福祉の現場では、
支援中に、どうしても避けられない事故が起こることがあります。
• 壁に穴を開けてしまった
• 備品を壊してしまった
• 他者に手が出てしまった
• 近隣とトラブルになった
そのとき、現場ではつい、
「親御さんに弁償をお願いしましょう」
という言葉が出てしまうことがあります。
※こちらは、昨日、利用者の親目線で同じ内容を書いた記事です。
しかし、ここで一度、
立ち止まって考えてほしいことがあるのです。
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■ 成人した障害者の「親」は原則として監督義務者ではありません
現在の法制度では、
成人した知的障害・精神障害のある方について、
親であることだけで、法定の監督義務者になることはありません。
これは、
• 親が無責任だから
• 事業者が責任を押し付けられるから
ではなく、
本人の権利と尊厳を守るための制度設計です。
「親だから責任を負う」という前提は、
すでに法的には成立していません。
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■ 支援中の事故は「その場を管理している者」の責任です
福祉サービスの提供中に起きた出来事については、
• その時間
• その場所
• その活動
を管理している
事業者(=代理監督者)に責任がありあます。
したがって、
• 生活介護
• 移動支援
• ショートステイ
• 日中活動
などのサービス提供中の行為については、
👉 原則として、
事業者側が責任主体となります。
これは、
素直に、事業者が果たすべき役割の話です。
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■ 「親に払ってもらう」は、法的にも倫理的にも危うい
現場でよくある対応として、
• 親の保険で処理する前提
• 親に当然のように弁償を求める
こうした対応が見られます。
しかしこれは、法的根拠が乏しい対応ですので、
明らかにコンプライアンス上問題があります。
親に”過失責任”が認められるケースは、
例えば、
親が、家での不穏な様子などを、
事業者側に全く伝えず、
漫然と預けていたような場合です。
連絡帳などで、
適切に情報を伝えていたとすれば、
親に過失責任はありません。
つまり、
親が実質的な管理者として、”過失”が無ければ、
賠償義務は無いのです。
ですから、
もし親に、
修繕の協力をお願いするのであれば、
「お願い」「相談」という立場でなければなりません。
「当然、親の責任」という言葉は、
日々、必死に障害のある方を支援して疲弊している親御さんを、
深く傷つけることになります。
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■ 強度行動障害の支援は「予見可能性」と「環境調整」の仕事
強度行動障害の状態にある方の行動は、
• 突発的に見えて
• 実は、環境要因と密接に結びついている
ことが多くあります。
事業者に求められているのは、
• 起きたあとに誰かを責めることではなく
• 起きにくい環境をどれだけ作れていたか
という視点です。
ここを、
自らの責任で検証せず、
親の責任にすり替えてしまうと、
支援の質そのものが向上しません。
最近の保険会社は、
施設が、適切な環境調整などの、
支援の努力をしていなければ、
親の加入している保険は使わせないという
方向性になりつつあります。
専門家としての注意義務は、
相当に高度なものが求められるので
注意しなければなりません。
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■ 事業者を守るためにも、正しい理解が必要です
この話は、
「事業者が全部悪い」
と言いたいのではありません。
むしろ逆です。
• 法的な整理を誤る
• 親に不当な責任を負わせる
• 記録や説明が曖昧になる
こうした対応は、
結果的に事業者自身を危険にさらします。
責任の所在を正しく理解し、
記録を残し、
説明できる支援を行うこと。
それが、
利用者・家族・事業者
すべてを守ることにつながります。
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■国民の税金で運営する事業所の覚悟
強度行動障害の状態にある方の支援は、
簡単な仕事ではありません。
だからこそ、
• 親としっかりした協力関係を築く
• 法を誤解せず、コンプライアンスを重視する
• 恐怖や圧で収めようとしない
この姿勢が、
長く続く支援関係を支えます。
結果として、
障害福祉サービス事業者が永続的な発展をし、
多くの雇用と、利用者の生活を支えることにつながります。
「親の責任です」と、安直に言う前に、
ぜひ一度、
支援の主体は誰なのかを考えてみてください。
それは、
全ての国民の願いが込められた、
国民の税金で運営をしている、
事業者としての覚悟を問う問いでもあると思います。

