映画【砂の器】丹波哲郎×加藤剛×森田健作 | ∠かなめまよの胸はって行け〜!自信持って行け〜!

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こんにちは。日中は暖かくなって来ましたね☀️3月最後のブログです。今日は1974年の映画【砂の器】を紹介させて下さい。

この映画が封切りされた頃はまだ私は小学六年生だったので当時は未見で、先にTBS系連ドラの中居正広さん版【砂の器】を観て映画に興味を持ち、1年くらい前にHuluで視聴しました。

砂の器】は元は松本清張先生の長編推理小説でした
東京都内、大田区蒲田駅操車場で起きたある殺人事件を発端に刑事の捜査と犯罪者の動静を描く長編小説です。松本清張作品の中でも特に著名な一つでもあります。ハンセン氏病を物語の背景としたことでも知られ大きな話題を呼びました。ミステリーとしては方言周圏論に基く(東北訛りと「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなってます)設定が重要な鍵。1974年松竹で映画化されました。
🟢まずは恒例の映画予告編をどうぞ😊

🟢映画【砂の器】のキャストは、

⏳今西栄太郎(丹波哲郎)警視庁捜査一課警部補

吉村弘(森田健作)西蒲田警察署刑事課巡査

和賀英良/本浦秀夫(加藤剛)天才ピアニスト兼作曲家

高木理恵子(島田陽子)高級クラブ「ボヌール」のホステスで和賀英良の愛人

田所佐知子(山口果林)前大蔵大臣・田所重喜(佐分利信)の令嬢。和賀と婚約予定

田所重喜(佐分利信)前大蔵大臣。和賀の後継者

三木謙一(緒形拳)元亀嵩駐在所巡査

本浦千代吉(加藤嘉)秀夫の父。ハンセン病に侵されている

本浦秀夫【少年期】(春田和秀)

🟢映画【砂の器】のあらすじです。
【起】

1971624日早朝、東京の国鉄蒲田操車場で殺害された男性の死体が発見されました。被害者の身元は不明で推定年齢560歳でした。事件の捜査にあたったベテランの今西刑事(丹波哲郎)と若手の吉村刑事(森田健作)は聞き込み捜査から被害者は殺害の数時間前に現場近くのバーで若い男と一緒に酒を飲んでいたことを突き止めます。

バーのホステスの証言によると、被害者は強い東北弁訛りで「カメダ」という言葉を何度も発言していました。東北の各県から「カメダ=亀田」姓の人物がリストアップされましたが該当者はなく次に今西と吉村は秋田県亀田に行きましたがここでも手がかりは何一つ発見できませんでした。


その帰り、二人は列車内で天才音楽家の和賀英良(加藤剛)に遭遇します。

【承】

84日、何一つ手がかりのないまま捜査本部は解散、規模を縮小した継続捜査に移行します。その日、中央線の列車の窓から一人の女が白い紙吹雪を車外に撒き散らしていました。その娘の事を新聞のコラムで知った吉村にはある疑問が生まれました。紙吹雪とは布切れだったのではないかと思った吉村は新聞社に問い合わせ、紙吹雪の女こと銀座のホステス高木理恵子(島田陽子)の元に向かいますが彼女は関与を否定し姿を消します。


そのバーには吉村らが先日遭遇した和賀が婚約者で前大蔵大臣令嬢の田所佐知子(山口果林)を伴って来店していました。89日、被害者の身元は岡山県在住の三木謙一(緒形拳)と判明します。しかし岡山には「カメダ」という地名はなく、三木の知人にも「カメダ」という人物は存在しませんでした。


それでも今西は執念の捜査で島根県の出雲地方には東北弁によく似た方言がありそして亀嵩(かめだけ)という土地があることを突き止めました。三木はこの地で巡査として勤務していたのです。

