最近の私は、この場で自己内観&分析をする事により、最近では、何か感情が起こった時に、自分自身を天から見るように、客観的に観察できるようになってきました。

 

自分を受け入れ、自分を愛し、自分に優しく、他人に優しく、そうなれるように毎日がんばってます。

なぜなら、それが私の決意だからです。

このまま残りの人生を、メンヘラとして生きたくない。

 

幸せな恋愛・結婚を阻む私の中の何かを、でっかいニキビを

 

プチィ!!!! ブシャー(血と膿が噴き出る音)

 

と潰すように、毒を見つけ、毒を出して、晴れやかな心で幸せな人生を謳歌したい!!!

 

そんな願いから、この吐き出しブログを、自分1人しか読まない前提で、始めたのです。

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・・・さて、前回のお話では、

「子供には絶対にプレイさせたくない!底辺すぎる人生ゲーム」としてあたいの人生をリプレイしてみつつ、

 

「せっかく親が大事に育ててくれ、大金を払って素晴らしい教育を受けさせてくれたのに、私自身のバカさと怠惰さのせいで1ミリも人生に活かせず、底辺すぎる仕事しかしないで生きてしまった。」という事実が、私の人生に大きな「罪悪感」として影を落としているという事に気づきました。

 

では、これらの仕事では実際にどのような事をしていたのでしょうか!?さあて、振り返ってみたいと思います。

 

1)学生時代に海外旅行で使い過ぎてカード破産しそうになり慌てて始めた水商売バイト

ちなみに、1番最初に伊豆下田で体験した水商売バイトは、私の黒歴史シリーズにて語っていますのでお暇な方はこちらを、読んでも読まなくてもどっちでもいいです→

 

 

 

今回の水商売は、とってもまともな水商売でした。

同じマンションに住んでいた、大学の同級生(2浪していたので2つ年上)Mさんが、「お金稼ぎたいなら私がやってるとこでバイトしない?お客さんは大手企業のサラリーマンばかりで安心だよ。」と言われて始めた、神奈川県藤沢市の某高級クラブ。

藤沢には、チャラいキャバクラなども沢山あったが、私が勤務先としたのは、自称高級クラブ。ママはいつも素敵な和服で、客層はほぼ、近くのM下電器の接待利用。だからお客さんの質も良いと聞いて。

 

週2‐3回のバイトをしながら、この時代の水商売あるあるで、「別れても好きな人」のデュエットが歌えるようになったり、おじさまが好きそうな昔の曲を歌えるようになったりと成長し、おじさまを褒めるトークも身に付け、無難に接客を努め、某有名大学の学生という事で真面目さをアピールしながらしっかり稼ぎ、無事にカードの支払いを家賃を払う事ができました。

 

そして少し余分にお金を貯めたら辞めて、また海外旅行へ。そしてまた貧乏になりこの高級クラブのドアを叩く・・

この繰り返しで学生時代の半分くらいは過ぎていきました。ママ、お世話になりました。

 

ま、こうして見てみても、この辺までは、そんなに悪くないネ!!

 

さて、そうこうしている間にも人生は進んでゆき、大学を無事に卒業すますた。。

(何度も言うが、どうやって卒業できたのかは記憶無し)

 

こないだも言ったが、有名大学に在籍していた事もあり、周りのみんなはかなり輝きながらキラキラ就職をして行ったのだが、私はそんなこんなで学校もサボりまくりの底辺学生だったので、最後の最後に、コンビニの入り口に置いてある無料の地元求人誌に載っていた、自宅から1駅という近さの企業に、とりあえず応募。理由は「家から近いから。」&「なんとなく、自分にもできそうだから。」←バカ学生丸出し・・

 

職業は

「ダイエットカウンセラー。(学歴・経験不問!お気軽にご応募下さい!)」

 

・・嗚呼・・中学生の頃、神童と呼ばれた私よ、いずこへ・・

 

しかし、とにかく何でもいいから、就職しなければ生きていけない!私は大張り切りでこの面接に挑んだ。結果は、モチ、即採用。

 

さあ、私の社会人生活が、始まるよ~! 

 

毎日、紺色の昭和最前線のOLっぽい制服を着て、朝のお仕事は先輩たちのお茶を入れる事から行う仕事内容は、「雑誌に挟まっているダイエットの無料モニター応募ハガキで応募してきたモニター希望者にかたっぱしから電話をかけ、自社健康食品を使ったダイエットの1週間の無料体験に勧誘→気に入ったら最後は、健康食品の組み合わせでコースを決めクロージングを掛けて継続提案セールス(約30万~100万円)」

という、昭和の時代にはよくあった、電話勧誘からの健康食品セールスでした。

 

ここでは、65歳ですがバリバリ現役の、パープルのアイ・シャドウに赤の口紅&クレオパトラみたいな髪型の「部長」がいて、部長が、この会社の創立当初からの経験を重ねて編み出した黄金のセールストークというものがあり、そのトークに自分の感情を載せてしゃべる事でダイエット無料体験のカウンセラーが立派に勤まるというシステムなのでした(たから経験不問)。

人によっては超棒読みの子もいたけど、私はそういうの得意だったから面白おかしく色を付けて話して、結構売上が出ました。

 

私のお客さんにはいろんな方がいましたが、中でも記憶に残っているのは私のカウンセリングを始めてから、120㎏→100㎏になって人生変わったという方(100万円コースお買い上げ)

80㎏→88㎏と、始めた時より増えてしまった方もいました。クレームが来て怒っていた彼女に、クレオパトラ部長が入って話をよくよく聞いてみると、彼女は私が食事指導で「納豆は脂肪を燃焼してくれるので積極的に食べましょう」と言ったら、「納豆ごはんを1日に8杯位食べていた」事が判明。納豆だけでなく米、食べ過ぎればそりゃ、太るわ・・

50㎏→48㎏と、もともと太ってないのに始めちゃった学生さんは、「結果が出ない」とクレームになったが、部長が入ってもみ消した→この辺から私の中に疑問が湧き始める

 

そんなこんなで私自身は持ち前のノリで売上も良く、私は新人賞などもいただきつつ、約1年働くが、だんだんと、高額商品の押し売りと言われクレームが来たり、親や夫からのクレーム電話が来たり、親にも友人にも仕事内容に関して嘘を付いているという現実に心が負担を感じて来て、仕事が嫌になって来た私は、出勤するのが嫌で嫌で、ついに退職する事を決意。

 

ここから怒涛の貧乏生活始まる。

 

貧乏過ぎて、当時の彼氏が一緒に住みたいと言ってきたのを「家賃光熱費半分にできるぜ」と思って気軽にOK。しかし、結局それでも家賃払えず。

 

そこで始めたのが、「試食販売のバイト」 ―そう、スーパーなどで時々やってる、三角巾かぶったおばちゃんがやってるアレよ! 

