先日、
母と長男、そして末っ子と一緒に、箱根へ小さな旅行に出かけました。
車の中で、ふと流れてきた曲があります。
それは 『アメイジング・グレイス(Amazing Grace)』
すると、後ろの席に座っていた母が、
ぽつりと、静かに言いました。
「私、この曲好きなのよ」
理由を聞くと、
母が、趣味で続けている社交ダンスで、
この曲に合わせて踊ったことがあるのだそうです。
特別な語り口でもなく、
懐かしさを押し付けるわけでもなく、
ただ「好き」と言う、その穏やかな声が、妙に胸に残りました。
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■私にとっての「アメイジング・グレイス」
実は私自身も、この曲が昔から大好きです。
きっかけは、
唐沢寿明さん主演のドラマ 『白い巨塔』。
あのテーマ曲として使われていたとき、
この旋律が、物語の重さと、
財前という人間の弱さを、
すべて包み込むように響いていたのを、
今でも覚えています。
財前のお母さんが、
亡くなった財前に、
「よく頑張ったね。ご苦労様でした」
と語りかける場面は忘れられません。
そして改めて、
この曲の歌詞の意味を読み返すと、
どうしても、少し涙ぐんでしまいます。
うまくいかなかったこと。
後悔していること。
取り返しがつかないと思っていた過去。
それでも私たちは、
知らないところで、
数えきれない「恵み」に支えられて、
ここまで生きてきたのだと、気づかされるからです。
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■世界中で歌われる賛美歌
『アメイジング・グレイス』の背景
『アメイジング・グレイス』は、
世界中で最も愛されている賛美歌のひとつです。
この詞を書いたのは、ジョン・ニュートン。
彼はかつて、
奴隷貿易に関わっていた過去を持つ人物でした。
嵐の海で死を覚悟した経験を経て、
自らの過ちと向き合い、
その罪深さを抱えたまま、
それでも「赦され、救われた」という体験を、
この歌に刻みました。
この歌は、
「立派な人の信仰告白」ではありません。
どうしようもない自分が、
それでも恵みによって生かされた
という、
極めて個人的で、切実な物語です。
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■アメイジング・グレイス(意訳を交えた翻訳)
第1連
Amazing grace! (how sweet the sound)
驚くべき恵み――なんと甘美な響きだろう
That saved a wretch like me!
私のような、どうしようもない者さえ、救ってくださった
I once was lost, but now am found,
かつては道に迷っていたが、今は見出され
Was blind, but now I see.
盲目だった私は、今、真実を見ることができる
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第2連
’Twas grace that taught my heart to fear,
この恵みが、私の心に畏れを教え
And grace my fears relieved;
そして、その恵みが、恐れを解き放ってくれた
How precious did that grace appear
どれほど尊く感じられただろう
The hour I first believed!
私が、初めて信じた、その瞬間の恵みは
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第3連
Through many dangers, toils, and snares,
多くの危険や苦難、誘惑をくぐり抜け
I have already come;
私は、ここまで辿り着いた
’Tis grace hath brought me safe thus far,
ここまで無事に導いたのは、恵みであり
And grace will lead me home.
これからも、その恵みが、私を安息の地へ導くだろう
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第4連
When we’ve been there ten thousand years,
一万年が過ぎ去ったとしても
Bright shining as the sun,
太陽のように輝きながら
We’ve no less days to sing God’s praise
神を讃える歌声が、減ることはなく
Than when we’d first begun.
歌い始めたその時と、何ひとつ変わらない
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歌詞に出てくる 「wretch(レッチ)」 は、
直訳すると「クズ」「卑しい者」「どうしようもない人」。
非常に強い言葉です。
あえてこの言葉を使うことで、
ジョン・ニュートンが、
自分の過去をどれほど深く悔い、
それでもなお「救われた」と感じていたかが、
強く伝わってきます。
日本語の賛美歌では、
メロディに合わせて美しい表現に置き換えられていますが、
原文は、もっと生々しく、
一人の人間の「告白」に近い歌です。
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■それぞれの人生に、アメイジング・グレイスがある
母が踊ったダンスの記憶。
私がドラマを通して出会った旋律。
そして今、
車の中で、家族と一緒に聴いた同じ曲。
人生は、
思い通りにいかないことだらけです。
でも振り返ると、
自分一人では到底越えられなかった道を、
誰かの支えや、見えない恵みによって、
ここまで歩いてきたのだと、
静かに実感する瞬間があります。
Amazing Grace。
それは、
過去を否定しないまま、
それでも前に進ませてくれる歌なのかもしれません。

