最近の私は、この場で自己内観&分析をする事により、最近では、何か感情が起こった時に、自分自身を天から見るように、客観的に観察できるようになってきました。

 

自分を受け入れ、自分を愛し、自分に優しく、他人に優しく、そうなれるように毎日がんばってます。

なぜなら、それが私の決意だからです。

このまま残りの人生を、メンヘラとして生きたくない。

 

幸せな恋愛・結婚を阻む私の中の何かを、でっかいニキビを

 

プチィ!!!! ブシャー(血と膿が噴き出る音)

 

と潰すように、毒を見つけ、毒を出して、晴れやかな心で幸せな人生を謳歌したい!!!

 

そんな願いから、この吐き出しブログを、自分1人しか読まない前提で、始めたのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・・・さて、前回のお話では、

「子供には絶対にプレイさせたくない!底辺すぎる人生ゲーム」としてあたいの人生をリプレイしてみつつ、

 

「せっかく親が大事に育ててくれ、大金を払って素晴らしい教育を受けさせてくれたのに、私自身のバカさと怠惰さのせいで1ミリも人生に活かせず、底辺すぎる仕事しかしないで生きてしまった。」という事実が、私の人生に大きな「罪悪感」として影を落としているという事に気づきました。

 

では、これらの仕事では実際にどのような事をしていたのでしょうか!?さあて、振り返ってみたいと思います。

 

1)学生時代に海外旅行で使い過ぎてカード破産しそうになり慌てて始めた水商売バイト

ちなみに、1番最初に伊豆下田で体験した水商売バイトは、私の黒歴史シリーズにて語っていますのでお暇な方はこちらを、読んでも読まなくてもどっちでもいいです→

 

 

 

今回の水商売は、とってもまともな水商売でした。

同じマンションに住んでいた、大学の同級生(2浪していたので2つ年上)Mさんが、「お金稼ぎたいなら私がやってるとこでバイトしない?お客さんは大手企業のサラリーマンばかりで安心だよ。」と言われて始めた、神奈川県藤沢市の某高級クラブ。

藤沢には、チャラいキャバクラなども沢山あったが、私が勤務先としたのは、自称高級クラブ。ママはいつも素敵な和服で、客層はほぼ、近くのM下電器の接待利用。だからお客さんの質も良いと聞いて。

 

週2‐3回のバイトをしながら、この時代の水商売あるあるで、「別れても好きな人」のデュエットが歌えるようになったり、おじさまが好きそうな昔の曲を歌えるようになったりと成長し、おじさまを褒めるトークも身に付け、無難に接客を努め、某有名大学の学生という事で真面目さをアピールしながらしっかり稼ぎ、無事にカードの支払いを家賃を払う事ができました。

 

そして少し余分にお金を貯めたら辞めて、また海外旅行へ。そしてまた貧乏になりこの高級クラブのドアを叩く・・

この繰り返しで学生時代の半分くらいは過ぎていきました。ママ、お世話になりました。

 

ま、こうして見てみても、この辺までは、そんなに悪くないネ!!

 

さて、そうこうしている間にも人生は進んでゆき、大学を無事に卒業すますた。。

(何度も言うが、どうやって卒業できたのかは記憶無し)

 

こないだも言ったが、有名大学に在籍していた事もあり、周りのみんなはかなり輝きながらキラキラ就職をして行ったのだが、私はそんなこんなで学校もサボりまくりの底辺学生だったので、最後の最後に、コンビニの入り口に置いてある無料の地元求人誌に載っていた、自宅から1駅という近さの企業に、とりあえず応募。理由は「家から近いから。」&「なんとなく、自分にもできそうだから。」←バカ学生丸出し・・

 

職業は

「ダイエットカウンセラー。(学歴・経験不問!お気軽にご応募下さい!)」

 

・・嗚呼・・中学生の頃、神童と呼ばれた私よ、いずこへ・・

 

しかし、とにかく何でもいいから、就職しなければ生きていけない!私は大張り切りでこの面接に挑んだ。結果は、モチ、即採用。

 

さあ、私の社会人生活が、始まるよ~! 