これ、みなさんが思うよりかなりハードコアなお仕事。

 

まず登録が終わると、トレーニングがあります。トレーニングでは、めちゃくそ声がでかいお姉さんが(トレーナーという)

 

「ハイ、では言ってみて下さい、いらっしゃいませ~~~え!!!!

いかがですか~~~あ!!!!!」(あまりにも突然なので大概の人は最初、ビクゥ!!とする)

そして、次に担当して売る食品について軽く勉強したら(プリント1枚読むだけ)、すぐに現場への地図を渡され、終了。

 

そう、試食販売は、販売道具(看板など)を持って、1人で、知らない町に、電車に乗り、路線バスに乗り、時には30分歩いて、めっちゃローカルな町のローカルなお店に、えっちらおっちら遠征に行く。

三角巾を締めた私は、見ず知らずの町で、見ず知らずの人相手に声を張り上げる・・

 

「い・・・いらっしゃいませ~」 

 

しかしビクビクしていると売上は一切上がらない。ちなみにこれ、売上も全て派遣会社に管理されていて、成績が悪いと次の仕事がもらえないし、ズルとかしたら絶対バレる仕組みになっている。

 

ある時私は、ワインとチーズの組み合わせを販売する事になった。

「いらっしゃいませ~・・(ビクビク)」

しかし昼間のスーパーでは中々、周りの目を気にして、奥様達も試飲をしたがらない(本当は飲みたいだろうに)。時々来るのはホームレスちっくなおっさんのみ(しかも何回も来る)。

 

くっそ~・・どうしたら売れるのか・・

 

そこで私は!ごそごそと何かを取るフリをしながら看板の裏にしゃがみ、販売用のワインをグビっと一気!(笑)

 

ちょっと酒が入った私は・・恥ずかしさも無くなり、そこからノリノリに!!「いらっしゃいませ~!!いかがですか~!?」・・酔いがさめてきたらまたしゃがんでグビリと。

 

元気いっぱいの販売員となった私は、なんとその日売上ベスト記録を作り、派遣会社に褒められました!もちろんあの事は絶対にヒミツ。

 

・・そんなこんなでこれまた持ち前のノリで販売成績も良く、試食販売でなんとか食いつないできた私ですが、これまた本当~に仕事が嫌になって来て、これ今でも悪夢で見るほど。見ず知らずの町に出かけ、見ず知らずの人に話しかける・・これって普通~にかなりの精神的苦行。それで、もう仕事に行けなくなり、次の仕事を探す事に。

 

ここで、ひと夏だけ、大学時代の親友と一緒に、海辺の小さな商店街で自作のタコス屋を自分のビジネスとしてやるという楽しい出来事が♪(たまたま、バーとして使っている飲食店舗を昼間使っていいよというオーナーの好意で)自分たちでメニューを考え、作り、売り、友達も沢山でき、浮気もし、とても楽しく仕事を頑張ったが、秋口になり、仕事に飽きて来て、やりたくなくなり、ある日サボっていた所をオーナーに見つかり、お店クローズ。

 

(ここまで書いてきて本当に思う。私、飽きっぽいんだね・・)←今更気づいたのかよ!!

 

そしてお次は!私の人生の中でもかなりのビッグな比重を持つ、超ブラックよりのギリグレー企業!経費は全て自分持ちの、路上英会話教材販売会社で、セールスとして働く事になりました。おめでとう!

 

さてさてこちらが、これまた濃いお仕事でんがな。なんと!こちらも、「英会話レッスン無料体験ハガキ」として届いたハガキをそれぞれ何十枚も「これは財産だぞ!!」と言われながらもらい、それにかたっぱしから電話をかけていく。

そして会話をぶっかまして仲良くなり、英語のニーズを引き出し、英会話スクール見学のアポに繋げるのだ!

この時代はほぼ全て家電。たいがい、ばあちゃんが出たり父ちゃんが出たり・・「セールスですか!?いりません!ガチャ!!」と切られたり・・中々本人に繋がらないのだ。かなりの精神力が必要とされる電話セールス。

 

しかしほんと、「無料体験ハガキ」よ・・

 

そしてこれにももちろんトークの順序が決まっており、セリフは全てプリントアウトされている!!!!!

 

しかしこれを棒読みするだけではアポなんて取れるわけもないので、やはり訓練とノリ、人の心を読む心理戦などが必要なのだ。しかし私は、今までやった水商売のバイトなどで培ったコミュニケーション力で、なんとか軌道に!!

 

さらにこの会社では、電話セールスだけでなく、メインの収入源となる「路上直接販売」という飛び道具があるのでした。

それは、「英会話キャンペーン」という旗を立て、書店などの入り口で「どうぞー♡」とハガキを配り、それをあわや受け取ってしまった人を絶対に離さないよう、トークの渦に巻き込み、最終的には即アポとしてそのまま喫茶店などに移動し、セールスを行い(即プレと言う)、うまくいけばその場で契約書書かせる(即オーダーと言う)。

 

そして、一番会社に褒められるし、派手な手法が、「即プレ即オーダー」と呼ばれる、その場でパンフレット説明だけで数十万円の教材&英会話スクールの会員権を契約させる!実際のスクール見学もしないでだよ!!

 

こんな、今では信じられない、コンプラ確実アウトな荒業が通用した時代だったのだ!!

そしてこれが、なんと私が最も得意とするセールス技となるのだった!!

 

今までの経験が自動的に役立ってしまっていた感満載・・ そして、ブラック感満載・・

 

ここでも、私は持ち前のノリと勢いを発揮し、なんと新人賞ゲット!からの、全国売上コンテストで毎回上位入賞を果たす事に!

