葡萄の樹のように生きられるだろうか ~マルクス・アウレリウスの「自省録」~ | 東京府中の税理士、金成祐行の日々の気づき

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東京府中の税理士法人かなり&パートナーズの経営や、強度行動障害の状態にある自閉症の息子との生活など悪戦苦闘ですが、日々気づいたことを書いております。

 

◇恩返しを求めない葡萄の樹になれるだろうか

最近、本棚の奥から、
久しぶりに一冊の本を取り出しました。

👉マルクス・アウレリウス『自省録』

以前、
私はこの本に、

ずいぶん夢中になりました。

ページのあちこちに

付箋が貼られていて、

👉「当時の私は、ここに心を動かされたのか」

と、

昔の自分と再会したような気持ちになりました。



◇皇帝が自分自身に語りかけた本

マルクス・アウレリウスは、
2世紀ローマ帝国の皇帝であり、

👉「五賢帝最後の皇帝」

として知られています。

彼は、
ストア哲学を深く学び、
皇帝という最高権力者でありながら、

常に、

👉「自分はどう生きるべきか」

を問い続けた人でした。

『自省録』は、
誰かに読ませるために

書いた本ではありません。

戦地での遠征中などに、
「自分自身」へ向けて

書き残した覚え書きです。

だからこそ、

・「お前はどうあるべきか。」
・「君は本当にそれでよいのか。」

と、

自分自身へ

厳しく問い掛ける言葉が並びます。

本人は、
まさか二千年後に

世界中で読まれる本になるとは、
夢にも思っていなかったでしょうアセアセ


今の時代で言えば、
毎日AI相手に壁打ちを

しているようなものかもしれません。

違うのは、

相手がAIではなく、
もう一人の自分
だったということでしょう。



◇付箋が付いていた一節

今回読み返して、
やはり付箋が貼ってあったのが、

この言葉でした。


「ある人は他人に善事を施した場合、

ともすればその恩を返してもらうつもりになりやすい。

第二の人はそういうふうになりがちではないが、

それでもなお心ひそかに相手を負債者のように考え、

自分のしたことを意識している。

ところが第三の人は自分のしたことをいわば意識していない。

彼は葡萄の房をつけた葡萄の樹に似ている。

葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえば、

それ以上なんら求むるところは無い。」(『自省録』第五巻)


この後には、

馬は走り終えれば、
犬は狩りを終えれば、
蜂は蜜を作り終えれば、
何も誇らない。

人も善いことをしたなら、
何事もなかったように、
次の善い行いへ進めばよい、

と続きます。



◇自分はどうか?と問いかける

確かに私自身は、
恩返しを露骨に期待することはありません。

しかし、
心のどこかで、


「これだけやったのだから」
「少しくらい分かってほしい」

と思ってしまうことがありますガーン

 

まさに、
マルクス・アウレリウスの言う

「第二の人」

です。

善意でやったはずなのに、
気が付けば、
相手を心の中で

「負債者」にしてしまっている。

皆さんは、

如何ですか?




◇葡萄の樹のように

葡萄の樹は、
実をつけても、

ぶどう「今年も頑張ったでしょう?」

とは言いません。

ただ、
季節が来れば実を結び、
また次の季節にも実を結ぶ。


👉それだけです。


私も、
そんな人間になれたら

良いですねウインク


この本を読み返して、
付箋を貼った頃の自分から、
もう一度、
静かに教えられたような

気がしました。