幸せの住処や家を決めて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

幸せだなぁ

想ふから

その理由や根拠が

やって来る

こじつけます

仮定して観ました



幸せより手前に

あるもの

それは

おそらく

準備すること

や探すこと

訓練や練習や

試練を通すこと

下積みすること

礼儀やマナーを

完璧にしてから

出かけること


そんな観る力が

長らく養われてきた

育んできた

自分自身を

知る物語



幸せに

保証はありません

絶対的ではありません

かもしれません


手前に

保証や絶対の確率を

高めてゆくと

結果として

幸せを手繰り寄せるのは

相変わらず未知な未来

の物語性があるように

考えて観ました


身体的な教育を施す

という意味では

反射的な動作

咄嗟に動ける反応速度

体内時計の調整

内臓の働きや筋肉や

それらの居心地の良さの提供

などなど

幸せの大きな丸の中に

含まれている

であろう

そうした数々の

身体や心身の

健全性や恒常性を

コンスタントにする

ところでは

役に立つかもしれません



ただ

おそらく

ですが


人それぞれですが

人々が求めている

幸せとは

ある種の

そうした

アスリート選手の方々が

構築する日常から

高めていく結果論ではなく

また

個々人それぞれの

幸せの形があるように

仮定した場合


もっと

それだけじゃない

何かを求めているかも

しれないと

考えて観ました



結果を手前に出す

物語



結果的に結果が

遅れて起き上がる

ベクトル認識は

変えるのは

極めて困難だと

した場合


原因的に結果を手前に出す

どんな現象が起こるのかに

シフトする

ワクワクして観ることは

可能なのでしょうか


俗に言う

引き寄せのシステムも

ないものを

手繰り寄せる物語性が

あるとして


ないもの

設定を変更して

観る

考えて観ました



例えば


幸せになりたいのなら

今すぐ

そこが幸せだと

言い放って観る物語


これが

幸せだと

今が

幸せだと

もう

幸せだと


疑いながらでも

堂々と思い切る

物語



自分自身本人ですから

幸せという概念的なものを

ちゃんと把握していない

と知ること


言葉による縛りは

抽象化されていて

大きな丸全体と

その丸を構成する

素粒子単位の世界まで

はっきりとすべて

明確にこれだけ

輪郭を与えて理解

認知認識している人は

マイノリティだと

仮定した場合


その物語は

現実的な科学の発展や成長

にある無限大の可能性を

秘めた

未解決な未解明な

物語への探究が

テーマ化しているようでもあり


探し続けること

考え続けることが

目的となり

解らないをコンスタントに

する

目的になるスライドデザイン

を観ると


幸せとは

学術的な知的好奇心を

満たすためにある

全てを完全に完璧には

解けない問題に

仕立て上げる

自身の成長には

欠かせない要素では

ありますが


彷徨い続けるために

生きている

やって来たんじゃ

ないかもしれない

物語性について

考えて観ました



幸せとは

なんだろう

日々取り組みながら

解らない物語の

解明を探究する日常が

それが幸せな人には

結構かもしれませんが


たぶん

もしかすると

一般的な人がいう

観たい幸せとは

そんな毎日ではない

ように仮定しました



幸せはある程度

これまでの経験上から

観測する

自分なりのあれこれ

とりあえず

目の前に置いて観る

物語


満足することは

又別のお話で

ないなりにも

ある

という

ことを決める物語


後は任せていい

後の未解決や未解明な

豊富な知的好奇心を

煽る要素は

とりあえず

そのまんまで


自分なりの

ぼんやりとした

未完成な幸せを

その存在を知って観て

認識という許可

あることを意識する

存在への赦しを

手前に出したら


ほかの

ぼんやりの周囲にある

無限大な幸せの形は

あれ?

ひょっとしてこれもか?

のような感性と共に

後から後付けで

遅れて理由や根拠を

持ってきてくれる

ような

物語性を構築する物語



引き寄せるのは

幸せではなく

先に決めた

幸せの理由やら根拠やら

して観る物語


理由や根拠の土台を

強く揺るぎないもの

する為に

幸せを探している

かもしれない

物語


その物語構成を

逆転して

先に決めて観るのが

先ずは大切かもしれない

物語



原因を餌にして

結果を釣るのではなく


結果を餌にして

原因

いわゆる

理由や根拠を釣り上げる

物語



自分自身の今の

成りよう

自分自身の今の

状態から

現実という広大な海に

自分自身を投げ入れて

アタリを観ながら

幸せという

大ものや主を

狙うのではなく


自分自身の今のまんま

意外にも

想いもよらなかった

かもしれませんが

これが幸せだったんだ

という

こんなもんか

的な感性を受け止めて


そのまんま

その自分自身を

手前に出す

手前に決める

今幸せの状態を

海に垂らすと

脳という

ある意味では

優秀なハンターが


今これで幸せなんだ

としたら

その理由はこれかな

あれかな

その根拠はあれかも

のように

後付けを持ってくる

物語を考えて観ました


自分自身という

そんな大ものを

主を

海に垂らすと

大ものをコンスタントに

する

餌や栄養素を

手繰り寄せる物語



幸せは探さない

理由や根拠や原因を

飼育しない

水槽に入れて

観賞している

ものを知る物語


食べものが

幸せではなく

幸せが継続的に

生きられるように

幸せが好きな食べものを

提供して観る物語





こんなに生きて来て

まだ世界には多くの

解明されていない

物語がたくさんあります

未解決や未解明を

発見することも

生きる物語では

大いに楽しむ為の

重要なツールに

成り得ますが


未解決や未解明の

変数に

幸せを設定しない物語


未解決部分未解明部分の

変数的な要素に

代入するのは

理由や根拠

とし


自身を納得させる為にある

観方はたくさんある

かもしれない

考えて観る物語



あくまで

自身が今に設定するのは

成りたいと思う

先に決める何か

という物語



手始めに

自分自身を

幸せだなぁ

幸せかも

想わせる

感覚させてくれる

物や現象や周囲の出来事

にアクセスして観ること


例えば

楽しみに出来る

音楽や絵やイラストとか

ゲームでもいいし

食事や料理

衣類やお店

なんだっていいと

考えて観ました


自分自身が

先ずは

楽しみに出来る

楽しめる

楽しいと

ほのかに

自分自身の内側から

勝手に湧いてくれる

何かを

ひとり見直して観ましょう

今ある

幸せの所在を確かめて観ることは

幸せの在りかを赦して観る

あてどころ不明ではなく

住処を住所を

自分自身にして

もう住んでいる状態を

観る物語



幸せなあなたが

今のあなた以外の世界に

たくさん分岐して

住み過ぎている

としたら


幸せが住んでいない

今のあなたの世界を

逆に他のパラレルへ

移行させて

今のあなたに幸せが住んでいる

世界を変換して観る

世界の入れ替え物語





決めて観る

予め決めて観ている物語


人はみんな幸せです

自分自身は今

これで幸せです

もうこんなで幸せです

そんな有り様です

ここが幸せの住処です


どこが


探しまくること

それは任せて観る

物語



住むところがないから

ちょっと待ってて

新築や中古を探して観ない

物語

もしもずっと

野宿してきたのなら

そこを住処にする物語



家はそこにあり

家はここにする

物語



幸せの住処や家を決めて観る物語




以上



大変失礼致しました


ありがとうございました