経費は全て自分持ちな分、1本契約を決めると契約金の40%位が自分の給料となる仕組み。また、四半期ごとの売上コンテストが常に開催されており、コンテストで10位以内に入ると会社持ちで豪華海外旅行に招待され、リゾートホテルに泊まり、毎晩イブニングドレスを来てパーティーに参加する・・

 

という、バブル期の香りがプンプンする、ものすごい待遇を受ける営業成績トップクラスの人と

 

収入が1円も無く、しかし経費は全て自分持ちの為、どんどん貧しさに拍車がかかって辞めていく人、二極化した会社なのでした。

 

さて私は、ブイブイ言わせながら契約を取り続けていました。

衝撃の新人登場!から、常に営業成績トップクラスで、会社のアイドル的存在。3か月に1度は海外に行き、いつも成績トップクラスで、ブランドのバッグを持ち、上下スーツで決めてカツカツ歩く素敵なマネージャーとなった私には、部下が30人ほどいて、毎朝「人生最高~!とにかくポジティブなら結果は出る!みんなもポジティブにがんばろう~!」っていうすっげー単純な体育会系ペップトークをして盛り上げていた。

 

しかし、そんな黄金時代はやはり長くは続かないのだった。

 

ここで1つのエピソードを。それは、ウィンターコンテストの1位を狙って上のマネージャーからガンガン鼓舞&サポートされていた、あと1本~2本ねじ込めば、当時のライバルに勝てるかも!?という大事な時だった。

 

新宿のとあるラブホで、終電も無くなった深夜・・私は1人のお客さんと話していました。「どうしてもこの人に、最低30万のコースでいいから契約書を書かせなきゃ、勝てない!!!」という状況だったので、私は路上販売で会った時に即プレ即オーダーをしたらなんとブラックリストでローンが通らず(この頃、かなりよくあった。そりゃ路上販売ですぐ契約するような輩なんて、たいがいブラックなんよ)しかしその後、「一括払いならイケル!!!」と考えたので、ずっと前からいざって時に使おうと追っていて、私の事を気に入っていると分かっていたお客さん。そんな彼を、友達ぶって飲みに誘い、教材買ってよ~と話し、結果、「ラブホテルに来るなら契約書書いてあげる」と言われて、私は一瞬悩んだ結果、「よし!今まで数々の修羅場をくぐり抜けて来た私だ、こんなブラック野郎1人くらいなんとか切り抜けられる!」と考え、ラブホテルに行ったのだ!

 

そして私は、彼を手で押しのけながら、なんと30万円のコースを無事に一括払いで契約書に印鑑まで押させ(印鑑持って来てねと前もって言ってあった)「絶対翌日に振り込みしてね!振込しなきゃ嫌いになるからね!がんばって英語しゃべれるようになろうね!私応援するからね!」と、反論の余地もないほどの爽やかさとフレンドリーさで言い残し、

 

ぽかーんとする彼をそのままラブホに残して私は契約書を手に、その場を去り、新宿のマンガ喫茶に行って朝まで過ごしたのでした。

 

え、でも、これってやっぱり今思うと、けっこう違法ギリギリなのかな!? いやしかし、彼は同意の上だったし・・きっと彼は今頃、英語ペラペラになって、外国人の女の子をナンパするっていう当時の夢を叶えてるに違いないから、いいとしよう!!(絶対あり得ないけど、無理やり自分に思い込ます)

 

思えばあの頃は毎日、朝9時の電車にダッシュで乗り・・朝ごはん食べる暇無いからカロリーメイトを電車内で食べ・・なんなら時にはマスカラも電車内でコソコソ付け・・

1日中、アポを取るためと契約書を上げるために奔走し・・

 

終電は12:25横浜発。終電を逃さないために駅までダッシュし・・時には終電を逃し、横浜駅東口にある24時間営業の銭湯に泊まり・・もしくは乗った電車が磯子までしか行かないので、磯子からタクシーで藤沢の自宅まで帰宅・・

 

そんな毎日だった。帰宅は毎晩終電。終電から降りた私は、駅前のセブンイレブンで必ず、缶ビール500㎖と、ごぼうサラダを買って帰って食べるのだった・・

 

私生活はこんなにさもしくても、いざオフィスに行けば、輝く成績でみんなが憧れる明るいマネージャーだった私。

3か月に1度は海外に行き、いつも成績トップクラスで、ブランドのバッグを持ち、上下スーツで決めてカツカツ歩く素敵なマネージャーのイメージをキープする為に、契約が取れていなくてその週の収入がゼロ円だったとしても、出勤してみんなの前で成功者としてミーティングをしなければいけない朝、自分のスーツの袖が汚れているのに気づいたらすぐに駅地下のお店に入り「マネキンが来てるスーツもアクセサリーも全て下さい!」と新しいスーツに着替えたりして、どんどん私は借金を重ねていったのだった。

 

売上を上げるために、マルイカードで借金をしてチケットを買い、時には大阪へ、時には札幌へ(新幹線も飛行機も自分持ち)飛び、そこで契約を決めれなかったら時には自分で教材を買ったり・・もちろん親戚や友人にもセールスをし・・成功者のフリをし続けなければいけない状況から抜け出せず、必死で、どんどん病んできた自分。

 

コンテスト中なのに成績が思わしくなく、ギリギリまで行くつもりだったのに「今週1本も契約が取れてないのに、友人の結婚式になんて行けない・・」と意味不明な罪悪感にやられて、高校時代の友人の結婚式を無連絡でドタキャン。

 

同じく、契約が1本も取れてない週に、ずっと前からお父さん・お母さん・妹弟と家族で楽しみに計画していた九州旅行を、当日の飛行機ギリギリに「ごめん、やっぱり行けない」とドタキャン。

 

もう、この頃にはわけが分からなくなっていた。

 

思いっきり病んでいるのに、会社では、成功してるポジティブなマネージャーとしてふるまわなくてはいけない。

 

会社の上司とはいつも、飲みに出かけ、芸能人ご用達のおしゃれな西麻布のレストランに行ったりしてた。私は同じように部下を食事や遊びに招待して「私みたいになりたければ頑張ってね」とペップしていた。その都度、マルイカードで借金をして。

家に帰れば汚部屋で、コンビニのごぼうサラダをがっついたら歯磨きもせずお化粧も落とさず寝落ちしていた私。

 

もう、落ちる所まで落ちていた。

 

 

 

→この後、ついに風の時代、到来!

 

お楽しみに!!!                  