 

毎日、紺色の昭和最前線のOLっぽい制服を着て、朝のお仕事は先輩たちのお茶を入れる事から行う仕事内容は、「雑誌に挟まっているダイエットの無料モニター応募ハガキで応募してきたモニター希望者にかたっぱしから電話をかけ、自社健康食品を使ったダイエットの1週間の無料体験に勧誘→気に入ったら最後は、健康食品の組み合わせでコースを決めクロージングを掛けて継続提案セールス(約30万~100万円)」

という、昭和の時代にはよくあった、電話勧誘からの健康食品セールスでした。

 

ここでは、65歳ですがバリバリ現役の、パープルのアイ・シャドウに赤の口紅&クレオパトラみたいな髪型の「部長」がいて、部長が、この会社の創立当初からの経験を重ねて編み出した黄金のセールストークというものがあり、そのトークに自分の感情を載せてしゃべる事でダイエット無料体験のカウンセラーが立派に勤まるというシステムなのでした(たから経験不問)。

人によっては超棒読みの子もいたけど、私はそういうの得意だったから面白おかしく色を付けて話して、結構売上が出ました。

 

私のお客さんにはいろんな方がいましたが、中でも記憶に残っているのは私のカウンセリングを始めてから、120㎏→100㎏になって人生変わったという方(100万円コースお買い上げ)

80㎏→88㎏と、始めた時より増えてしまった方もいました。クレームが来て怒っていた彼女に、クレオパトラ部長が入って話をよくよく聞いてみると、彼女は私が食事指導で「納豆は脂肪を燃焼してくれるので積極的に食べましょう」と言ったら、「納豆ごはんを1日に8杯位食べていた」事が判明。納豆だけでなく米、食べ過ぎればそりゃ、太るわ・・

50㎏→48㎏と、もともと太ってないのに始めちゃった学生さんは、「結果が出ない」とクレームになったが、部長が入ってもみ消した→この辺から私の中に疑問が湧き始める

 

そんなこんなで私自身は持ち前のノリで売上も良く、私は新人賞などもいただきつつ、約1年働くが、だんだんと、高額商品の押し売りと言われクレームが来たり、親や夫からのクレーム電話が来たり、親にも友人にも仕事内容に関して嘘を付いているという現実に心が負担を感じて来て、仕事が嫌になって来た私は、出勤するのが嫌で嫌で、ついに退職する事を決意。

 

ここから怒涛の貧乏生活始まる。

 

貧乏過ぎて、当時の彼氏が一緒に住みたいと言ってきたのを「家賃光熱費半分にできるぜ」と思って気軽にOK。しかし、結局それでも家賃払えず。

 

そこで始めたのが、「試食販売のバイト」 ―そう、スーパーなどで時々やってる、三角巾かぶったおばちゃんがやってるアレよ! 

これ、みなさんが思うよりかなりハードコアなお仕事。

 

まず登録が終わると、トレーニングがあります。トレーニングでは、めちゃくそ声がでかいお姉さんが(トレーナーという)

 

「ハイ、では言ってみて下さい、いらっしゃいませ~~~え!!!!

いかがですか~~~あ!!!!!」(あまりにも突然なので大概の人は最初、ビクゥ!!とする)

そして、次に担当して売る食品について軽く勉強したら(プリント1枚読むだけ)、すぐに現場への地図を渡され、終了。

 

そう、試食販売は、販売道具(看板など)を持って、1人で、知らない町に、電車に乗り、路線バスに乗り、時には30分歩いて、めっちゃローカルな町のローカルなお店に、えっちらおっちら遠征に行く。

三角巾を締めた私は、見ず知らずの町で、見ず知らずの人相手に声を張り上げる・・

 

「い・・・いらっしゃいませ~」 

 

しかしビクビクしていると売上は一切上がらない。ちなみにこれ、売上も全て派遣会社に管理されていて、成績が悪いと次の仕事がもらえないし、ズルとかしたら絶対バレる仕組みになっている。

 

ある時私は、ワインとチーズの組み合わせを販売する事になった。

「いらっしゃいませ~・・(ビクビク)」

しかし昼間のスーパーでは中々、周りの目を気にして、奥様達も試飲をしたがらない(本当は飲みたいだろうに)。時々来るのはホームレスちっくなおっさんのみ(しかも何回も来る)。

 

くっそ~・・どうしたら売れるのか・・

 

そこで私は!ごそごそと何かを取るフリをしながら看板の裏にしゃがみ、販売用のワインをグビっと一気!(笑)

 

ちょっと酒が入った私は・・恥ずかしさも無くなり、そこからノリノリに!!「いらっしゃいませ~!!いかがですか~!?」・・酔いがさめてきたらまたしゃがんでグビリと。

 

元気いっぱいの販売員となった私は、なんとその日売上ベスト記録を作り、派遣会社に褒められました!もちろんあの事は絶対にヒミツ。

 

・・そんなこんなでこれまた持ち前のノリで販売成績も良く、試食販売でなんとか食いつないできた私ですが、これまた本当~に仕事が嫌になって来て、これ今でも悪夢で見るほど。見ず知らずの町に出かけ、見ず知らずの人に話しかける・・これって普通~にかなりの精神的苦行。それで、もう仕事に行けなくなり、次の仕事を探す事に。

 

ここで、ひと夏だけ、大学時代の親友と一緒に、海辺の小さな商店街で自作のタコス屋を自分のビジネスとしてやるという楽しい出来事が♪(たまたま、バーとして使っている飲食店舗を昼間使っていいよというオーナーの好意で)自分たちでメニューを考え、作り、売り、友達も沢山でき、浮気もし、とても楽しく仕事を頑張ったが、秋口になり、仕事に飽きて来て、やりたくなくなり、ある日サボっていた所をオーナーに見つかり、お店クローズ。

 

(ここまで書いてきて本当に思う。私、飽きっぽいんだね・・)←今更気づいたのかよ!!

