☆自己紹介☆
名前…Hiromi/Kanan/Kana Hiro...etc
誕生日…8月13日(しし座)
血液型…B型(RH+)
出身地…東京都
住まい…東京都
趣味…音楽鑑賞・文通・ゲーム
特技…リモコンやコントローラーの手入れ
興味・関心…英語、心理学、薬学、都市伝説、2025年の出来事
好きな食べ物…鶏の唐揚げ、ピザ、寿司、餃子、ラーメン、つけ麺、"大勝軒しのや"の厚切りバラチャーシュー
嫌いな食べ物…多分パクチー?まだ食べて見たことなくて解らない
My History
昭和も終わりかけの昭和60年・夏、
私の母は出産を控え産婦人科の病室のベッドの上に居ました。
傍らのラジオから流れてきたのは、「日航機墜落事故」のニュース。それは、私の飛行機を避けたいと思う人生の始まりでした。
翌日、私は2650gと、当時としては小ぶりで、あと150g少なく産まれていたら保育器に入るところだったそうです。
(今では、2640gで産まれた息子がピンピンしてる様に、その位では保育器には入らない。)
産まれた私は、"裕美"と書いて"ひろみ"と名付けられました。
幼少期の私は、そこそこ活発な女の子で、幼なじみの男の子に混じって、いかにも子供らしいネーミングの「裕太くん体操」なるもので遊んでいました。
その名の通り、幼なじみの裕太君が勝手に作った体操でした
また、ある日には、スーパー戦隊シリーズのヒーローの真似事。
またある日は、"いろおに" や "たかおに" や "こおりおに" 、"かくれんぼ" "はないちもんめ" "鬼ごっこ" "ゴム段"と、色んな遊びをしていました。
そんな私は小学生に上がると、不安と緊張からか、教室で泣きべそかくことが多くなり、元気印がなりを潜めて"内弁慶"になってしまいました。
中学生になると、益々「これでいいの?」「みんなの方がしっかりしてる」「みんな大人だな」と心配性が仇となり、中3の三学期に不登校になりました。
寝室の窓から快晴の青空を横になりながら見上げては「いつになればこのモヤモヤはなくなるの?」と思ったけど。。
結局は卒業遠足と卒業式のみ参加してあとはほぼ登校しませんでした。
みんなと違う進路を取る不安もあったけど、それでもまだやる気があった。
学業以外の何かやりたかった事をやってみようと、テ〇トルアカデミーの94期生のオーディションを受けました。
まぁ審査が甘いのだろうか、受かりました。
高田馬場・早稲田にあったスタジオに毎週水曜日に通ってレッスンの日々。
合間にアルバイト。
そして、私は18歳になると、娘達の父親になる人と交際を始めた。
to be continued…
※長くなるので続きはまた後ほど。
ここまで読んで下さった方、
ありがとうございました。
※すみません、記事の内容とは無関係ですが、
最近ポイ活にハマっていて、オススメしたいと思います。
テレビ番組のエンドロールで見掛ける様に、市場調査と言えばマクロミルってほど。
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