「この世には、他人に強制できない事が2つあります。

 

1つは「尊敬」、もう1つは「愛」です。

 

「私を尊敬しなさい」「私を愛しなさい」と言われても、尊敬したり、愛したりすることはないでしょう。

 

 

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ごきげんよう、Yumeko♡です。

 

今回は、私が今までやってきた仕事の歴史を振り返り、

 

なぜ今の私が「依存症」や「無価値観」はたまた「躁鬱病」や「時々メンヘラになってしまう」性質などを持ってしまうようになったのかを、考えてみたいと思います。

 

 

以前のブログで書いたように、私はとってもキラキラな有名大学に入りました。

 

そして、その波乱万丈な大学生活についてはまた改めて語りますが、何とか無事に卒業しました。

 

本当に、あんなに勉強しないで生きていて、どうやって卒業できたのか、今だに記憶がありません

 

私が通った大学は、企業からも人気のある超有名大学だったので、言うまでもなく、大学4年生の当時、

 

私の大学の美しく優秀な同級生たちは、

 

JALの客室乗務員、フジテレビアナウンサー、国連、大手広告代理店、SONY、今をときめくベンチャー企業などに、

 

キラキラと輝きながら就職を決めて行っていました。

 

 しかしながら私は、大学3-4年次にほとんど勉強せず、バイトしては海外旅行に出かけることを繰り返していたので、

 

就職活動もまともにせず、成人式にも南半球にいたので出なかったほどです。

 

そのように、あまりにも勝手気ままに生きていたので、

 

卒業間近にして「やっべー就職してないの私だけだ!(大学院に進学する人以外) と、初めて焦ったのです。

 

そこから慌てて就職活動をしても、もちろん良い会社に入れるわけもなく。

 

人事の人はやはり、見る目あるからね。

 

そうでなくても、その場だけを取り繕うような、いいかげんな私の性質はダダ漏れだったとも思います。

 

ですので私は、かなり底辺な就職しかできませんでした。

 

 

まず最初に、一目で分かる、私の職業女性としての歴史を紹介しますね。

 

ハイ、人生ゲーム、すごろくスタート!

 

(スタート)学生時代にカード破産しそうになり慌てて始めた水商売バイト

 

→なんとか卒業後、怪しさ100%の、健康食品の電話勧誘

(せっかく有名大学を卒業したにも関わらず、学歴関係無し、大卒資格不要

 

→仕事が嫌すぎて鬱発症1年で退職。お金が無さすぎて家賃払えず

なんとか生きるために試食販売の単発バイト食い繋ぐ

 

→ ついに復活、就職!と思いきや、超ブラック企業だった会社で

フルコミッション(経費全て自分持ち)の路上英会話教材販売

 

→持ち前のノリで数年会社に貢献し、大活躍するが、

仕事の為の高額の借金を抱え、躁鬱病を発症し、退職

 

→ 借金を返すために水商売に戻ろうと考える

 

→ 借金の利息を返すのと生活費がまかなえず、より高い時給を求めて水から風へ

風の時代はじまる)ついに、ソフト風俗デビュー 

 

→ 持ち前の集中力を爆発させ、全てをかけて働きまくり、No.2に上りつめる。

半年で借金全額返済し、100万の貯金を作り、惜しまれつつお店を卒業。(これはこれですごいのだが)

 

→ 6年同棲した彼氏を捨て、南国へ移住

 

→ 別人に生まれ変わったつもりで心機一転。

地に足をつけた生活を目標に、観光地での健全なバイト

 

→ 低い給料でこき使われる仕事に耐えられず転職を考える。

英語を活かし、米軍基地で働く

 

→日本人にはモテないのに、アメリカ人にはモテるという、

長年のブス人生を経て、生まれて初めての経験にカルチャーショック

 

→ 優しい彼にプロポーズされ、結婚&出産し、しばらく無職 

 

海外移住

 

→色々あって結局、離婚 

 

→日本に帰国 

 

シングルマザーとして子育てしながら、派遣バイトで食いつなぐ 

 

→苦労の末、縁あって、夢にまで見た正社員、9時ー5時勤務、週休2日という夢のような仕事に就職!

 

→からの、10年ずっと同じ会社で働いている。

 

 

さて、人生ゲームの新シリーズである「底辺シリーズ」、いかがでしたでしょうか?

お子様には絶対にプレイさせたくないですね!

 

 

やはり一番大きなポイントは、

 

「私はせっかく親が大金を払って、すばらしい教育を受けさせてくれた(良い大学に行かせてくれた)のに、1ミリも人生に生かしていない。なんなら、底辺すぎて言うのも恥ずかしい仕事しかしていない。」

 

という事が、私の人生に大きな影を落とす「罪悪感」となっているのではないかと思われます。

 

さて、では、これらの仕事では、どのような事を実際にしていたのでしょうか。振り返ってみましょう。

 

VTRスタート!

 

 

 

 

 

 

さて、初回からなんだかんだ言って、

 

結局、「結婚したいけどできない女が一生懸命に、結婚しなくてもいい理由を自分に言い聞かせてるブログ」

 

みたいになっていますが・・ 笑い泣き

 

だって、悩むよね?当たり前だよ。 

 

だって、独りでいるのは寂しいし、

 

パートナーがいるのに分かり合えてないって感じるのはもっと寂しい、

 

もともと一緒にいた人が側からいなくなるのも寂しいし、

 

将来、年取って魅力がなくなってしまった時に誰も側にいなかったらどうしようとか考えて不安になるのも寂しい。

 

だって私、人間なんですもの

 

さて、そんな私は最近ずっと頑張って自分を内観し、

 

自分が幼少の頃から持つ「無価値感」は、思い込みであった事を認識し、、

 

そこから発生した「依存症」が、生きづらさとなり、幸せな恋愛と結婚を阻む要因となっていた事を分析し、

 

「寂しさ」に振り回されない自分になるため、そして

 

「結婚してもしなくても、どっちでもいい。大切な事は自由であり、愛がある事」という考えがいかにブレずにいられるか。

 

そして、「自分を無条件で愛して大切にする」事ができるように。  →これらについては、私のブログのバックナンバーを読んでね!

 

毎日朝から晩まで、修行を積み重ねていました!

