◇街角で見つけた「障がい者」という文字
移動の途中、
ふと立ち寄った身障者用駐車場。
そこにあった看板には、
👉「障がい」のある方
と書かれていました。
街角や行政の案内などでも、
最近、本当によく見かけるようになりました。
まるで、その表記が「正解」かのようです。
おそらく、
「害」という文字にはネガティブな印象がある。
だから「障がい」と書いた方が、
当事者に対して優しいのではないか。
そんな配慮から生まれた表記だと思います。
その気持ちは、よく分かります。
しかし障害当事者の親である私は、
この表記を見るたびに、
👉「ああ、うちの子に”障害”があるのだな?」
と、少し心が痛む(傷つく)のです。
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◇そもそも「害」は、どこにあるのだろう
「障害」の表記に関しては
👉「社会モデル」
という考え方に立つと、
少し違った景色が見えてくるからです。
従来の「医学モデル・個人モデル」では、
心身の機能に何らかの違いがあり、
それによって生活に困難が生じる。
つまり、
問題は主として
👉「その人の側にある」
と捉えられがちでした。
一方、
障害の「社会モデル」では、
本人の心身の機能の違いだけを
見るのではありません。
例えば、
車椅子を利用している人の前に階段しかなければ、
その人を移動できなくしている障害は、
階段しか用意していない、
👉「社会の環境の側にある」
と考えます。
そうした環境や制度、
社会のあり方との関係の中で、
「障害」は生まれます。
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◇「害」を消せば、障害がなくなるわけではない
私はむしろ、
「障害」の「害」を消してはいけない
と思います。
なぜならば、「害」とは、
👉社会に存在する障壁
そのものだからです。
本当に問われなければならない「害」が、
社会の側にあるのであれば、
私たちが向き合うべきなのは、
「障がい」の表記ではなく、
その人の社会参加を妨げている、
👉「障壁」は何なのか
ということではなると思います。
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◇「パラダイム」は、簡単には変わらない
我が国も、平成26年(2014年)に、
「障害者権利条約」に批准して、
障害者を取り巻く我が国の法律は、
全て「社会モデル」を前提にしています。
しかし、
この考え方は、
なかなか簡単には社会に浸透しません。
なぜなのでしょう…
私は、ここに
👉「パラダイム転換」の難しさ
があるのだと思っています。
「パラダイム」とは、
ある時代や社会の中で、
人々がほとんど無意識に共有している、
👉「ものの見方」「思考の枠組み」
です。
これは、単純な”知識”ではありません。
私たちが物事を見るときの、
いわば「眼鏡」のようなものです。
だから、
新しい知識を一つ覚えただけでは、
簡単には変わりません。
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◇天動説から地動説へ…
科学の歴史を振り返っても、
大きなパラダイム転換には時間がかかりました。
天動説から地動説への転換などは、
その象徴でしょう。
これまで「当たり前」だと思っていた世界の見方そのものを、
まったく別の枠組みに入れ替える。
それは、
新しい知識を追加することとは違います。
これまでの常識そのものを疑う作業だからです。
物理学者マックス・プランクも、
新しい科学的真理は、
反対者を一人ずつ説得することで勝利するというより、
世代交代の中で、
新しい考え方に親しんだ人々が増えることで定着していく。
という趣旨の有名な言葉を残しています。
それほどまでに、
人間が一度身につけた、
「ものの見方」を変えることは難しいのでしょう。
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◇医学モデルから社会モデルへ
まさに、
「障害のパラダイム」についても、
大きな「パラダイム転換」の途上なのでしょう。
「この人に障害がある」
というパラダイムから、
「社会の側に障壁(障害)がある」
というパラダイムへ。
これはまさに、
👉天地がひっくり返るような「パラダイム転換」
なのだと思います。
私は、街中で増え続ける、
👉「障がい者」
という表記について、
👉未だ社会のパラダイムは「医学モデル」なのだなぁ…
と、途方に暮れてしまうというのが、
正直な気持ちです。
パラダイムは、
一朝一夕には変わりません。
しかし、
”今”を生きる障害者にとっては、
人生がかかっているのです。
ですから、悲しいことに、
私たち当事者家族は、
従来の「医学モデル・パラダイム」と、
闘い続けることが必要となります。
でも、
”今”の闘いが、
次の世代のパラダイム形成につながると信じています。
これからも、
事あるごとに、発信してまいります。

