超えてこい。それは真の快適となる。 | ヨガジャーニー&宇宙の法則が教えてくれること

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ヨガの哲学の実践から学んだこと、シンクロニシティ、日々の気づきを綴ります。自身はアシュタンギ。

 

 

 
「コンフォートゾーンを日々少しずつ超える」
 
先日、その重要性についてアシュタンガヨガの師匠からお話しがありました。
 
 

 

 

 
コンフォートゾーンを超え続ける。
 
そんなことを聞くと
 
「ヨガでは快適(コンフォタブル)な呼吸を目指すのでは?
それを超えるほど頑張るの?」
 
「無理にポーズを取るのって良くないのでしょ?」
 
思う方がいらっしゃるかもしれません。
 
 
それは、まさにその通り。グッド!
 
ここでいう「コンフォートゾーン」「快適な呼吸・アーサナ」とは
 
別の意味を指しています。
 
 
また
 
「ずっとコンフォートゾーンを超え続けるって
それってずっとなにかを追いかけて生きろってこと?
なんか疲れそう・・・驚き
 
「一生安心しちゃいけないってこと?オエー
 
「進化や結果に執着しすぎるのはダメなんでしょ?」
 
などの印象を受けるかもしれません。
 
そのお気持ちもとても理解できます。
 
 
 
しかし、アシュタンガヨガを日々継続して練習していると
 
いえ
 
ヨガに限らず
 
日常的に自分に課したなにかを継続的に行い、
 
向上を目指す場合は、
 
少しづつその真意に頷けるのではないかと思います。
 
 
 
楽器の練習やお料理、ウォーキング、字を書くこと、
 
趣味であれ、仕事であれ、なんでも。です。
 
 
 
アシュタンガヨガはポーズの
 
シークエンスが決まっているのですが、
 
一気に練習することはせず、
 
先生の指導のもと1つずつポーズが与えられます。
 
日々のリピテーションにより少しずつ身体と呼吸が進化していくのですが
 
貰いたてのポーズは難しくハードに感じる事も多いです。
 
(それらは、その個人個人により違う学びと気付きを与えます)
 
 
さらに各シリーズには一般的に難易度の高いキーとなるポーズが存在し、
 
私たちの身体の強度、柔軟性、精神力、忍耐力などさまざまなチェックポイントとなる
 
いわば関所的なポーズとなります。
 
 
フルプライマリーシリーズ(第1シリーズ)で
 
関所となったポーズも日々修練していくことで
 
ある程度のクオリティになりますが、それで終わることはありません。
 
 
その後、セカンドシリーズに入り(第2シリーズ)
 
より高度なシークエンスを進めていくことで、その前に練習していた
 
フルプライマリーシリーズの各ポーズが
 
自分の中で快適で輝くものになっていくのを感じます。
 
これは
 
「難しいことができるようになったから、前にやっていた事が簡単に感じるひらめき
 
という類の事とは少し違います。
 
理解が深まり、進化を遂げるという感覚。
 
ヨガの素晴らしい恩恵の1つだと感じます。
 
 
出来た事だけを、同じように
 
繰り返していてもこの感覚は訪れない。
 
新しい景色は見れない。
 
(私自身、今も完璧にフルプライマリーが熟練したレベルにある訳ではないです)
 
 
コンフォートゾーンを越えるための練習はタパス(修練・火を絶やさない正しい努力)
 
が必要で「易しく、お手軽、楽ちん」なものではないです。
 
 
しかし、どんな事でも少しづつ、
 
今のコンフォートゾーンを越える方向に自分を導く事が重要です。
 
そして、それは「出来た」「出来なかった」という
 
結果によってのみ左右されるものではありません。
 
「出来なかった」を「知る・認める」行為自体もコンフォートゾーンを超えていきます。
 
動的な動きのみがコンフォートゾーンを超える事に繋がる訳ではありません。
 
 
「ずっとコンフォートゾーンを超え続けるって
それってずっとなにかを追いかけて生きるってこと?
なんか疲れそう・・・」
 
「一生安心しちゃいけないってこと?」

 

 
という気持ちが湧くことに関しては
 
私達がずっと生きてきた
 
西洋式の資本社会で培った常識によるものだとも感じます。
 
定年まで我慢して、頑張って、頑張って、老後はのんびり暮らす。
 
というような2極的なイメージです。
 
さらに私たちは年齢的な制限や価値観もそこに投影しているように思えます。
 
いくつになっても超える事ができる。
 
60.70.80代でも進化し続けることは山のようにあるだろうし、
 
それが肉体的な苦痛を伴うとも思わない。
また、これからの時代は
 
「定年まで我慢して、頑張って、頑張って、老後はのんびり暮らす。」という
 
価値観が無くなってきているのも常識なので
 
このような感覚に目覚めて行く人も多くなっているのでしょう。
 
私も昔は、
 
「この日は頑張った!」
「この日はご褒美の日!」と
 
カテゴライズを多く作っていましたが、
 
週に6日、朝一から
 
どんな日も同じクオリティを目指し練習することによって(違っていい。あくまで目指す)
 
カテゴライズがどんどん不要になっていきました。
 
 
 
今は1日の中に春夏秋冬があり、それでいて穏やかな
 
生から死を自然と感じるような1日が楽しく、嬉しい。
 
 
コンフォートゾーンを越え続けるのは
 
真の快適の中に生きるため。
 
それらは矛盾しているようですが、
 
陰陽のように、互いに影響しあっています。
 
 
ヨガを練習してる方も、別の事に取り組んでいらっしゃる方も
 
自分にとって今、そんな気概が必要な方にも
 
何かお届けできたら嬉しいです目がハート
 
Thank you for your reading!