「この世には、他人に強制できない事が2つあります。
1つは「尊敬」、もう1つは「愛」です。
「私を尊敬しなさい」「私を愛しなさい」と言われても、尊敬したり、愛したりすることはないでしょう。
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ごきげんよう、Yumeko♡です。
今回は、私が今までやってきた仕事の歴史を振り返り、
なぜ今の私が「依存症」や「無価値観」はたまた「躁鬱病」や「時々メンヘラになってしまう」性質などを持ってしまうようになったのかを、考えてみたいと思います。
以前のブログで書いたように、私はとってもキラキラな有名大学に入りました。
そして、その波乱万丈な大学生活についてはまた改めて語りますが、何とか無事に卒業しました。
本当に、あんなに勉強しないで生きていて、どうやって卒業できたのか、今だに記憶がありません。
私が通った大学は、企業からも人気のある超有名大学だったので、言うまでもなく、大学4年生の当時、
私の大学の美しく優秀な同級生たちは、
JALの客室乗務員、フジテレビアナウンサー、国連、大手広告代理店、SONY、今をときめくベンチャー企業などに、
キラキラと輝きながら就職を決めて行っていました。
しかしながら私は、大学3-4年次にほとんど勉強せず、バイトしては海外旅行に出かけることを繰り返していたので、
就職活動もまともにせず、成人式にも南半球にいたので出なかったほどです。
そのように、あまりにも勝手気ままに生きていたので、
卒業間近にして「やっべー就職してないの私だけだ!(大学院に進学する人以外) と、初めて焦ったのです。
そこから慌てて就職活動をしても、もちろん良い会社に入れるわけもなく。
人事の人はやはり、見る目あるからね。
そうでなくても、その場だけを取り繕うような、いいかげんな私の性質はダダ漏れだったとも思います。
ですので私は、かなり底辺な就職しかできませんでした。
まず最初に、一目で分かる、私の職業女性としての歴史を紹介しますね。
ハイ、人生ゲーム、すごろくスタート!
(スタート)学生時代にカード破産しそうになり慌てて始めた水商売バイト
→なんとか卒業後、怪しさ100%の、健康食品の電話勧誘
(せっかく有名大学を卒業したにも関わらず、学歴関係無し、大卒資格不要)
→仕事が嫌すぎて鬱発症、1年で退職。お金が無さすぎて家賃払えず。
なんとか生きるために試食販売の単発バイトで食い繋ぐ
→ ついに復活、就職!と思いきや、超ブラック企業だった会社で
フルコミッション(経費全て自分持ち)の路上英会話教材販売
→持ち前のノリで数年会社に貢献し、大活躍するが、
仕事の為の高額の借金を抱え、躁鬱病を発症し、退職
→ 借金を返すために水商売に戻ろうと考える
→ 借金の利息を返すのと生活費がまかなえず、より高い時給を求めて水から風へ
(風の時代はじまる)ついに、ソフト風俗デビュー
→ 持ち前の集中力を爆発させ、全てをかけて働きまくり、No.2に上りつめる。
半年で借金全額返済し、100万の貯金を作り、惜しまれつつお店を卒業。(これはこれですごいのだが)
→ 6年同棲した彼氏を捨て、南国へ移住
→ 別人に生まれ変わったつもりで心機一転。
地に足をつけた生活を目標に、観光地での健全なバイト
→ 低い給料でこき使われる仕事に耐えられず転職を考える。
英語を活かし、米軍基地で働く
→日本人にはモテないのに、アメリカ人にはモテるという、
長年のブス人生を経て、生まれて初めての経験にカルチャーショック
→ 優しい彼にプロポーズされ、結婚&出産し、しばらく無職
→ 海外移住
→色々あって結局、離婚
→日本に帰国
→シングルマザーとして子育てしながら、派遣バイトで食いつなぐ
→苦労の末、縁あって、夢にまで見た正社員、9時ー5時勤務、週休2日という夢のような仕事に就職!
→からの、10年ずっと同じ会社で働いている。
さて、人生ゲームの新シリーズである「底辺シリーズ」、いかがでしたでしょうか?
お子様には絶対にプレイさせたくないですね!
やはり一番大きなポイントは、
「私はせっかく親が大金を払って、すばらしい教育を受けさせてくれた(良い大学に行かせてくれた)のに、1ミリも人生に生かしていない。なんなら、底辺すぎて言うのも恥ずかしい仕事しかしていない。」
という事が、私の人生に大きな影を落とす「罪悪感」となっているのではないかと思われます。
さて、では、これらの仕事では、どのような事を実際にしていたのでしょうか。振り返ってみましょう。
VTRスタート!