何故人は行動するのか考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

叶えたい願いを叶える為に人は古来から何かに対して祈りを捧げて来た歴史的物語性について考えて観る物語、何かをこれから成す為に自分自身にとってのいい未来のために理想的な明日の為にこれからの為に、今はまだ成し遂げられていないことや得られないもの形に成っていない何かを形にする為の行い或いは又行動や行為を介して、人はいつからかその人それぞれですが、自分自身の願いというモノ想いや念を、例えば現実的に目の前や周囲にいる人たち仲間たちに伝えたり頼んだりお願いしたり、或いは現実的には見えない形のないモノや形のない見えない世界フィールドに対して伝えたり頼んだりお願いしたりして来た物語性について考えて観ました

失礼致しますごうさんというペンネームでブログを気ままに更新して観ます

心願成就という言葉表現が日本にはあると知ります、これはおそらくその人自分自身が心から願う本心が叶う目的達成を表しているような言葉表現だとも想います、人それぞれですが人は例えば、そうした人それぞれが持つであろう様々な個々の願いに対して、いろいろとそれを叶えたいと叶えようとして、何かしら行動することが出来ますしします、するかしないかというお話ではなく、しなくても延期にしようともぐずっても願うし祈るし想いを馳せるということはできますし、します、それは一種の行動だと仮定します、行動の言葉の国語は無視していいなら、行動の範疇に想いを飛ばす願う想像するということも意識していいように考えて観ました、何か叶えたいものやこと得たいことやものがあれば、その為にその目的達成の為に、人は身体的のみならず精神的にも内在するエネルギー的というのかは解らないのですが、それらがthe動くモノだという物語性があると想います、例えばお腹が空いて何かを食べたいなと想ふとき、それはそういう願いが生じてその願いを叶います様にお金を準備してお店に食べ物を買いに又は食べに行くという一連の行為行動をするある種ではそうゆう仕組みを利用して願いを叶えている目的達成している或いは叶えられるようにそこへ向かうという物語性があると想います、その一連が行動でぶつ切りのひとつひとつが部分的に大事という訳じゃないかも知れません、一貫した連動性を伴えばこれまでの行動に関する観方や或いはその仕組みの活用や最適化について、もっと行動の作用によって何を成したいか観たいのかについてヒントを得られるなら、今更ですが少しずつ丁寧に人それぞれですが人は願いを叶える為に何をしているのかについて考えて観ました、これまでは外部的な身体的行動や見せかけな外部と内部の不一致による行動原理仕組みによって時間はかかりますが発展成長進化して来た物語性の流れで、いわゆる運転が下手でも人それぞれですが人はその行動という不思議な仕組みの恩恵を受けて様々に個々の夢や希望や理想的な何かを達成到達獲得して来たとも想いますが、それらを遠回りという表現をする人にとっては同じ仕組みを利用するに当たっての自分の運転のコツをこれから新たに考えて観る物語

前置きが少し多くなりますが次はその行動の仕組みについて考えて観ようと想います

以上大変失礼致します

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました