#429 柏原芳恵 | 漂流バカボン

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柏原芳恵のデビューは、1980年。

当初は、「柏原よしえ」と名前がひらがな表記でしたが、デビューからしばらくはヒットに恵まれず、最初のヒット曲は、7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」でした。

この曲は実はアグネス・チャンのシングルB面のカバーなのですが、確かにちょっとレトロなアイドル歌謡です。

柏原芳恵がこの曲をヒットさせた時、まだ16歳になったばかりでしたが、雰囲気が大人びており、もっと年上に見えたものです。

この曲が流行った頃は、まだ自分も中学1年で、まだアイドルに熱中する時期でもなく、柏原芳恵の事も、アイドルというよりお姉様歌手という感じで見ていました。

ちょうどこの頃は、松田聖子がアイドルとして勢いに乗ってきた時期でしたが、松田聖子の方が柏原芳恵より3歳ほど年上でした。
にもかかわらず、柏原芳恵の方が、雰囲気も、立ち居振る舞いも、遥かに大人びて見えました。

柏原芳恵の歌う曲は、アイドルソングというよりは、しっとりと歌い上げるものが多く、結構名曲揃いです。
曲調としてはアップテンポのノリの良い曲は少なく、バラード系が多かったように思います。

そんな中から、柏原芳恵の代表曲を3曲紹介します。
いずれも、当時のニューミュージック界の大御所から提供された楽曲です。




・「春なのに」



これは、卒業式の定番ソングにもなった、柏原芳恵最大のヒット曲の一つです。
作詞作曲は、中島みゆき。

中島みゆき提供の曲を歌うアイドル歌手としては、多くの人は工藤静香の名前を挙げるかもしれません。
しかし、柏原芳恵は、この他にも、「カム・フラージュ」「最愛」「ロンリー・カナリア」という中島みゆきの手によるシングルをリリースしています。

この曲は1983年1月のリリースですが、やがて来るアイドルによる卒業ソングラッシュの幕開けになった曲と言えましょう。
それまでは、海援隊の「贈る言葉」という曲はありましたが、卒業と共に思いを寄せた人と離れ離れになってしまう悲しさや寂しさを、女性の視点から歌った曲はあまりありませんでした。

♪春なのに お別れですか
 春なのに 涙がこぼれます
 春なのに 春なのに
 ため息また一つ

・・・という有名なサビの部分の情感は、言っては悪いですが、松田聖子では出せないな、と思います。







・「花梨」



この曲は、谷村新司の手による曲です。
谷村新司のアイドルへの提供曲と言えば、山口百恵の「いい日旅立ち」は群を抜いて有名ですが、それほど多くはありません。

この曲は、「いい日旅立ち」程には有名ではありませんが、東京へ引っ越してしまった幼馴染の男性に、密かに寄せる思いを歌った切ない曲です。

♪花梨 花梨 実らぬ恋
 季節が過ぎてもただ香るだけ
 花梨 花梨 いつになれば
 白い薔薇になれるのかしら


最近でこそ、「花梨」はのど飴の原料にも使われて、皆に知られた植物になりましたが、この当時
、自分はこの曲で、初めて花梨という植物を知りました。

今も、街や公園などで花梨の実を時々見かけると、頭の中でこの曲が自動的に再生されてしまいます。







・「タイニー・メモリー」



この曲は、松山千春作詞作曲。
松山千春も、滅多にアイドルに曲を提供することのないアーティストです。

この曲は、松山千春自身も後にセルフカバーで歌っています。
相手を愛しすぎたがために、相手が重荷に思わないように自分は身を引くという、これまた切ない内容の曲です。

♪貴方に 嫌われるのは
 何より 哀しい事
 さよなら 私だけの
 貴方に するために

この3曲に共通するのは、柏原芳恵の歌う、少し古風で控えめな女性像です。

柏原芳恵自体はまだ16歳か17歳そこそこでしたが、80年代アイドルというよりも、一世代前の昭和アイドル、例えば清水由貴子とか石川ひとみなどに近い立ち位置だったように思います。

今はあまりテレビでお見かけすることはありませんが、ネットで見る限りでは、歌手としてのお仕事も続けておられるようです。