仕事納めの日のインスタのストーリーの内容。
はい、靴下、無くしました。
これ、冬の必需品。
早番の時、玄関が寒いので、
靴下の上から履いてます。
そんな靴下を・・・
無くした・・・っぽいです。
仕事帰りに、
自分の荷物を片付けていて
洗濯しようと思って持ち帰ってました。
ただ、持って帰るものも多くて、
色々とカバンに突っ込んだ感じになってしまい
家に帰って、部屋にカバンを置いたとき
靴下がポロッと落ちて、
片方しかないことに気づきました。
車の中にもなく・・・。
職場?
職場の駐車場で落とした?
気付いたのが夜だし、探しに行くのも・・・と言うことで
保留にしてますが・・・
ストーリーズを上げて、
ふと思いました。
今までだったら、こんな記事、あげること、できませんでした。
仕方ないよねー。
もちろん、残念な気持ちには変わりないのですが…
ストーリーズにあげたのも、
今までよりとっても軽い気持ちでした。
何が違うのだろう?
思い返してみると
そこには
こういう失敗=隙がある=弱みになって自分が不利になる
という方程式が出来上がっていたことに気づいたのです。
その理由は、
過去の出来事がきっかけでした。
それは、
過去の上司との関係、過去の勤務先での職員さんとの関係でした。
どちらも
ミスをしたら、そこからものすごく責められる
もしくは、かなり足を引っ張られる
ということが頻発したからでした。
上司は、行事の準備など、前日までに確認をしていても、
私に抜けているところがあったとすると、
そこにいち早く気づいて、物を隠されることが続きました。←後ほど、上司の同僚から知らされた。。。
職員さんとは、
職員さんが私よりも年上で、保育経験が長かった場合
私の方が役職が上だと、
少しでも保育のことが答えられないと、
本社に「あの人にあの役職はおかしい」と
クレームが入ったりしました。
なので、ミスをする、抜けがあるって、
自分の中では大きな損失でしかなかった。
ミスがホントに命取りでした。
つけ入る隙を与えてしまった…的な、
こういう、自分のプライベートな失敗であっても
自分責めが止まりませんでした。
ですが・・・
なんか知らんが、
これもネタになっていた・・・。
書き換えられていたみたいです。
ストーリーズにあげてみて、気づきました。
もともと、ゆるゆる生きると、私自身、すごく抜けています。
ちょっと自然体に振る舞えるようになってきたなーと思うと
そこを否定してくる人にたくさん出会いました。
今で言えば
本気で自然体で生きたいのかっていう
お試しだったかもしれないなと思うのですが…。
自分で映写してたのかもしれないな。
そんなことを思った仕事納めでした。