自分が幼稚園から小学校低学年まで住んでいたのは、東京都の近郊、小平市でした。
確かすぐ近くには「津田塾大学」とか「玉川上水」があり、現在はどうかわかりませんが、その当時は周りは畑だらけで、結構のどかな場所でした。
自分の家のすぐ近くには梨畑もあり、その頃そこで遊んだ思い出は、以前にもこのブログ(#514)で触れたことがあります。
自分の家はいわゆる「社宅」で小さな一軒家だったのですが、同じような作りの一軒家が周りに数件ありました。
そしてその中の1件のご近所さんの軒先で、夏になったら実をつける、変な?つる野菜が栽培されていました。
その実は、スイカやメロンほどは大きくないものの、レモンやみかんよりは大きくて、鮮やかな緑色の紡錘形で、ヘチマに近い気がしますが、何と言ってもその特徴は、実の表面に大小のトゲトゲがたくさん生えていた事です。
はい、大体察しはつく事かとは思いますが、その植物というのは、まさに「ゴーヤ」だったのです。
我が家では、そのご近所で栽培している方から、この実を時々お裾分けで頂いていました。
ただ、その時の記憶では、この実は「ゴーヤ」という名前でななく、「にがごり」と呼ばれていました。
そして食卓では、刻んだ「にがごり」を、シンプルにゆがいたか炒めたかの形で提供されていたと思いますが、子供自分の自分にとっては、このにがごりは名前の通りに結構苦く、これまで「苦い食べ物」などほとんど食べた経験のない自分にとっては、それこそ「ピーマン」と双璧をなす、食べたくないものの筆頭でした。
ただ、ピーマンについては親からの「食べなさい」プレッシャーが強かったように覚えていますが、この「にがごり」は最初から「大人の食べ物」として食卓に上がっており、あまり食べることを強要されたという覚えはありません。
そんな「にがごり」の子供時代の思い出ですが、その後自分が成長するうちに忘れていました。
再び自分の前にこの「にがごり」が登場したのは、おそらく自分が成人した後くらいだったと思います。
その際には、にがごりが豆腐や炒り卵、豚肉などとともに炒められ、上からかつお節がかけられており、名前も「にがごり」ではなく「ゴーヤ」と呼ばれていました。
そう、自分のにがごりとの再会は、まさに沖縄料理の代表格「ゴーヤチャンプルー」でした。
成人して食べた「ゴーヤチャンプルー」、それは大変美味しかったです。
まずは子供時代に苦手と感じていた苦味。
確かに感じはしましたが、大人になって食べるとそれほどどぎつい感じもなく、これは自分の成長による味覚の変化なのか、それとも年代が経過し「ゴーヤ」側に苦味を抑える品種改良が加えられたためかはわかりませんが、「まあ苦いといえば苦いけど、さりとて・・・」という印象でした。
そして豆腐や豚肉、炒り卵などと胡麻油で香ばしく炒められ、ご飯のおかずにもなるしビールにも合う料理で、またたく間にお気に入りとなりました。
ただ、沖縄料理ということで、その後しばらくはそれほど食べる機会が多くなかったように思います。
しかし2000年代に入って沖縄ブームなどもあり、自分の地元にも沖縄料理店がちらほら見られるようになりました。
そのため、30代、40代になってからは、沖縄料理を食す機会も格段に増え、また各種の「泡盛」なども頂く機会が出来て、自分の中でも沖縄料理のバリエーションが一気に増えてきました。
「豚足」「ラフテー」「ミミガー」「ジーマーミ豆腐」「沖縄そば」「グルクン」「島もずく」など、多くの沖縄料理との出会いは、常に新鮮でした。
今現在も、自分はお気に入りの沖縄料理店に時々足を運び、オリオンビールや泡盛とともに、「ゴーヤチャンプルー」はもちろん、様々な沖縄料理を頂いています。
その中でも、自分のお気に入りは、まずは「海ぶどう」。
独特のプチブチした食感と、噛んで海ぶどうの粒が潰れると、ほんのりと口の中に広がる海の香り。
これは自分の中では「泡盛」のお供です。
もう一つは「島らっきょう」。
こちらは塩漬けもいいですし、天ぷらにしても美味しいですが、自分はそのままを少し味噌につけて食べるのが好きです。
こちらには「オリオンビール」を合わせたく思います。
実は自分はこれまで、国内の都道府県のうち、出張や旅行などで、46の都道府県には行った経験があります。
ただ、今に至るまで唯一足を踏み入れたことのない県が、まさにこの「沖縄」なのです。
今後の自分の夢の一つが、いつかこの沖縄県を訪れ、沖縄料理を心ゆくまで堪能したいというものです。
その際は本場の「ゴーヤ」、いや、自分にとっては子供時代から親しんだ名称の「にがごり」を、チャンプルーだけではなく、色々な食べ方で味わってみたいなあ、と思っています。