「ふなばし」…歩け歩け!歩いた⤵ | 新・発動機とともに

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6.4.20 (土)🌤 25℃


行楽シ〜ズンとなり、人気の場所はどこも渋滞と混雑が待っています。

本日は🦶の鍛錬を兼ねて、小さな遠足でした。

痛くても動かさないと、やがては過放電の蓄電池と同じになります。

「今が大切なのよ!」…と

自分に言い聞かせます。

横着せずに歩きましょうね。


渋滞を避けるため、少し手前の駅に🚙を停めて🚃に乗換えます。

上り下りが辛いこと。

お年寄りの気持ちが、よく分かりますわ。


さて、行進開始!

今や人口64万人の街、調べてみると昭和16年には5万6千人、戦後、町村の大合併で増えたとしても当時の10倍以上です。


地名発祥の地 ↓

明治5年は住戸が100件、住民800名程の漁村でした。

お江戸の時代、房総半島の各地へと、主な街道が枝分かれをした場所でした。
反対に百万都市のお江戸へと、大量の消費材を舟で海上輸送した物流の拠点でもありました。

天下泰平、豊かになった江戸庶民は、物見遊山の旅に出ます。
移動手段は徒歩や舟で、一日目の旅籠がこの辺となります。

その逆バ〜ジョンもあり、山奥から出て来たオッサンが「ここがお江戸か・・・」と勘違いする方も居たそうな。

そんな雰囲気が、少しだけ残っています。


この辺りでは有名なお社、初めて参拝します。↓
標高25米の高台に鎮座し、江戸湾は直ぐ前でした。
ふむ…
海に向って⛩、この辺の地名は海神(カイジン)です。

まぁ〜立派なお社ですわ。


日清、日露の碑


拝殿、本殿前の門で参拝です。

中に入る事は出来ません。

鎮座してから1,900年余とか…

2024―1900=124
想像がつかず…?

戊辰戦争の局地戦が、このお社であったそうです。
一段高い場所に位置する建物は、明治の始めまで使用された、私設の灯明台(灯台)です。
文化財につき接近不能でした。


転戦します。
🚃で二駅、到着です。
再び行進開始!

昨今、色々と話題沸騰中ですが、一番最初の日米⚾の時、この地で合宿をしたそうな…


目的地着…
おぉ〜ガラ空きですわ! 


そうか・・・
そうだったのね・・・
↑咲いていたのはこれだけ。
他は全く咲いてませんわ💧

暖かな日が続くので、勘違いをしておりました。
サ〜チ不足です。
🌹の季節は来月だった⤵

入園者、只今3組のみ
今日は鍛錬が主目的なので、まぁ〜静かでヨロシイ!

咲いていたら綺麗だろうなぁ〜
かって、この一帯は東京湾に面しており、戦前から続く大遊園地でした。
幼少の頃、遠足や潮干狩りに来た事を思い出しますわ。
「谷津遊園…」

昭和の60年頃まで、大観覧車や日本初の回転コ〜スタ〜、その他に何でもありで、沢山の人で賑わいました。

干満差のある遠浅の海は、何時しか埋立られ、工場や大規模な団地となりました。
その一角に、当時の干潟の一部が残されています。
対岸の陸地も一昔前は海でした。
よく分かりませんが、ラムサ〜ル条約とかに指定され、一部が海と繋がった40haの干潟が残っています。

潮の香りがします。
色々な渡り🦆が飛来し、干潟は餌が豊富なんでしょうね。
真下で小魚が泳いでいます。

最初に歩いたお社の街、駅北側の郊外には「生田」(ギョウダ)と言う地名があります。

本日は時間切れにつき、行けませんでした。


「船橋無線送信所」跡…

当時の施設に沿った、直径800米の円周路だけが、今も道路となって残っています。


大正4年、当初は高さ200米の主塔、60米の副塔18本、多数のアンテナ線で開設されました。


昭和16年に更新され、高さ182米の主塔6基の大鉄塔が建ちました。

東京🗼が出来る前の時代です。


戦後は進駐軍に接収され、昭和41年に返還されて、跡地は公園と大規模な団地となりました。


有名な「ニイタカ電」を送信したのはこの場所です。

長門⇒呉鎮⇒軍令部・赤レンガ⇒船橋の🗼⇒南雲艦隊や各地へ電波が飛びました。


艦隊旗艦や陸上の司令部、各国への通信等々、主は短波や中波で、長波の時代は過去となり、少ないとも言われます。

サブマリンへは超長波…

水中の浅い場所にも届きますが、その効果は分かりません。


「見えない戦い」とでも言えばよいのか。


もう一つ、北多摩には有名な「大和田通信隊」が有りました。名称は地名からです。

微弱な電波も逃さず、外交、軍事等々の各種の通信を傍受してました。

戦略単位から戦術まで、司令部や艦隊、航空機が使用している符号、周波数、頻度、分析、規則性、暗号、時には偽電やらと、日米双方が同じ様なことを行っています。

当然に現地の艦隊、陸上の司令部でも、同様に敵信の傍受は重要でした。


超短波は遠方へは飛ばず、艦隊内の短距離であれば、艦内電話として使えますが、合戦前では難しいところなんでしょうね。

万に一つがあり得ます。


電波の速さは、1秒間で地球を何周かします。

電波を発して、相手側が2箇所で受信すれば、その延長の交点が発信位置と直ぐに判明します。


ハワイをぐるりと囲んだ、サブマリンは、定時通信による超長波や短波を受信して、僚艦の位置や全体の動きが手に取るように分かっていたはず。



空にそびえる鉄塔は目立ちますが、不思議と空襲の被害を受けませんでした。
何故に…

既に暗号は解読しており、使わせた方が有利で、進駐軍は終戦後の接収を見据えていたのでしょうか・・・
そして「ポツダム電」の受信

佐世保には、今でも高さ130米の鉄塔3基が、国重文となって残っているそうですが、一度は見に行きたいものです。


「船橋送信所」の跡地には、円周の道路が残っているだけで、今は家々の平和な灯に包まれています。