カレンダーについて考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

唐突にですがカレンダーについて考えて居ました、変な疑問符かも知れませんが、カレンダーって最先端のIT革新や科学的進化成長を遂げる現代人の意識下において、カレンダーって現代人全員に必要不可欠な存在なのでしょうか、今を生きる上で絶対的に要るものなのかと問われると私自身は自信が持てなくなって半ば無意識のうちにの確信という枠がふいに外れたような気分になりました、いつからか何故だか人は古くから歴史的にカレンダーについて考えて来た物語性があるように考えて観ました、天体観測をして空を眺めて来る日も来る日も記録して微分を重ねて、陽の長さを知り夜の星々を知り天候や気象の傾向を知り、積分により今日や明日を知る物語、形は様々違ってもカレンダーを創り又再考し作り変えたり創り直し観たり、さんざんカレンダーを各自創造しながら、統一性はなく、今も尚各地域によって色んなカレンダーがあるように想い観ました、例えば私が山で又森の中で自給自足をするような猿人だったとき、今日が何曜日だとか今日のお月さんが何夜だとか、今が何月何日で何時頃に寝て何時から起きてお仕事するかとか、恵方吉方や大安か仏滅かなんて考えて過ごしていたのだろうか、というふとした疑問の他愛のないお話かも知れません、ただ昔昔の自分自身がカレンダーなんて知らず意識せずに生きていられたのなら、何故現在の自身はカレンダーを気にして或いは又、宗教のように意識して毎日毎日カレンダーを気にして生きている訳でもありませんが、完全に無視はしていなくて、時々には今日はいい日で在りますようにとか、カレンダーがこうだからああしよう、こうしよう、若しくはやらなきゃとか、しといた方がいいかもなんて、よくない日は何かを避けたいなだとかいい日にしようとか、変な教養や雑学が浅はかにあるおかげさまで、そういう知識に縛られていたり、たまには気にして頼りにして又はカレンダーに則って乗っかってカレンダーを信じて生きている自分自身を知ります、変なお話が今の私にそれが要るのかい?必要なのかい?絶対かい?とカレンダー無ければ生きて行けないのか、楽しめないのかと問われれば、うーむと解答に困ったり内心あれば役に立つしお仕事や社会生活を営む上では、何月何日何曜日くらいは必要ですが、それ以外は本気で必要ないかも知れないなんて考えて観ました、その根拠は子どもの頃、学校に上がる以前はカレンダーなんて気にせずに毎日生きていた純真無垢なカレンダー知らずの自分を知るからでもあるからかも知れません、本日は夏至との模様です、ケプラーさんの法則により地球は楕円軌道をたどって太陽の周りを一周していると言われています、楕円形は例えば極端にアーモンド形だと考えた場合、アーモンドの円形の長い方の片面側のちょうど半分くらい中間地点が、いわゆる夏至点や冬至点とも呼ばれる一辺の間とも言えるかも知れません、スマホでいうと形はスクエアになりますが、長方形の長い方の真ん中辺りとするとイメージしやすいかも知れません、スマホを手にして左側の縦の中間、或いは又右側の縦の中間くらいが今日という訳です、スマホの形の周囲のどの辺に自分自身が今日居るのか位置しているのか考えて観るとわかりやすいかも知れませんが、例えば横だろうと縦だろうとどの辺に自分自身がいるのか分かって観たところで、今日自分自身が生きることに何が影響するのかという不思議な疑問のお話でした、ただそこにある物語性の中に今日を生きる上でのワクワクや楽しみや面白さや前向きさや希望が見出せる、自身に魅せてくれるような物語性エンタメ性呪の力があるのであれば、それはその人それぞれですがその人にとっては大切なツールになるように想います、いいかわるいか、知って賢く知らずに未熟や馬鹿者でもなく、カレンダー機能が暦という知識が自分にとっての生きる知恵になるのであれば、それは音楽を聴いて癒されたり芸術に触れて楽しいかったり励まされたり勇気を貰ったり元気でたりするよろしく、本日が夏至だから本日は最高だと本日はワクワクだなんて今日自分を今自分を生きる喜びに充すことが出来るアイテムのひとつとして認識意識なら、例えばカレンダーひとつとってもそのツールは自分自身が人として生きてゆく物語上の大切な要るものに成るように考えて観ました、日本では四季があります、秋から春までの半分と春から秋までの半分で、半分➕半分=一年となります、その春から秋までの半分の今日はちょうど中間地点です、3月20日から9月22日までの半分の今日、6月21日、後は秋まで約3か月、この3月から9月秋までの距離を地球は太陽の周りを進んでいます、ケプラーさんの法則によって楕円で進みますが、秋9月から春3月までの半分の距離とは、同じ半分なのに進み方というか進むスピードが少し遅いのがこの現在私たちがいる3月と9月の間の軌道上とも言われています、半分➕半分=一年だけども、その半分どうしが同じスピードではない興味深い物語性を知ります、ちょうどこれから夏場になって活気づく季節ではありますが、地球に乗って進むスピードは冬場より遅い訳です、それは例えば、車に乗っていてやる気まんまん元気いっぱいで、早く行きたい早く進みたい気持ちとは裏腹に、車のスピードはちょっと遅いという現象をイメージすると分かりやすくなるかも知れません、太陽の周りを私たちは地球というスポーツカーでドライブしています、やる気みなぎる夏なのにアクセル全開でもスピードは冬より出ない物語性がとても面白くこの夏を秋までどう過ごすのかのヒントになり得るかも知れませんと考えて観ました、夏至、奇しくも下るに至るとも書き換え可能なら秋から翌年春に向けての冬至、奇しくも登るに至ると書き換え可能ならば、私たちは次なる山の踏破や登山に向けての準備や下ごしらえや今登っている山の決着について人それぞれいろいろあると想いますがこれからの活気なシーズンに向けてどう自分自身をコントロールし運転しどのように過ごして生きて往くのかのヒントになり得るかめ知れない物語

以上大変失礼致しました

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました