選択を意識して観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

寒さが増して空気の冷たさも

増しています


例えば

そんなとき

比較的な体感温度が

環境の変化を知らせる

ために

覚えた言葉を借りて

寒くなってきましたよ

冷たくなっていますよ

語りかけていて

寒くなっているよう

ですから

身体的に暖かく保つように

ご協力頂けたら幸いです

身体が大きく冷えないように

ご興味を持ってもらえる

ように何らかの働きかけを

解るように表してくれる

考えた場合


気温の変化天候の変化

環境の変化は

身体とのコミュニケーション

ツールとして

捉えることが

出来る気がして観ました


寒さがわるい訳じゃなく

冷たさというものに悪意がある

訳でもなく

そこに紐付けされている

想いでや体験や気持ちが

わるい訳でもなく


本来意味のないモノに

対して

意味付けをしている

自分自身を活用して

自分が何かを

語りかけてくるとき

そのとき

自分自身は

どんな風に受け入れて

今はどれを選択し

今は何をやるか


そうした物語の

繰り返しが

新しい1日1日に

用意されている

物語性について

考えて観ました



意味に縛られ過ぎている

自分自身を知る物語


それは

いいとか

わるいとか

という

判断する材料ではなく


選択の幅が狭くなっていた

自分自身を知ることで

それら以外にも

選択の幅はあることを

知るツールとして観る

ことも可能だと

考えて観ました




例えば

サッカーをする場合

サッカーにはいろいろ

ルールや条件制約が

設けられていると

知ります


サッカーをやる以上

サッカーに参加するからには

そのサッカーに関する

ルール設定を

守る必要があり

そのルールに従う事が

前提としてあるように

想い観ました


例えば

ボールを足を使って触ることは

可能ですが

ボールを手を使って触ることには

特例を除いては

やってはいけないルールがあって


サッカー中は

それに従って

ボールを

手で触れない

手で持ち運びしない

手を使っちゃダメだと

意識して慣れて往き

当たり前になって往く物語


サッカーしていない

ときにも

採用している人が

いたら

どのような

印象を受けるのでしょうか


サッカーが上手くなりたくて

サッカーがより身近に感じるように

独自の考えで

サッカーしてない

日常生活でも

サッカーのルールで

過ごしてる人は

いるかもしれませんが


それは

その人それぞれです

いいかわるいか

ではなく

選択の幅から

今の自分自身は

これを選んでやる

という物語があるだけだ

考えて観ました



更にそれが

当たり前になって往くとき

もうかつてのように

サッカーしなくなった

けれども

日常生活では

相変わらず

ボールを常に蹴りながら

移動していたり

手を使わずに生活していたり

している自分自身が

いたとしたら

如何でしょうか


移動中やお散歩中に

ボールを蹴って過ごす

ボールが友だちになっている

物語は

その人が今日を楽しむ

為に選び続けるツールに

なり得ますが


手を使わずに生活する

手を使わずにお仕事をしている

それが

しなきゃいけないモノ

として

縛られ過ぎた景色なのか

いや

選択の幅を広げて観た

中でも

今はそれを自らの意思で

選んでいるのかどうか

知る物語


人それぞれですが

手を使わずに過ごすのが

当たり前でしょう

こんなメリットがある

こんな成長がある

足だけで生活する物語を

広めることもあるかも

しれませんが

それが

あなたもあなたも

しなくちゃいけない

頭が堅いとか言って

多様性を逆手にして

強要したり

推し参るような

物語を編むとき


自分自身が

意味に縛られ過ぎているの

かもしれない

とも

選択する幅を見失っている

かもしれない

考えて観る物語



けして

いいとか

わるいとか

という

お話ではありません




例えば

今日

自分自身の目の前に

あみだくじ

あった場合


そのくじに

10の選択肢がある

場合


これまでは

1番左端と

その右隣りと

更にその

右隣りを

ランダムに選んで来た

場合


更には

その3つのうちでも

比較的に

1番左端をよく

好んで

或いは又

考えるのをエコにして

1番左端を選ぶと

決めうちして来た

場合


自分自身の目の前には

3つの選択の幅が

あると観ているのか

選ばなかった

ほかの

7つの選択肢も含めた

10のうちを

観ているのか

という物語


選ぶ選ばない

人それぞれ

自由です


好きなように

今それを選ぶのが

自分自身です


ただ

縛られ過ぎて

見えなくなって往く

自分自身の特性の

ような物語を知り

選択の幅

或いは

自分の可能性について

考えて観る物語



そればっかり

選ぶ人を見る目も

そればっかり選ぶ理由は

人それぞれだと

知る物語


自分自身に当てはまる

役に立たなくなっている

選択や

ワクワクしない

選択が

もしもあれば


しなきゃいけない

固執しなくてもいい物語



何事もそれは

常にその人それぞれです

自分を知るための

ツールになり

自分を創り続けるための

手段として活用することは

可能であり


いいもわるいもなく


この自分が好きなんだ

という

1日を自分自身が

創り上げる

選択の幅について

考えて観ました





人それぞれです


その人その人が

信じて止まない

ルールが

存在している

考えて観る物語


それは

縛られ過ぎている

のか

分かった上で

選び続けている

のか


自分自身を

救う物語なのか

自分自身に

巣食う物語

なのか








以上

ごうさん

という

ペンネームで

ブログを気ままに

更新して

います


大変失礼致しました


本日もよきかな

1日をどうぞ


ありがとうございました