東映京都撮影所は、5年に1度の大作「新撰組」の撮影に沸いていた。
何といってもそのウリは、撮影所自慢の高さ数十メートルの樫の木の大階段で撮影するダイナミックなクライマックスである。
池田屋に討ち入った新撰組隊士が、スタントを担当する“大部屋”役者を大階段の上から斬りおとし、壮絶に落下して行くその様を大迫力で映し出して映画を締めくくる、いわゆる『階段落ち』である。
もちろん、落とされた役者はただではすまない。
軽くて半身不随、重ければ死亡という多大なリスクが付きまとう。
しかし、撮影所の大部屋にすし詰めにされて日々を過ごす大部屋役者達が、それと引き換えに1日だけスターになれるのが、この映画だった。
この年、土方歳三役でその主役を張るのは倉岡銀四郎(風間杜夫)だった。
彼には、自分を「銀ちゃん」と呼んで慕うヤス(平田満)という大部屋役者がついていた。
2人は、スターと大部屋という奇妙な組み合わせでありながら、それ以上に奇妙な関係を持っていた。
銀四郎の恋人であり、その子を身ごもった女優・水原小夏(松坂慶子)を、彼は出世のためにヤスに押し付けたのだ。
妻の腹の中にいるのが自らの子ではないと知りながら、夫となったヤスは大部屋として危険な役をこなしてお産の費用を出そうとする。
結婚してからも銀ちゃんに惚れ込んでいた小夏の心は、子供の父親として頑張るヤスへと次第に移って行く。
が、そこに、小夏が自分にとってもっとも大事な女性だと気づいた銀四郎が戻ってくる。
【蒲田行進曲】の挿入歌がね、中村雅俊さんの【恋人も濡れる街角】だったんだ。
当時、ライブに1度だけ行った事あるけど中村雅俊さんの温かい人柄がすごく溢れた素敵なライブだったのを思い出したな
作詞作曲はサザンの桑田佳祐さんで〜す!
意味深な歌詞と一緒にどーぞo(^▽^)o
角川春樹が提案した【蒲田行進曲】映画化の企画を、東映の社長は「この企画は当たらないから」と断ったために、松竹が製作にあたったそうです。
大ヒットしたのに、
逃がした魚は大きいよね〜ヽ(´o`;
当時の日本映画界を網羅していた角川映画とやっと念願の提携を果たした松竹であったが、撮影は松竹の撮影所でなく、あえて東映の京都撮影所で撮影するという異例の試みが取られました。
監督も東映出身の深作欣二監督であり、こうしたねじれがあったせいで最初は東映側、松竹側の双方で軋轢があったという話でした。
もともと『蒲田行進曲』は松竹の蒲田撮影所を舞台としているものの、つかこうへいは東映京都撮影所の実際の大部屋俳優だった汐路章さんの階段落ちの逸話をテレビ『徹子の部屋』で汐路さんが語ったことで知り、
汐路章さんをモデルに執筆したもので、
実際は時代劇全盛期の東映京都の話として描かれているらしいです。
撮影時の東映京都撮影所の所長は、
劇中の「銀ちゃん」は東映の「錦ちゃん」こと萬屋錦之介さんをイメージしたようだと語っています。
配役は松竹作品ということで、まずヒロインの小夏に松坂慶子が起用されました。
超絶、綺麗だったよね!松坂慶子さん
銀四郎とヤスについては難航し、プロデューサーの角川の提案で最初は松田優作に銀四郎役の出演依頼がなされたが松田は辞退し、結局スケジュールの余裕がなくなったことから、つか作品の舞台に数多く出演していた風間杜夫と平田満が主役に起用され、結果的に2人の出世作となったんだって〜。
風間が深作に指名されたのは撮影直前のことだったそう。
また、映画でキャリアのない平田満に対して深作監督は
「舞台のままにやってくれたらいい」と気遣ってくれたといいます。
深作監督は、
「デビュー当時、東映社長にいわれた映画の三要素、
【泣く、笑う、手に汗をにぎる】
の三拍子が揃った」と自負しました。
最初は東映社長は角川春樹に「ヒットしない」と語っていたけど、配給収入は17億6000万円と大ヒットを記録‼️
クライマックスのこの階段落ちのシーン、お約束ごとだとわかっていながら不覚にも(笑)ポロポロ泣いたもんね。
何度もアンコール上映も行われました。
それまで角川映画は大量宣伝によりヒットしていた一方で、話題先行で質が伴わないという風評があったが、本作によってようやく作品的にも評価されるようになり、
第6回日本アカデミー賞をはじめ映画界の各賞を多数受賞したんだよ。
今までは大量の宣伝スポットによりヒットしてきた角川映画において、
【蒲田行進曲】は口コミ中心で面白さが伝わり大ヒットしたことも角川映画としては異例でした。
当時はネットも何も情報を仕入れる手段が余りなかったからね。
私は【キネマ旬報】や【ロードショー】
【スクリーン】って雑誌を毎月購入していて参考にしてたなぁ。
ポロポロ泣いたあと、