ツクバサン 宜候 | 新・発動機とともに

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2.7.24 (金) ☁️ 28℃

本来ならば、今頃は五輪で賑わっていたことと思います。

未だに「来年こそは必ずやります!」
嗚呼・・・駄目だこりゃ⤵️⤵️

民の声が聞こえないのか、それとも頑固なのか、類は類を呼ぶのか、嫁に頭が上がらずか、はたまたご病気なのか?

「お抱えの専門家の意見を聞いて云々…」あたくしでも言える言葉です。

疲弊した状況が見えて無いようです。
「も~~~~~止めましょうや!」
もはや、攻勢限界点ですぞ。

「ゴ~トゥ~ きゃんぺ~ん」とか意味不明の英文も、厳しい状況は解りますが、見切り発車も何だかねぇ~
昔、英語の時間に「イエス・アイ・ど~~!」と言った奴がおりました。
本人は至って真面目な顔で、先生が唖然としたのを想いだします。
教える方も大変です。

本日は密を避け、ツクバサン ヨ~ソロ~です。👉
時々ポツリと🌧️になります。

「ぱ~ぷるらいん💜」を上ります。
かっての事故多発につき、未だに🏍️は進入🈲ですが、何とまぁ~数台の🏍️とすれ違いました。(;゚Д゚)

万葉の時代から、この名山は別名を紫峰とか紫山と呼ばれているので、💜の名称も妙に納得します。
あたくし、万葉集なんぞは全く解りませんが・・・そのようです。
昔から西の🗻、東の筑波となっております。

この道も随分と傷んでますねぇ~
両脇は草が繁り、お手入れは殆ど無しの状態でした。
途中には🅿️が、もっと在ったような記憶があります。 閉鎖されたのかな?
観光資源として、少し勿体ない感じがします。

上り下りの対抗車線は、イケイケの🚗が多く少々危険を感じました。

艦爆みたい。
「降魔の翼」か…

更に上昇中の我が昴号の後方には、何時の間にか、N産号がピタリと追従しております。
危険なので安全な場所で先に行かせます。先方はハザ~ド点灯、アリガトウの意を示しますが、まぁ~お気をつけて下さいませ。

元をただせば、N産は昴と同じ中島の系譜で、翼を失った技術者達は、大きく昴とプリンスに分かれました。
更にプリンスとN産が合体して今日に至ります。ルノ~は列外ですね。

プリンスの技術陣、元はヒコ~キ屋ですから、バリバリの発動機に戦闘機の様な🚗を作ります。
「すかいらいん」です。

そんな事を思い浮かべながら、10分無料のつつじヶ丘の🅿️に到着し、9分後には出発して、今度は裏ツクバの盆地へと降下しました。

🚴‍♂️の方々も多いですねぇ~
よくぞ高度800米まで・・・ノボル?
降下の速度は🏍️や🚗と変わりませぬ。
その根性は凄いと感心します。

盆地に到着ス…
全く密はありませぬ。
人も🚗も少ないなぁ~?
コロリのためかな。
それもそのはず。改装工事で休業中でしたわ。

産直の店に入ります。


小粒の桃が一個100円


特産のピ~ナッツ類も数々あります。
産直は新鮮でお買い得です。

更に南下します。
📺によく出て来そうな風景ですが、楽園かどうかは解りません。
🚗に🚴‍♂️を積んだ方々が沢山おりました。
ここを拠点として、🚴‍♂️で山登りのようです。

廃校した小学校
何となく懐かしい感じがします。

明治7年に開校か・・・
凄いものですね。
当時は交通不便で、素朴な農村の風景だったはず。よくぞ学校を!
一昔前、どこの町や村でも、一番大きく立派な建物は、多分、小学校であったと思います。
中心となったのは、明治以前に産まれた、幕末や維新のオッサン連中でしょうか。まぁ~偉いものですわ。

明治43年に校舎を新築、昭和30年に増築とありました。
地元の方々が総出だったのでは?
昔の小学校は地域が集う場でもあり、町や村の誇りであったような気がします。

雑巾の競争をしたであろう長い廊下…


あたくしが一生懸命、ベ~ゴマを学んだ学舎にも、こんな水道がありましたわ。↓
夏になると、希に赤痢の一人や二人が出ておりましたが・・・
ショ~ワの時代です。

こんな地図もありましたね。


薪を背負って歩きながら・・・
う~ん、あたくしは、そんな器用な真似は出来ませぬ。
当時は美徳でありました。
身を立て名をあげ・・・

しかし、昨今のお国の先生方は、お坊っちゃんばかりなので、庶民の苦労など解らないのでしょうね。多分…

この期に及んでも、庶民感覚からずれた阿保の連鎖が次々と続く訳です。

お土産は新鮮な産直の野菜で、一袋が銀貨1~2枚のお買い得品です。


これも好きなので、2つほど購入す。


夏本番の暑さ対策にお買い上げです。
地元農家のお手製は、ス~パ~とは違って、程好い梅の香りが漂います。