【転】

今西は亀嵩に向かい、一方の吉村は中央線沿線で紙吹雪を発見しそれが布切れだったことを突き止めていました。しかもその布切れには被害者と同じ血液型の血痕が付着していました。その頃、理恵子は愛人関係にある和賀の子を身籠っており生ませて欲しいと和賀に頼みますが和賀は冷たく拒否します。


やがて理恵子は路上で流産しそのまま死亡してしまいます。吉村は理恵子のアパートを突き止め彼女こそが紙吹雪の女だと確信するのでした。一方、亀嵩の今西は三木の親友だった桐原(笠智衆)から事情を聞き、三木が死の直前に伊勢参りに向かったという伊勢に飛びます。

そこで三木が2日続けて通っていたという映画館に行き、和賀の写真が壁に飾ってあるのを発見します。三木は伊勢参りの後に岡山に戻る予定を変更して東京に向かっていたのです。その後、今西は亀嵩で三木が貧しい乞食の父子を助けハンセン病を患っていた父・本浦千代吉(加藤嘉)を入院させ子の秀夫(春田和秀)を引き取って育てていたことを知りました。


すぐさま本浦の故郷の石川県に飛びさらには和賀の本籍地である大阪市浪速区へ向かいます。今西は秀夫こそが和賀の正体だと確信していました。その頃、和賀は自らの集大成となるピアノ協奏曲「宿命」の発表に向けて準備をしているところでした。

【結】

本浦は太平洋戦争時代の1942年に妻と離縁し当時6歳だった息子の秀夫を連れて故郷を飛び出していました。親子は行く先々でハンセン病の為いわれのない差別や迫害を受け亀嵩で息倒れていた所を三木に保護されていました。しかし1944年に突如として秀夫が失踪して大阪に出て、戦後の混乱期を上手く利用して戦災で亡くなった人物の入手、「和賀英良」と改名していたんです。三木は伊勢の映画館で和賀の写真を見るなり秀夫である事を確信。余命わずかな父親に会わせたいと願っていましたが和賀は大成功を極めた今の人生を“過去のハンセン病患者家族である事や戸籍乗っ取り犯罪"などの過去を知られるのを恐れて恩人である三木の殺害に至りました。

10月2日、今西は警視庁の合同捜査会議で捜査結果を報告し和賀英良の逮捕状を請求します。

その日、超満員のホールで和賀は自らの人生を賭けたピアノ協奏曲「宿命」の演奏会に臨んでいました。

舞台の袖で逮捕状を持った今西と吉村が待機してました。演奏が終わり和賀は観客からの大喝采を浴びるのでした。

🟢映画【砂の器】のラストは?

和賀はどうして拾って面倒を見て育ててくれた恩人の三木巡査を殺害したのか、生き別れになった余命わずかの父親との再会をどうして拒んだのか。映画【砂の器】でのラストシーンで和賀が渾身のピアノ協奏曲「宿命」を奏でているステージ袖で逮捕を待っている時の今西と吉村の会話にこんなセリフがありました。

「今西さん、和賀は本当は父親に会いたかったでしょうね……」

「そんな事は決まってる。今、彼は音楽を通して父親に会っている、彼にはもう音楽の中でしか父親に会えないんだ……」

この時の2人のセリフが和賀の奏でる「宿命」という曲と重なり、和賀の幼少期の苦しさや貧しさ、そして父親のハンセン病による世間からの偏見、苦しいながらもお遍路旅に出て親子2人で歩いた長い長い道。そんな父親と自分を隔ててしまった人や物達への哀しみや憎しみが奇しくも「宿命」に全てを注ぎ込んだ大作となった。和賀が手を染めた過ちは日本を代表するピアニストとなった自分自身の保身だけじゃ無かったのかも知れません。

映画【砂の器】はこのような言葉で締め括られていました。

「旅の形はどのように変わっても親と子の【宿命】だけは永遠のものである」


🟢ハンセン病ってなに?