 

そしてお次は!私の人生の中でもかなりのビッグな比重を持つ、超ブラックよりのギリグレー企業!経費は全て自分持ちの、路上英会話教材販売会社で、セールスとして働く事になりました。おめでとう!

 

さてさてこちらが、これまた濃いお仕事でんがな。なんと!こちらも、「英会話レッスン無料体験ハガキ」として届いたハガキをそれぞれ何十枚も「これは財産だぞ!!」と言われながらもらい、それにかたっぱしから電話をかけていく。

そして会話をぶっかまして仲良くなり、英語のニーズを引き出し、英会話スクール見学のアポに繋げるのだ!

この時代はほぼ全て家電。たいがい、ばあちゃんが出たり父ちゃんが出たり・・「セールスですか!?いりません!ガチャ!!」と切られたり・・中々本人に繋がらないのだ。かなりの精神力が必要とされる電話セールス。

 

しかしほんと、「無料体験ハガキ」よ・・

 

そしてこれにももちろんトークの順序が決まっており、セリフは全てプリントアウトされている!!!!!

 

しかしこれを棒読みするだけではアポなんて取れるわけもないので、やはり訓練とノリ、人の心を読む心理戦などが必要なのだ。しかし私は、今までやった水商売のバイトなどで培ったコミュニケーション力で、なんとか軌道に!!

 

さらにこの会社では、電話セールスだけでなく、メインの収入源となる「路上直接販売」という飛び道具があるのでした。

それは、「英会話キャンペーン」という旗を立て、書店などの入り口で「どうぞー♡」とハガキを配り、それをあわや受け取ってしまった人を絶対に離さないよう、トークの渦に巻き込み、最終的には即アポとしてそのまま喫茶店などに移動し、セールスを行い(即プレと言う)、うまくいけばその場で契約書書かせる(即オーダーと言う)。

 

そして、一番会社に褒められるし、派手な手法が、「即プレ即オーダー」と呼ばれる、その場でパンフレット説明だけで数十万円の教材&英会話スクールの会員権を契約させる!実際のスクール見学もしないでだよ!!

 

こんな、今では信じられない、コンプラ確実アウトな荒業が通用した時代だったのだ!!

そしてこれが、なんと私が最も得意とするセールス技となるのだった!!

 

今までの経験が自動的に役立ってしまっていた感満載・・ そして、ブラック感満載・・

 

ここでも、私は持ち前のノリと勢いを発揮し、なんと新人賞ゲット!からの、全国売上コンテストで毎回上位入賞を果たす事に!

経費は全て自分持ちな分、1本契約を決めると契約金の40%位が自分の給料となる仕組み。また、四半期ごとの売上コンテストが常に開催されており、コンテストで10位以内に入ると会社持ちで豪華海外旅行に招待され、リゾートホテルに泊まり、毎晩イブニングドレスを来てパーティーに参加する・・

 

という、バブル期の香りがプンプンする、ものすごい待遇を受ける営業成績トップクラスの人と

 

収入が1円も無く、しかし経費は全て自分持ちの為、どんどん貧しさに拍車がかかって辞めていく人、二極化した会社なのでした。

 

さて私は、ブイブイ言わせながら契約を取り続けていました。

衝撃の新人登場!から、常に営業成績トップクラスで、会社のアイドル的存在。3か月に1度は海外に行き、いつも成績トップクラスで、ブランドのバッグを持ち、上下スーツで決めてカツカツ歩く素敵なマネージャーとなった私には、部下が30人ほどいて、毎朝「人生最高~!とにかくポジティブなら結果は出る!みんなもポジティブにがんばろう~!」っていうすっげー単純な体育会系ペップトークをして盛り上げていた。

 

しかし、そんな黄金時代はやはり長くは続かないのだった。

 

ここで1つのエピソードを。それは、ウィンターコンテストの1位を狙って上のマネージャーからガンガン鼓舞&サポートされていた、あと1本~2本ねじ込めば、当時のライバルに勝てるかも!?という大事な時だった。

 