 

そして、分かった事があります。

 

修行の一環として、私が尊敬する素敵な女友達と今の悩みを話していた時。

 

彼女はもともと霊感的なものが強く、霊的な感性を持つ人なので、以前からよく何かあった時は頼って、話を聞いてもらっていました。

 

彼女曰く「そうね。人には、それぞれ生まれてきた使命があるからね。その使命を全うする事に集中するだけよ。」

 

・・・・なるほど~!!! キラーン! キラキラ

 

・・・と、感動したのもつかの間、よく考えてもみたら、私なんて、

 

「私なんて、ノリと勢いだけで生きてきて、こんな自己中心的で、偏った自己愛しか無く、甘えてるからすぐ精神を病んで、躁鬱で依存症で・・・生まれてきた意味とか使命、なにも思いつかないわ・・」笑い泣き

 

と、言う事に気づきました。

 

ありんこの方が、いちいちいちいち悩んだりしない分あたしよりまだマシな使命持ってるわ!!(「エサを巣に運ぶ」など)

 

しかし!その後も私はあきらめず、さらなる内観を進めました。 

 

そして、もう1人の大切な友達とたまたま話す機会があり、話していて気付いたのです。

 

そのお友達は、とっても優しくて美人でスタイルも良くて、仕事もできるけれど仕事が忙し過ぎてずっとシングル。いつも、素敵な人と結婚して子供が欲しいと言っています。けれど中々現実はうまく行かず。そんな彼女に私が会った時にたまたま、

 

「娘が手を離れてしまってからとても寂しくて、生きる意味を見失った気がする」とこぼした事がきっかけだった。

(注:私の娘は、中2で私の手を離れ、遠く離れた元夫と彼の今の家族と一緒に住んでいます。場所は外国であまりにも遠く、会えるとしても年1回。)

 

彼女は言った。

 

「娘ちゃんは、この世からいなくなったわけじゃない。生きて頑張ってる。貴女はそれだけで幸せなはずだ。だからYumekoちゃんは、娘ちゃんがいつでも帰って来れる場所をキープする事が生きる意味なんじゃない?」と。

 

その通りだと、心にグサァァァァァ!!と刺さった。

 

子供が欲しくたって、持てない人もいる。結婚をしたくても、1回もできない人もいる。

 

病気や環境が理由で、それらができない人も沢山いるのだ。

 

私には、今は一緒にはいないけど、娘がいる。

 

私の使命は、今は手を離れた大切な1人娘が、いつか疲れて休みたいとなった時や、離婚して戻る場所が必要な時、とにかく、「気兼ねなくいつでも帰ってこれる場所」を、キープしておく事なのだ!!」と。

 

私は、離婚はしてしまったけれども、元夫との間に娘が生まれた事は、

 

私の人生に起こった最も素晴らしい事だと常に1億%自信を持って言える。

 

全てにおいてクソで、だらしなくて、何もやり遂げてなくて、色々ダメな私が、

 

人生においてたった1つ、自信を持って言える事が、「素晴らしい娘を育て上げた事」

 

思えば、今の彼(当時、保育園のパパ友だった)と付き合い始めた当時は、

 

娘の為に、同じ年齢で娘とも仲の良い連れ子がいて経済的にも安定している彼が再婚相手としてはちょうど良さそうだ

 

打算から付き合い始めた

 

でも、色々あって(以前のブログ参照)結婚には至っていない。(しかし8年付き合っている)

 

私は、今、その理由が分かった!

 

私が結婚して家庭を持ってしまったら、娘が、ふと私に会いたくなって帰って来たくなった時に、気を使ってしまう。

 

気兼ねしてしまう。

 

以前、2人暮らししていた場所とは変わってしまったら、思い出が無くなってしまう気がする。

 

そういう理由から、私は、深層心理において、

 

「結婚せず、引っ越しもせず、新しく子供も作らず、新しく家族を作らず、娘をただ1人の家族として、これからもずっと、帰って来る場所を守って生きていく」と、

 

無意識レベルで、且つ自分の意思で、決めたのではないか!!??

 

それが私の使命なのではないか!!!???

 

私にとって、1人娘は、それだけ大切な存在だ。

 

世の中には、子供が3人いたり4人いたり、大家族だったり、色んな人がいる。

 

けれど私の小さなキャパでは、1人の娘を持つ事が精いっぱいだった、というのは自分自身がよーーーーく分かっている。

 

しかも、私の1人娘は、本当に優しくて、昔から、私が辛い時は支えてくれて、

 

時にはチビのくせに鋭い意見で真実を突き、大きくなってからは親友のように

 

私の生きる原動力として、一番キツかった時期もずっと側にいて私に生きる目標と希望を与えてくれた。

 

そんな娘に対して、私がこれからできる事はきっと、こういう事なのだと思う。

 

「いつでも帰ってこれる場所として、娘の居場所をずっとキープしておく」

 

それが、私の、使命であり、生きる意味なんだ。

 

 

私は、世界で一番大切な、私の1人娘を、ずっと大切にし続ける為に、

 

あえて子供を持たなかったし、再婚しなかったし、これからも結婚はしない

 

全ては自分の意思だったんだ。

 

そして、娘がこれからも私を心配しなくてもいいように、私は絶対に幸せでいる事を約束する。

 

だからこそ、私は健康に気を使い、精神も身体も元気でいる為に努力し、恋愛も頑張り、

 

パートナーと理解し合い愛し合って幸せな毎日を送り、お家を綺麗に保ち、元気に長生きする。

 

それが、私の使命なんだね。

 

私は、今、すごく、納得しています。

 

全ては、使命を全うする為。

 

 

 

あなたの使命は、何だと思いますか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは、Yumeko♡です。

 

今回は、しつこいですがまたもや、「結婚について考える」という目的で、色んなカテゴリーの自分の友達を例に挙げて分析してみたいと思います。 

 

(1)結婚してる女 ー金持ち編ー

 

彼女は45歳。旦那は55歳。

 

旦那は会社経営者、収入8ケタ。 

 

本人、元コギャルだが、今では美しく若々しく、服装もとてもセンスの良いセレブ。

 

可愛い子供4人に恵まれ、郊外に大きな一軒家を建て、幸せに暮らしている。

 

趣味はお料理。家族にヘルシーな手料理を食べさせる事が大好きで、お金持ちなのでいつもオーガニック食材をふんだんに使って、大きくて素敵なキッチンでお料理をしている。

 

子供が4人なので朝から晩まで、子供のお世話、毎日お迎えや習い事でかなり忙しい。

 

が、お金持ちなので、まずは家電が充実しており、ルンバは当たり前、アメリカ製の大きな洗濯機と乾燥機、食洗器、ハウスクリーニングの人が毎週1回、さらにダスキンさんが月イチきてキッチンのディープクリーニングをしてくれる。

 

その合間に趣味のスピリチュアル系のオンライン講座を受けたり、実際に占いを聞きにいったり、お金持ちママ友のパーティーに呼ばれたり、ママ友が開く株の勉強会に参加したりと、忙しいがかなり充実した日々を過ごし、夜は必ず寝落ちする。

 

気になった化粧品はすぐにポチる為、高級化粧品の試供品が超沢山ある。

使っているのは超品質の良いものだけ。 

 

(お金があるって素晴らしいね)

 

旦那との性生活は月に1回程度。彼女曰く「もうドキドキとかは一切ないけど、子育てでマジ大変な毎日の中で、それでも自分はまだ女であると実感したいからセックスするって感じかな~。」  

 

そんな彼女は、足で「ホイ、これ」と言って旦那に物を渡していた・・ポーン

 

金持ちである事はもちろんの事、お互いがサバサバした性格だから、上手く行っているのかな?