私の地元、岡山県で場所は瀬戸内市邑久町虫明。私の自宅から車で30分くらいの場所に長島愛生園って施設があります。長島愛生園は日本初の国立療養所として1930年(昭和5年)に開設されました。そして国の政策として多くのハンセン病患者がこの療養所に隔離されました。ハンセン病は主に皮膚や末梢神経を侵す慢性の感染症ですが1945年頃には特効薬ができ治る病気になっていたにもかかわらず【らい予防法】が廃止される1996年までの長い月日、隔離政策が漫然と続いていたんです。地元だからか長島愛生園の話は割と早い時期から知ってはいましたが中居正広さんの【砂の器】を視聴し、映画【砂の器】での差別迫害理由を知り初めて「それで孤島に隔離されていたんだ」とショックでした。あの島には近付いちゃ行けない……的な教え方しかされなかった昭和の時代。当然ネットも無かったから調べるのも限度があり無知って怖いなと思わされた1件でした。国が設置した最初の療養所として長島の場所が選ばれた理由は離島という環境が隔離にもっとも適していると考えられていた為です。定住する人がほとんどおらず、島の大部分が固有地だったという環境も国立療養所開設を後押しする一因となりました。入所者みずから道を切り拓いた園内には入所者用住宅があって生活に必要とされる仕事の殆どは入所者みずからが分担して行っていたそう。山中には農場、牛舎なども作られその遺構の1部は現在も目にする事が出来るらしいです。「隔離の島」と呼ばれていた長島に橋が架かったのは1988年、園が出来て58年もの間、船で行き来させられていた事に取り掛かりが「遅いわっ」って言いたいですよね。

🟢映画【砂の器】と中居正広さん版【砂の器】の迫害理由の違い。


⏳⋆͛【映画/砂の器】

映画では「ハンセン病」がキーワードです。病気の偏見に晒されて人並みの生活がしたかった親子の別離と残された子供がどうにか人並みの器を手に入れたと思っていたらそれはすぐに崩れる砂の器だったというストーリー。ハンセン病は身体上の外見が崩れ人にかつては感染すると信じられていた病気で治療法が確立し「人に高確率では感染しない」と判明してもなお厳重な隔離処置がつい最近まで取られていた日本最悪の人権を踏みにじると言っていいと思います。(この【砂の器】の映画が公開された後も平成8年まで続いていたという愚かな現実)戸籍を剥奪され「生きているのに死んだ」とされてしまい隔離された人は五万といるそうです。兄弟姉妹でさえそれを知らず老人になって実は生きていた事を知ったって話も多いそう。実際に殺人事件になった事は無いにしてもそれに限りなく近い話はあったのだという事実は後世に語り継いで行かなくちゃと思わされました。

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【中居正広さん版連ドラ【砂の器】】

TBS系「日曜劇場」枠で2004年に全11話構成で放送。テレビ連ドラ版は放送コードに引っかかるんでしょう、ハンセン病を回避し、「30人殺し」に変えた事で【砂の器】の根本を大きく変えてしまった。主役も中居正広さん演じる和賀英良目線に変更。その事で結構な数、批判もされた様ですが和賀英良の父親に対する愛と憎しみのせめぎあいの気持ちを主軸に据えたストーリーとして描きたかった意図があるなら父親が大量殺人犯で……の設定も、中居正広さん演じる和賀英良を主人公としたのもプラスに働いたと思います。実際、凄く良かったからね、中居ちゃんドラマ❤️

昔、書いた中居正広さん版【砂の器】も良かったら見てください🎹


実は、昨日、【ゴジラマイナスワン】行って来ました。

鼻水、涙がダダ漏れで過呼吸なる1歩手間くらい泣いてしまいました。巷では「ゴジナキ」って言われてんのかな?アカデミー賞取ったの大納得です。日本もここまでやれるんだ、感動しました。

また映画館上映が終わったらブログに書いてみたいな。次回はドラマの予定です📺いつも長文にお付き合い下さって、いらして下さって本当にありがとうございます🙇‍♀️

明日から4月🌸

エイプリールフール、何する?

👋またね👋