の大戦の記憶が遠くなれば、再び同じ道を歩む可能性、無きにしもあらず。
この文字を連中に読ませてあげたいものです。
国の針路を誤らないようにね。

もう一つには「同期の桜」の歌詞が刻まれています。
ご出身の方々なんでしょうね。


「鹿島空」の2箇所の大きな滑走台跡に比べると、かなり小さな感じがします。
もっと大きかったような…?
付近一帯は、今や学校や農地となっており、当時の面影が強く残るのは滑走台ぐらいか。

話しは変わり、昭和30年代の全国の🚂路線図が手元にあります。
昔の飛行場跡は、大概が近くに鉄道が通ってました。

本線から分岐した専用支線、軽便鉄道、或いは私鉄もあります。

航空燃料や資機材、人員輸送に適したのでしょう。

道路が整備されたのは、戦後も暫く経ってからです。


しかし・・・
当時の「鹿島空」と「北浦空」には、鉄道が通っていません。
近くの「神丿池空」も同じく。

近辺に在る「百里ヶ原空」と「鉾田陸軍飛行場」には、常磐線から分かれる「鹿島参宮鉄道」と言うのが読めて、鉄路の輸送が想像出来ます。

土浦の港から、霞ケ浦を小さな油槽船で運んだのかなぁ〜?
墨田川のように。

さて、高速ワ〜プで帰還しましょう。
暑い一日でした。