例えば憂鬱な月曜日が
何故か不思議と
毎週のようにやって来る
なんて
なんて興味深いんだ
ちょっとだけ面白いな
と
考えて観る物語
否定的な自分自身を
否定的な観性のまま
否定的な感想の後に
なんて興味深いんだ
ちょっと面白いな
と
付け加えて観る物語
面白い訳がない
訳がなくても
面白い訳がない
のに
ちょっと面白いかも
なんて
付け加えて観る
自分自身が
面白いかもしれない
と
付け加えて観る物語
トヨタ方式で
改善を考えて観る
ように
なぜなぜなぜ
を
繰り返して観るように
面白いとしたら
面白いかも
面白いな
面白くないのが
面白いかも
‥
兎に角最後は
ちょっと面白いん
じゃないか
と
付け加えて観る物語
否定的な自分を
更に否定する掛け合い構図
否定が得意なんだとしたら
なんでもかんでも
否定してしまえばいい
物語
全部否定し続けている
と
そのひつこさの
先に
何が産まれてくるのか
考えて観ました
失礼致しました
ごうさん
という
ペンネームで
ブログを気ままに
更新しています
比較的ネガティブな思考を持つ
とも一部では
言われる人
それぞれだけど
ならば
存分にその能力を
活用して観る物語
何かしら
否定的に観るのなら
否定的に観るセンスを
使わせて上げる
物語
自分自身が
全く面白くないと
1番自分自身が
信じている
としたら
ちょっとは
面白い側面もあるかも
しれない
自分を否定させて
その
否定を否定するような
仕掛けを創って観ると
面白いかもしれません
俗に
技術的なトークシステムの
応用みたいな
お話かもしれませんが
前文を否定すると
その前文がより
強調される
掛け合いのような
物語を作ることは
可能だと
考えて観ました
例えば
やってない→やってるじゃん
は
やってないことを
分かった上で
やってるじゃないか
と
付け加えることで
やってないって
言ってるじゃんか
と
前文は強調されていく
物語性が存在します
このテクニックは
色んな場面で
活用されているかも
しれませんが
ひつこいほど
この掛け合いを
繰り返していく
うちに
やってないって
言ってるじゃんか
な
自分自身をも
次第に
疑問符を抱かせて
やっているかも
と
やってない自分自身を
否定的に観るセンスを
育む側面を帯びています
やっただろ!
やってません!
も
いずれ
やったかも
に
否定されていく物語が
潜んでいます
ひつこい
否定は
面倒くさくなる
側面を持つかも
しれない
システム性を
応用する物語
例えば
演劇
お笑いと呼ばれる
舞台においては
否定的なことを
言う一方と
否定的なことを言う一方を
否定的に言う相方
という
掛け合い構図を作り
前文を強調して
面白さを
また別の角度から
付け加えるような
一種のネタとも
呼ばれる
トークシステムが
挙げられるかもしれません
例えば
頭髪の極めて少ない
男性が
ハゲてないと
自身を否定的に
捉えている
と
一方相方は
ハゲてるじゃん
と
前文を否定する
それを
いやハゲてないって
と
掛け合いすることで
面白さが増してくる
物語
ひつこいほど
その掛け合いは
続いて
最終的に
最初の一方が
だったら
ちょっとだけ
もしかすると
ハゲてるかもしれない
だとか
ハゲかけてるのかなあ
なんて
自身の最初からの
否定的言動を
否定しだしたら
また一方相方さんは
いやだから
ハゲてるってずっと
言ってるじゃんか
とか
かもしれない
じゃないよ
とか
ハゲかけてるって
めちゃくちゃハゲてるって
などなどと
追い討ちを掛けて
否定を否定する
決定打へと
導く物語性は
興味深いところがある
と
考えて観ました
大切なところは
例えばで
なんども失礼ですが
ハゲてる
ことが面白い訳でなく
その否定的な物事の
執拗な捉え方を
さらに執拗的に
否定する掛け合いが
だんだん面白いと
感覚するような
ところにある
と考えて観ました
こうした
物語を
1人二役で
やって掛け合いを
して観ると
だんだん不思議と
自分自身
いったい何を
やってるんだろう
という
何を言っているんだろう
という
面白味も観ることは
なり得るかもしれません
ネガティブな自分自身を
ポジティブにムリヤリ
変えようとする
だけでなくてもいい
物語
ネガティブに
ネガティブを被せて
最終的には
ネガティブな思考を
ネガティブに捉えさせていく
物語
同じネガティブな思考
つまりは
文例として
考えた場合
同じ文章をずっと前から
ずっとずっと
言って聞かない
自分自身は
厳密には
ネガティブではなく
その文章
その一文に対しては
執拗に肯定派で
肯定的で
違うじゃないか
と
囲まれて言われたと
したとしても
いや違わない
と思い切る
ポジティブ思考が
伺えます
執拗に信じる
頑固なまでに思い込む
物語は
ある側面では
前向きな信仰とも
観ることが可能です
月曜日が
面倒くさく感覚する
自分自身を知ると
毎週毎週
飽きもせずに
信じてやまない
月曜日は面倒くさいんだ
を
誰に何と言われよう
とも
前向きに信仰している
純朴な信者とも
考えて観ました
ひたすら信じていく
物語は
肯定的であり
その人にとっては
ポジティブです
何を信じるか
信じないかは
人それぞれです
が
信じ続けていく事が
自由な中で
中身や内容は
さておき
人それぞれ
信じている事
信じ続けている事
捉え方を変化させない
物語は
肯定的だと
考えて観ました
わたしは
馬鹿だという
肯定的な物語があり
わたしは
馬鹿じゃないのかもしれない
という
否定的な物語がある
ことに
気付いて観る物語
大切なポイントは
その物語性に
面白味を付け加えて観たり
面白さ
を見出そうとして
観たりする
掛け合いを利用して観る
全体的な構図かもしれません
嗚呼月曜日かあ
物語も
面倒くさいなぁ
面倒くさくないじゃん
面倒くさいよ
面倒くさくないって
面倒くさいったら
面倒くさいか?
面倒くさいよ
面倒くさいないじゃんか
だからあ
面倒くさいって言ってるじゃんか!
‥
面倒くさいな自分
面倒くさくないわ
面倒くさ
面倒くさい言うな
分かったわかった
面倒くさくないよ
‥
あ、うん
って
面倒くさいんじゃないんかい
よろしく
掛け合いがあって
掛け合いが面白味を
加えてくれる物語
面倒くさいか
どうかなんて
次第に
どうでもよくなる
かもしれません
面倒くさくてもいい
物語
面倒くさくなくてもいい
物語
比較的ネガティブな思考を持つかも
しれない物語に
ネガティブを被せて観る
と
意外にも
自分自身は肯定的だったり
頑なに前向きに
信じてやまない
ポジティブ性を
楽しめるかもしれない
物語
以上
大変失礼致しました
ありがとうございました