#756  王貞治 | 漂流バカボン

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何か適当なテーマを自分で決めて自分で勝手に述べていこうという、そんなブログです。それだけです。

自分はこのブログを基本的には思いつきで書いていますが、題名にナンバリングを行っている関係で、時々「このテーマはこの番号の時に書こう」と溜めているネタがあります。

 

思い入れのあるテーマをキリ番の時に書いたり、番号と語呂合わせだったり、何かと関連のあるテーマを書いたり・・・。

 

そして実はこのブログを開始した時から、この756回目のテーマは、(その回数まで辿りつくならば)これ、と決めていました。

 

それは、自分のこれまでの人生で最初(で今のところ最後)に居合わせた、世界的偉業に対するリスペクトによるものです。

 

 

その偉業を成し遂げた人物は、1977年9月3日、通算ホームラン世界記録である756号を打った「王貞治」です。

そしてまさにその日、自分は現場である後楽園球場で、その瞬間を目の当たりにしていたのです。

 

 

 

その当時自分は、小学校3年生でした。

 

野球というスポーツを知ってまだ間もない頃であり、当時東京在住だった自分は、「野球といえば巨人」という環境で育ってきました。

 

巨人といえば1970年代前半まではまさに黄金時代で、日本一9連覇という前人未到の「V9」も達成し、王貞治と長嶋茂雄のいわゆる「ON砲」の活躍などで、絶対的王者に君臨していました。

 

但し、自分はその時代には野球に関しての記憶はなく、長嶋の現役時代を自分は知りません。

 

自分が野球を観始めたころの巨人軍の選手といえば、投手は堀内、新浦、西本、小林(後に江川とのトレード騒動で阪神に移籍しました)など、野手は柴田、高田、土井、張本、柳田、末次、河埜などが記憶に残っています。

 

そして長嶋は、背番号をかつての「3」から「90」に替えて、監督を勤めていました。

 

 

そのような巨人軍の中でも、背番号「1」を背負った王貞治は、まさに別格の存在でした。

 

独特の1本足打法から量産されるホームラン、2年連続で輝いた三冠王はまさに打撃の神様の象徴であり、ピンク=レディーのヒット曲「サウスポー」のテーマにもなり、またそのストイックな人間性は、まだ現役選手なのにも関わらず伝記が出版されるほどでした。

 

 

 

この伝記は、自分も子供時代に読んで、大変感銘を受けました。

 

父親が台湾出身で、墨田区(だったかな?)で中華料理屋さんを営んでいたこと。

 

王貞治自身、高校時代は早稲田実業で投手をしており、甲子園大会では指に血豆を作り、それが潰れて血染めのボールを投げながら、痛みに耐えて優勝投手になったこと。

 

巨人に入団し最初の数年ははかばかしい活躍はなかったが、荒川博コーチとの出会いで1本足打法に辿り着き、連日深夜まで二人でのトレーニングが行われていたこと。

 

 

この際のトレーニングでは、真偽は定かではありませんが、真剣を用いた居合い切りを模した素振りも行われ、王貞治が素振りをした部屋の畳はボロボロになった、などのエピソードもありました。

 

自分自身は当時別にチームとしての巨人ファン、ではありませんでしたが、当時東京在住ではテレビでは巨人戦しかほぼ放映されなかった事、そして王貞治のスター性には惹かれており、加えて父親が巨人ファンでもあり、自然と巨人軍中心にプロ野球を観るようになっていました。

 

 

そして47年前の今日。

たまたま父親がこの日の観戦チケットを持っていた事、王貞治が8月31日にその当時の本塁打世界記録保持者、ハンク=アーロンに並ぶ755号を打ってからその後の2試合ほどホームランが出ず足踏みしていた事の2つが重なり、まさに「今日世界記録が出るかもしれない」という日に、後楽園球場の巨人ーヤクルト戦に足を運びました。

 

とはいえ、47年前の記憶ですからそのほとんどが抜け落ちており、例えば球場のどのあたりで見たかなどもきれいさっぱり忘れています。

 

今覚えているのは、とにかく観衆の数がすごかった事、王貞治が756号を打った瞬間からの歓声が、とにかくものすごかった事でした。

 

また、756号自体がライナー性の飛球だったこともあり、子供時代の自分では弾道が追えず、白球がスタンドに入って王貞治が両手を挙げながらゆっくりダイヤモンドを回る姿を見て、初めてホームランを打ったんだ、と分かったこともうっすら覚えています。

 

 

 

それから半世紀近くが経過し、現在の野球界には大谷翔平という「怪物」が世界を股にかけて活躍しています。

 

その能力には本当に驚嘆しますが、しかし自分にとって大谷翔平は、「スター」ではありません。

 

自分にとっての「野球のスター」は、これまでもこれからも、やはり王貞治をおいて、他にいません。