4月も終わり | のんびり京都暮らしと少しの介護

のんびり京都暮らしと少しの介護

広島で4年、東京で20年と数年、京都に戻ったのが2010年。令和に変わったので心機一転でブログ開設。
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 3月末でなにか変化があるのかと期待していたが、4月ももう終わり。日限を自分で決められるのならよいが、他の人の都合によって先が見通せないというのはストレスが溜まるもの。何かを言うと責任が生じるので、当たり障りのない無関係を装うのが誰にとっても処世術のひとつでもある。

 

 先日の自転車での転倒。膝はまだ曲がりにくい状態が続く。このまま定着してしまうと若干の障害が残る感じになるので困った。母を長い時間ひとりにしないように焦るから転倒もするし、下手をすると人身事故にもなるから怖いけど、買い物をやめると食事が問題になる。自分が自転車で怪我をするか、母が家で転倒して怪我をするか。これが将来の伏線になりそうな気がする。

 

 季節の変わり目で体調もすぐれないし、精神的にも肉体的にも限界なのかも知れない。しかし、こればかりは自分もちゃんとは理解できない。突然プツリと切れてしまうものかも知れない。まあ、続けられる限り現状を続けるしかない。気持ち的には3月末で途切れてしまったけど、もう一度巻きなおして気持ちを立て直さないといけない。母の体調はあまり変化がないのだけは救い。体調が悪化するとその数倍も認知症の状態が悪くなる。体調さえ維持できれば百歳もあながち無理ではないかも。

 

 連休明けには、階段に手すりが付くだろう。ずっと必要性を感じていたけど、荷物の上げ下ろしに邪魔になるから無理やりには付けてなかった。でも、まだ介護が続くならそんなことは言っていられない。自分の家なら自費でも至る所に手すりを設置するし、必要なリフォームはするのだが。

 また、食洗器も設置した。これも必要性を感じていたが、いつまで自分がここにいるかわからないので勝手に食洗器を入れるわけにもいかなかった。でも、まだ介護が続くならそんなことは言っていられない。

 

 生活環境が中心だけど介護のプラスになることは、もう気にせずにやってしまおう。あまり兄弟に期待していても肩透かしばかりではストレスしか残らない。

 世間はGWを楽しんでいる中、そんな気持ちを持ちながらの5月のスタート。