 

お金の余裕=気持ちの余裕、これ絶対ある

 

性格を飾らなくても一緒にいれる事、これ絶対大事

 

(2)結婚してる女 ー貧乏編ー

 

彼女、彼共に30代中盤。

旦那は無職(求職中)。収入は、多分とても低いだろう。

子供3人。

 

いつも朝、騒ぐ子供3人を保育園に連れて行くのが大変そう。いつも、保育園に行くのには少し遅いんじゃないか?という時間に、パジャマみたいなスウェット姿で、エレベーターでウィダーインゼリーを飲ませながら登園させている。

 

家の前に粗大ゴミや古い家財や自転車などが積まれて、汚らしく、家の中はどうなっているのだろう・・と想像する。

多分、汚部屋かと思う。

 

駐車場が隣なので見えるのだが、常に車のダッシュボードに、AUやガス会社からの督促状のハガキが置いてある。

 

ちゃんとしてない感が満載の家族だ。

 

しかし、夫婦仲がとても良さそう。いつもニコニコ楽しそうにしている。

 

たぶん、とても仲が良いのだろう。お金が無いのであまり出かけたりしていないようだ、だからあちらの方もお盛んっぽい。

だから奥さんがすぐに妊娠しているのだろう。

 

貧乏だけど、幸せそうだなって思う。

 

 お金が無くてもお互いがいれば幸せって、いいよね!

 

ただ、私には、絶対無理。

私はいやだわ。

(注: あくまで私個人の意見です。)

 

 

(3)結婚してない女①

 

彼女は46歳、彼は48歳。

 

15年付き合っている彼氏と、一緒に住む家の裏庭で、趣味の畑仕事を一緒にしながら、子供のようにかわいがっている愛犬と一緒に仲良くシンプルな生活を送っている。

 

彼女はプロサーファーで、彼はその彼女が使うサーフボードをデザイン、制作する仕事をしている。

 

まさに、輝く彼女を彼が縁の下でサポートしている、というカップルだ。

 

彼女は言うまでも無くとても自立した性格で、力仕事も自分でやるし、経済的に彼を頼っている所は微塵も無く、2人は対等な関係だ。彼氏が彼女の事を溺愛していて、いつも彼女の素敵さを回りに自慢している。

 

彼女もそんな彼の事をとても大切にしていて、「優しく、いつも守ってくれる素敵な彼がいるおかげで私がいる」といって人前でキスをする。

 

結婚はせず、ただ、ずっと一緒にいて、いつもラブラブな2人が、私はとてもうらやましい

 

(4)結婚してない女②

 

①の女と少し似ていて非なる感じなのだが、同じくこちらのカップルもサーファー。

 

彼女は44歳、彼は若見え50歳。

 

彼は若い頃から投資家で、1年の半分は海外にサーフィンをしに行ったり、山に籠ってスノボを楽しんだりと、自由な生き方を貫いてきた男だった。

 

その彼が、彼女と出会い、今では2人で、結婚もせず、自由に、ラブラブで、世界の色んな場所に、好きな時に旅しながら自由な生活を送っている。

 

お金があり、自由がある。

とても、とても、うらやましい。

 

以上2カップルの例から、わたしが理想とする幸せは、結婚してるかしてないかは関係ないと分かる。

 

(5)結婚できない女

 

40歳独身の彼女。

 

彼女は美人でスタイルも良く、性格も良い。自立心もあり、仕事の才能もある。そこそこモテるし、

 

「私は結婚して子供が欲しい」と、いつも言っているのだが、付き合う相手がいつも、

 

束縛の激しいメンヘラ男だったり、

 

それとやっと別れて次に付き合ったのが、

 

容姿が100%好みだったのだが、「俺は絶対に再婚なんかしないぞ!結婚なんてこりごりだ!」と豪語しているようなバツイチの傷心男(しかもパイプカット済)だったり、

 

次に付き合った彼氏は、彼のアスペっぷりにどうしてもついていけず、結局別れる事を決意したりと、

 

中々うまく行かない、というパターンだ。

 

再三言うが、彼女は美人でスタイルも良く、モテるし、性格も良い。自立心もあり、仕事の才能もある。

 

なのに、なぜか選ぶ男が、悪いのだ。

 

そんな彼女は「もうマッチングアプリもめんどくさい・・」「犬が飼いたい・・」「やっぱり女友達がサイコー

 

と、最近は恋愛や婚活にも疲れてしまった様子だ

 

諦めないで!!笑い泣き

 

(5)結婚してない女ーバツイチ編ー  

 

ちなみに、著者。

 

47歳バツイチ。子供はもう手を離れている。8年間お付き合いしている彼氏もバツイチ、50歳。

 

もともと、てきとうな性格の為、結婚願望は無かったのだが、「結婚とは一体どんなものなのだろう」という好奇心から、ちょうど良い人がちょうど良いタイミングでプロポーズしてきた(半年付き合っていた顔がとても好みで性格がいい若い彼氏)ので、「今まで人生でやってみたい事はほとんど全てやって来たし、あとやってないのは結婚だけだ。よし、ここらでいっちょ結婚とやらをやってみよう!