新宿のとあるラブホで、終電も無くなった深夜・・私は1人のお客さんと話していました。「どうしてもこの人に、最低30万のコースでいいから契約書を書かせなきゃ、勝てない!!!」という状況だったので、私は路上販売で会った時に即プレ即オーダーをしたらなんとブラックリストでローンが通らず(この頃、かなりよくあった。そりゃ路上販売ですぐ契約するような輩なんて、たいがいブラックなんよ)しかしその後、「一括払いならイケル!!!」と考えたので、ずっと前からいざって時に使おうと追っていて、私の事を気に入っていると分かっていたお客さん。そんな彼を、友達ぶって飲みに誘い、教材買ってよ~と話し、結果、「ラブホテルに来るなら契約書書いてあげる」と言われて、私は一瞬悩んだ結果、「よし!今まで数々の修羅場をくぐり抜けて来た私だ、こんなブラック野郎1人くらいなんとか切り抜けられる!」と考え、ラブホテルに行ったのだ!

 

そして私は、彼を手で押しのけながら、なんと30万円のコースを無事に一括払いで契約書に印鑑まで押させ(印鑑持って来てねと前もって言ってあった)「絶対翌日に振り込みしてね!振込しなきゃ嫌いになるからね!がんばって英語しゃべれるようになろうね!私応援するからね!」と、反論の余地もないほどの爽やかさとフレンドリーさで言い残し、

 

ぽかーんとする彼をそのままラブホに残して私は契約書を手に、その場を去り、新宿のマンガ喫茶に行って朝まで過ごしたのでした。

 

え、でも、これってやっぱり今思うと、けっこう違法ギリギリなのかな!? いやしかし、彼は同意の上だったし・・きっと彼は今頃、英語ペラペラになって、外国人の女の子をナンパするっていう当時の夢を叶えてるに違いないから、いいとしよう!!(絶対あり得ないけど、無理やり自分に思い込ます)

 

思えばあの頃は毎日、朝9時の電車にダッシュで乗り・・朝ごはん食べる暇無いからカロリーメイトを電車内で食べ・・なんなら時にはマスカラも電車内でコソコソ付け・・

1日中、アポを取るためと契約書を上げるために奔走し・・

 

終電は12:25横浜発。終電を逃さないために駅までダッシュし・・時には終電を逃し、横浜駅東口にある24時間営業の銭湯に泊まり・・もしくは乗った電車が磯子までしか行かないので、磯子からタクシーで藤沢の自宅まで帰宅・・

 

そんな毎日だった。帰宅は毎晩終電。終電から降りた私は、駅前のセブンイレブンで必ず、缶ビール500㎖と、ごぼうサラダを買って帰って食べるのだった・・

 

私生活はこんなにさもしくても、いざオフィスに行けば、輝く成績でみんなが憧れる明るいマネージャーだった私。

3か月に1度は海外に行き、いつも成績トップクラスで、ブランドのバッグを持ち、上下スーツで決めてカツカツ歩く素敵なマネージャーのイメージをキープする為に、契約が取れていなくてその週の収入がゼロ円だったとしても、出勤してみんなの前で成功者としてミーティングをしなければいけない朝、自分のスーツの袖が汚れているのに気づいたらすぐに駅地下のお店に入り「マネキンが来てるスーツもアクセサリーも全て下さい!」と新しいスーツに着替えたりして、どんどん私は借金を重ねていったのだった。

 

売上を上げるために、マルイカードで借金をしてチケットを買い、時には大阪へ、時には札幌へ(新幹線も飛行機も自分持ち)飛び、そこで契約を決めれなかったら時には自分で教材を買ったり・・もちろん親戚や友人にもセールスをし・・成功者のフリをし続けなければいけない状況から抜け出せず、必死で、どんどん病んできた自分。

 

コンテスト中なのに成績が思わしくなく、ギリギリまで行くつもりだったのに「今週1本も契約が取れてないのに、友人の結婚式になんて行けない・・」と意味不明な罪悪感にやられて、高校時代の友人の結婚式を無連絡でドタキャン。

 

同じく、契約が1本も取れてない週に、ずっと前からお父さん・お母さん・妹弟と家族で楽しみに計画していた九州旅行を、当日の飛行機ギリギリに「ごめん、やっぱり行けない」とドタキャン。

 

もう、この頃にはわけが分からなくなっていた。

 

思いっきり病んでいるのに、会社では、成功してるポジティブなマネージャーとしてふるまわなくてはいけない。

 

会社の上司とはいつも、飲みに出かけ、芸能人ご用達のおしゃれな西麻布のレストランに行ったりしてた。私は同じように部下を食事や遊びに招待して「私みたいになりたければ頑張ってね」とペップしていた。その都度、マルイカードで借金をして。

家に帰れば汚部屋で、コンビニのごぼうサラダをがっついたら歯磨きもせずお化粧も落とさず寝落ちしていた私。

 

もう、落ちる所まで落ちていた。

 

 

 

→この後、ついに風の時代、到来!

 

お楽しみに!!!