7/29 入院30日目 | 27歳からの脳腫瘍のススメ

27歳からの脳腫瘍のススメ

毎日なんとなく生きてたら
ある日突然、目の前が真っ白になって
そこから世界が変わった。

毎日ダラダラと必死です。
楽しいことは全部やりたい♡

G2ときどきG3、
摘出→放射線+テモダール

*日記は翌日に書くことにしてます

こんにちわー。
入院30日目、
テモダール30/44回
放射線21/30回です。

とうとう放射線が残り10回をきりましたー。
順調にハゲていってますw
脱毛したショックというのはあんまりないのだけど、
好奇の目で見られることと、
ベッドや服が髪の毛だらけになるのがつらぁ(T_T)
早く抜けきってくれんかなー
とっても鬱陶しい。。


今日はよさこい友達がお見舞いに来てくれました。
一人は2ヶ月の赤ちゃんを連れて、
もう一人は、もうすぐ出産予定で。

うーん赤ちゃんは可愛い!むちむちすべすべ。
二人とも幸せオーラいっぱいで、羨ましかったなあ。


子どもを産むって、脳腫瘍になった女性の方としては
どうしてもハードルがあがってしまいますよね。
予後のことも考えたりして、結婚そのものも難しく考えてしまったり。
わたしも脳腫瘍が見つかったはじめに一番悩んだのはそこでした。

悩みすぎて、そして同時期に仕事復帰したこともあって、
ぽっかーん円形脱毛ができて!w
そしてあちこち増えていきました。

わたしの場合、彼がいて、そして5年目の付き合いだということもあって、
既に結婚を考え始めている時期でした。
そんなときにぶっ倒れて、そのままあれよあれよと手術になって、
退院して、これからのことをゆっくりと考えていこう、そう考えていました。

けれど退院後にかなり時間のかかった病理組織診断結果で、
G2の中にG3が混在していることが分かり、
なるべく早く放射線とテモダールをすることが決まり、
そしてテモダールはできるだけ長く、続けられる限り何年もやってほしいと言われ
子どもが欲しければ、卵子凍結の必要があると言われました。
放射線とテモダールした後に、女性機能が正常か100%の保証がないので。


もちろんそれを聞いた時点で迷わず卵子凍結しようと思いました。
出産の有無に関係なく「産める」という可能性を残しておきたかったから。

でも、意見の相違がありました。
彼は、あまり子どもを欲しがっていないのです。
「もし卵子凍結しても、子どもは欲しくない。でもお前には可能性があるから、しといたら。」
それが彼の言葉でした。これは、出産を望むなら別の男とにしてくれということです。

これがかなりショックで。泣いても泣いても悲しいのが止まらなくて。
とてもこのとき、心が不安定になりました。友達にもたくさん相談しました。

その後日、同じ病院の婦人科を受診しました。彼も一緒に。
そこで、卵子凍結の方法を詳しく聞きました。
これがめっちゃめちゃ痛そうで。要は、えっと、卵管かな、卵巣かな?に、
針を刺して、吸い出すんです。卵子を。想像だけで痛そうでしょ。
説明を聞いた帰りはもうゲッソリしてしまって。。


わたしは、いろんなことを考えた上で、卵子凍結をしないことに決めました。

当時はまだ手術してから一ヶ月も経ってなくて、精神も安定しておらず
ようやく普通の生活に戻ったところで、再び痛みに耐える自信がありませんでした。。

それに、彼が協力してくれないと、卵子凍結したってなんの意味もないのです。

その二つの不安要素が、乗り越えられなくて、
これくらいのことも乗り越えられないんなら、子どももつ資格はないんじゃないか、
とすら思えてきて、自己嫌悪に陥りながら、泣く泣くこの決断をしました。


せめて、女性には本能で辛いところがあるというのを、
彼が理解してくれたなら、、、今でもそう思います。


子どもは好きです。わがままな子もいるけど、素直で優しい子がたくさんいます。

わたしは少し特殊な環境で育って、(親元です)
いつも人の目を気にしたり、人から愛されるのに必死な人間になりました。

だから、もしも子どもができたなら、たくさんたくさん無償の愛を注いであげたいな、とずっと思っています。



・・・今日は少し長くて暗い話になりました~。
過去日記のジャンル作って書く予定だった話を書いてみました。

書いたのには理由があります。

冒頭に書いた、「長年続ける予定のテモダール」
これをね、退院したら、しなくてよくなりそうなんです。

先生が仰るには、放射線が功を奏して、MRIの画像もきれいなもんだと。
治療チームで話して、これならテモダールせんくても大丈夫そうだねってなったと。

これはかなり嬉しいーーーーーー
なにより月の負担額ががっくーーーーーん変わってくるー
副作用に関しては便秘以外ないんでなんとも分からず。。
回数重ねるごとに重くなっていくらしいんで。

というわけで、わたしの未来には、
想像していたどす黒い状況よっかは、多少楽しいことが待ってるみたいです。

妊娠もきっとできるでしょう。
もちろん、彼をその気にさせるという最大の難関があるわけだけど。
もう夜這いしかなくない?



このこと、この場で報告するかすごく迷いました。
同じ状況の方には、
「あーあ、よかったね。けっ‼︎」と思う方もいらっしゃるかも知れないから。

でもね、思ったんです。

いきなりぶっ倒れて、手術することになったとき、
わたし、ネット環境あるとこどこでも脳腫瘍の方のブログ見漁ってました。
術後経過の良い方や、病気乗り越えて結婚・出産している方を求めて。
自分の未来に希望を持ちたくて。

けれど一番多く見つかったのは、更新が途中で止まったブログや、
ご家族が亡くなったことを報告して終わっているブログでした。

絶望でした。未来への希望という前に、まず寿命なんぼのレベルの病気かー、と。

でも、いま、こういう結果になっています。

もちろんこれが全てじゃないし、この病の中では運が良かった方なんだと思います。
たまたまわたしの住んでるところから近い大学病院が術中MRI導入してるとか、
腫瘍の種類とできた場所が良かったとか、色々な要因が組み合わさって、こうなったんです。

それでも。
いきなり「脳腫瘍」といわれて、混乱してる人に、
こんな例もあるよーー!って、伝えたくて。

自己満足でもあるし、期待させ損なんてこともあるんだけどね。。。

願わくば、わたしと同じ不安を抱えている人のもとに
この文章が届き、そして力となりますように。


闘病で一番大事なのは、
やりたいことや、食べたいもの、見たい本、友達に会って言いたいことを考えること、なーんでも
「これからのこと」を楽しく、ああしたいこうしたいと考えることだと思います。

誰もすぐ先の未来ですら見ることはできないのだから。