 

という軽いノリでOKし、スピード結婚

 

その後、子供を1人産んで、スピード離婚

 

結婚は、最初はラブラブで楽しかったけど、義母との付き合い、親戚との付き合い、お金の共有、旦那がどんどんデブになってきて、私はこの人としか一生セックスしないのか…と言う考えにどんどんハマって

 

(親戚付き合いなどは、最初は嬉しかったものの、慣れても来たらしょっちゅうある集まりがつまらな過ぎて、晩年は、行きたくない親戚の集まりにも妻として行かなきゃいけない時は事前にキッチンでこっそりテキーラショット飲んでから行ってました。)ポーン

 

現在、子供も手を離れ、1人暮らし、好きな時間に起き、好きな時間に眠り、なんなら昼寝もし、好きなものを食べ、仕事以外の時間は、趣味に没頭したり友達と飲みに出かけたり、8年付き合っている彼氏と会ったりと、まさに自由奔放な毎日を送っている。

 

8年間付き合っている彼氏とは、最初こそは、おっ条件的に丁度いい!結婚したいかも…と思いながら付き合っていたが、長年かけて内観を進めていくうちに

 

やはり自分の性格には、結婚よりも、お互いを大切にし、愛し合ってはいるけれども、自由がある状態が一番心地いいのだと気付き、

 

結婚はしていないが、ケンカしたり、もう無理だと思ったり、別れる!?別れない!?と悩んだりしながらも、毎回仲直りする度に愛を深め、8年たった今でも一応ラブラブである。

 

グレーゾーンのアスペである彼と結婚せずに長年付き合って来た事は、私にとって、自分自身の精神的問題を内観し、掘り返し、人間として成長する為に、相手に甘えていたら一生気づかなかった、他人との関わりにおいて本当の幸せを感じるようになれる為の、人生に与えられた魂の修行なんだと思う。

 

もし、この彼とも、結婚しちゃってたら、私のことだから、今頃は離婚していたかも・・と思う。真顔

 

 ただ、難点が1つ。

私自身の魂修行がまだ足りない為、時々、

 

「やっぱり結婚したいよ、家族がほしいよ…」と精神が不安定になり、せっかく上手くいっているものを拗らせてしまう事が定期的にある チーン

 

 まあ、これからはそんな時に読むためにこのブログを書いているからね(はーと) 

 

 

…さて。

 

平和な日本に今いるであろう貴女は、発展途上国などのように少女のうちから家系の為に人身売買されたのではなく、昔の時代のように無理矢理親が決めた相手に嫁がされる事もなく、

 

自由です。

 

どんな生き方を選ぶ事もできます。

 

貴女は、どんな人生を生きたいですか!?

 

 

 

 

 

 

 

注)過激な表現が苦手な方、18歳未満の方はお読みにならないで下さい。

 

晴れて大学生になり、湘南エリアにて夢の1人暮らしを始めた私。

 

キャンパスで出会う人たちは、みんな美人でお洒落で、海外ブランドのバッグを肩から掛けていて髪もサラサラで、私と同じ年齢どころか、私と同じ人種にさえ見えないような、しゃれおつオトナ雑誌に出ているような子達ばかりだった。

 

そんな中で、関東のイナカから都会に出てきたばかりの私は、服装も、お金が無いから安物でダサくて、本当に違う人種だった。

 

小学生、中学生、高校生時代に続いて、大学でもやはり私は、あちらの人種になれないのだった・・。

 

そんな私でも、やはり今までと同様、持ち前の明るさと面白さで友達が沢山できて、大学生活を超エンジョイ

 

Fineを読みまくり、なんとか、安物ではあるが今風のファッションっぽく見せれるように頑張り、海関係のサークルに入り、ロン毛で背の高い、かっこいい彼氏もできた(レペゼン90年代)

 

そして大学2年になり、楽しい大学生活の、2度目の夏休み。

 

サークルで仲良くなった女友達に、「Yumekoは夏休み予定あるの~?私、伊豆の白浜でリゾバイするんだけど一緒に行かない?」と、誘われた。

 

*分からない人に説明しよう!リゾバイとはリゾートバイトの事で、観光地(主にビーチ)に一定期間、住み込みで働く、90年代に流行ったバイトの形態だ!

 

「え~っ、楽しそう!行く行くー!」

 

当時、夏の伊豆白浜と言えば、ギャル男、ギャルがビーチに集まる超イケてる(死語)エリア。サーフィンもできる!

 

イナカに住んでいた今まではできなかった事、色々チャレンジするぞー!と、意気揚々と計画を立てた私達。で、バイトは何を?

「何か、地元のスナックで、ホステスだって~。お友達とお気軽にご応募下さいって書いてあるよ。」(楽しそうなイラスト入りの広告。)

 

とっても軽いノリで始めた、ホステスのバイト。

それが、私の初めての水商売経験となるのだった。

 

地元の常連さんしか来ない、気さくなスナックだから何も心配ない・・その言葉通り、和気あいあいとしたムードで、お酒を飲みながら適当に褒めたりしながら、ライターを付けたり灰皿を変えたり、お酒を作ったりしながら、おしゃべりやカラオケをしていればいいので、な~んだ、簡単!と思っていた。

 

そんなある日、グループで来たお客さん(キモイおじさん)が泥酔して、帰る間際に、ママや先輩ホステスから死角になる場所を選び、私を押さえつけ無理やりキスをして舌を入れてきたのだ!

 

「いやーーー!!」と突き放して、走って逃げて泣いた。

 

その翌朝から私は、ピッタリと、一切出勤したく無くなり、私はバイトを夏休み半分にて辞める事にした。

 

「辞めたいです。今まで働いた分のお給料下さい。」と、ママの自宅に言いに行ったら・・

 

昭和の水商売の女の昼間の姿そのものの、頭にカーラーを沢山巻き付けた、バスローブ姿のママがドアを開けたのだが・・

 

今まで、優しかったママの態度が急変!!! 滝汗

 

「ふざけんなテメー!テメーになんざ、びた一文も払うか!!」

 

と、ドスの効いた声で怒鳴られ、

 

バターン!とドアを閉じられました。

 

後から知ったのですが、このママはヤクザの女で、スナックも、実はヤクザ絡みのお店だったんですって~。

 

ヒィイ・・恐ろしや! 私、無事で良かった・・滝汗

 

しかし、私はめげずに、ドアをどんどん叩いて(1時間位)「お給料くれないと警察に行きますよ!!」などと叫び続けた。

 

私のしつこさに、最後にはママがついに諦めて、

 

「ちっ!とっとと失せやがれ!!」

 

と言ってお給料の入った封筒を私に投げつけて、ドアをバターン!

