澄んだ目で見通さないと… | のんびり京都暮らしと少しの介護

のんびり京都暮らしと少しの介護

広島で4年、東京で20年と数年、京都に戻ったのが2010年。令和に変わったので心機一転でブログ開設。
裏垢 https://ameblo.jp/ptaro-reiwa

 若いころなら自分の人生も平均寿命の80歳前後かなとか、90歳まで行けば出来すぎと思って間違いはない。しかし、80歳ぐらいを過ぎていままでにガンや脳梗塞・心筋梗塞などの大きな病気にかかっていなければ、100歳ぐらいは通過点かもしれない。認知症も若年性は進行が早いみたいだけど、老化と見分けがつかない程度なら、家族と仲良く過ごしていればそうそう進まない。デイサービスへ行ければさらに良い。

 

 母は認知症で病院にかかっている訳ではない。認知症のテストにMMSEというのがある。普段の母の状態とMMSEの評価基準(0点~30点で30点が正常)を照らし合わせて自分が評価すると真ん中あたりかなと思う。専門医なら20点台と判断するかも知れない。10点台だと家族は「どうしようどうしよう」思い悩むレベルらしいが、グループホームなどに入所する人で10点台だとすごくしっかりしていて同じ利用者の介護を手伝ったりするレベルとか。じゃあ20点台だよね。

 

 要するに、同居するタイミングが早過ぎたということ。薬は飲んでいるが健康診断の数値は私より良いぐらいで、特に注意すべき点はない。前に述べたように主治医の先生には「元気でよろしい」と褒めてもらえるぐらい。​「もう平均寿命まで来ているから長くて5年だよ」なんて思うのは間違いのもと。平均寿命を超えて20年というのも当たり前のケース。5年後の100歳を見据えての計画が必要な時期だ。

 

 ​今更だけど、福知山を離れることがよかったのかどうか。

 自分が同居する前提なら、もともとの親の家をリフォームすることも、駅の近くのマンションを買うことも可能で、いろいろなオプションが実はあった。介護に関わる人手は変わらない。自分としてもそのまま老後生活に入れるし都合がよい。なにより両親にはそれが一番よかっただろう。