 

ヤクザ相手に・・よく生きて今ここにいるわ、私。 滝汗

 

しかしながら、

 

「勝った・・!!!」 と思った、勝利の瞬間でした。

 

 

さて、そんな大学1年生の夏の始まりin 伊豆下田 だったのですが、この後さらに波乱万丈でダークな事件が起こります。

 

そしてその出来事は、私の人生に大きな影を落とす「罪悪感」の1つとなるのですが、この時の私は全く知る由もありませんでした。

 

 

ヤクザのスナックを無事に辞めれた私は、それでもまだ半分残っている夏休みをエンジョイしたくて、まだまだ下田にいとくぞ!このまますごすごと自宅に帰る訳にはいかない!と、他の仕事を探す事にしました。

 

そして始めたのが、ビーチにいる人に「パラソル要りませんか~?」と話しかけて、パラソルを立ててあげるという、伊豆白浜では定番の、チャラバイト!!

 

しかも、住み込みで、お給料は出ないけど、雑魚寝する部屋があり、お米のみ食べ放題

 

事情を話したら私を雇ってくれた、金髪ロン毛でガン黒のマネージャーに「お願いします!」と挨拶してから私はバリバリ働き始めました!

 

時には1000円のパラソルを3000円で売りさばき・・(だっておっちゃんがお金くれるんだもん) スコップで砂をガジガジ掘って、パラソルを立てまくりました!

 

仕事の合間に、ナンパチームのギャル男くん達と仲良くなり、好きな人もできたし、好きじゃない人と、暑苦しい部屋でセックスしたり、なんだかんだ青春を謳歌していました。

 

 

そんな日々が過ぎていき、私と一緒にスナックのリゾバイに来ていた大学の友達が、なんだかパッとしないおじさんみたいな人と、恋人みたいにいつも一緒に過ごすようになっているようだと気付きました。(当時スマホ無いので、友達同士でもしょっちゅう連絡取らない)

 

久しぶりに会った友達は私に言いました。「その人はね、とっても優しくて、シャ○を一緒に吸うの。それでエッチすると、ものすごく気持ちいいいの!」と、うっとりした目で。

 

私は、初めて聞いたガチなドラッグの世界にビックリして、「え・・大丈夫なの!?」と心配したのですが、

友達はもうすでに中毒のようになっていたんだと思います。

 

だから、シャ○をくれるその男の事を、好きだという勘違いをして、依存してどんどん中毒になっていったんだと思います。

 

その友達は、結局夏休みが終わっても、私と一緒に湘南の自宅に帰る事はならず、下田に留まり、ずっとその男と一緒にいたのを、親が知り激怒して無理やり連れ戻したそうです。

その子の親は昔からとても厳しかった、とその子が話していた事を覚えています。

 

この夏休みまでは、私ととっても気が合っていつも一緒に遊んでいたその友達は、2学期からはもうあまり学校に来なくなってしまいました。

 

ある秋の日、とても久しぶりに学校に来たらしいその子に再会したら、目つきはボーっとしていて、頬がこけていて、声がとても小さくて、気持ち悪い笑い方をニヤニヤしていて、もう以前の彼女とは別人でした。廃人みたいな彼女は、私に言いました。「今、あの人がうちのアパート(彼女、大学の近くに1人暮らししていた)にずっと泊まってるんだよね。最近ね、注射でやってるんだ、アレ。うふふ・・・」と。

 

私は、まだあの男と!!と、ビックリしたし、注射でシャ○なんて、まるでヤクザ映画ようでゾーっとしたし、

 

もう付き合ってられないと言う思いと、もう友達やめるわ、勝手にすれば?という思いを抱きました。

 

その友達とは疎遠になっていた秋の終わりごろ、夜中の2時に、私のピッチ(PHS)に知らない番号から電話がかかってきました。一体何だろうと思って寝ぼけながら出ると、

 

「下田警察署の者です。」

 

ええええ!? あたし、なんか悪い事したーーーーー!?!?! ビクビク 不安

 

「○川 ○美さん(友人の名前)が、下田駅周辺を真夜中に徘徊しており、挙動不審だったため職質して署に連行しました。どうしても親には連絡しないでくれと言い、唯一信頼できる親友であるあなたの番号にかけるよう言われました。署に迎えに来てくれますか?」

 

どうやら私の友達は、あれからもその男と会い続け、シャ○を打ち続け、通常の判断がきなくなり、どうやらその男を探して下田まで1人で電車に乗って行って、歩いて探していたようだ・・

 

100%病んでるし、1億%シャブ中・・ 正直言って、ゾッとした。怖かった。

 

当時私はまだ20歳。車も持ってないし、家は神奈川県藤沢市。

今から下田になんて行けるわけもない。というか、関わりたくない!!

 

友達を見捨てるのか!?と、罪悪感との間で葛藤したが、その時の私は自分を守りたい一心で、「確かに彼女の事は知っていますが、関係ないですし、迎えには行けません!親に私から連絡しますから!」

 

と言って、翌朝、その子の親の連絡先を探し、親に、迎えに行くように伝えた。

 

それから1週間ほどしてから・・

 

夜な夜な、私のピッチに、その友達からの恨み電話が、かかってくるようになったのだ。

 

「何で、あの時、助けてくれなかったの・・・」

 

最初は、私も会話をしていたけど、同じ事をずっと言うので怖くなり、切ってしまった。

 

そうするとまた、電話がかかってくる。

 

怖くて、自分を責めて、私も気が狂いそうになって、着信拒否をした。家の鍵をしっかり閉めた。

 

それからしばらくして、彼女が進級できず、大学を退学したという噂を耳にした。

 

それ以来彼女はずっと、亡霊のように、虚ろな目をして私の心の中にいる。

 

彼女は、あれから誰かと恋愛できただろうか。就職は、したのだろうか。 

そして、結婚できたのだろうか。 

 

・・・多分、今でも、ずっと廃人として生きているのだろう。

 

彼女は、今でも、私の中で、「私が見捨てたせいで、廃人になってしまった友人」として、私の心のディープな場所にある影、そして、罪悪感の元となり続けている。

 

 

・・・自分でも忘れようと努力したけどずっと心に巣くっている、かなりディープな人生の経験について今回は語りました。

まあ、でもまだまだ私の黒歴史は、これからが本番ですが。

 

私の心の中に巣くう、「罪悪感」について、この後も掘り下げていきたいと思います。

 

 

私の幼少時代について書かれた、マイ黒歴史パート1~草創期~はこちら