自分という未来が生きていると考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

人それぞれですが

人が生きて往く上で

ミステリーだと想ふのは

今から何が起きるのかが

正確には解らないこと

かもしれない

考えて観ました



人類史はある種

そうした

未知や未来について

考え続けてきた

物語かもしれません


その中における世界

様々なカテゴリの

微分積分から

予め

何らかの頼りにできる

予測は立ちますが


それが

個々人に役に立つかどうか

その正確性は

絶対的とは言えない

物語性があります



何が起きるかどうか

解らないから

不安で怖い側面

何が起きるかどうか

どう転ぶのかは

決まっていない

から

夢や希望も見出せる

のかもしれません




取り分け

身近な周囲にある未知

どう動き

どう変化するのか

何を起こすのか

解らない対象は

人だと想い観ました



人それぞれですが

人は人の未知の側面を

管理する為に

思考や行動の統一を

計って来たのかもしれません



何をどう捉えて

考えて感じて

それらを起点に

何を起こすのか

誘因や動因について


人における

様々な微分積分が

人の行動予測を立て

そのマニュアルや

フォーマット

みたいなプレート

或いはレイヤーを

共通の認知認識

と仮定して


人として

人ならば

人だったらば


ような

表現に換えて

人は人を見てきたのかも

しれません


考えて観ました




失礼致しました

ごうさん

という

ペンネームで

ブログを

気ままに

更新しています



人それぞれです

普段から

常に日頃から


自分自身の行動を

予測して把握する

人はいないと

仮定した場合


自分自身に何が起きるか

解らない

という

概念的なものを

可能性だとか

選択肢だとか

という

言葉に置き換えて

無意識にも

生きている

仮定した場合



解らない物語性

とは

反転したような

生き方を

意外にもしている

自分自身に気付く事は

可能かもしれません




例えば

今日一日

人それぞれです

とある人には

とある人の日常的な

スケジュールが

存在している

と仮定します


何時に起床して

支度をして

ご自宅を出ること


学校や仕事に行くこと


食事の時間や生活に関わる

やることリスト



それらは

やって観なくちゃ

解らない結果が

共にある

ことは

疑問の余地なく認知されて

います


ただ

結果云々ではなく

自分自身の一日は

概ね

こうして

こうして

ああして

そうする

という

これまでの微分から

成り立っていて

行動予測をしていて


例えば

学校に行く事は

間違いない

行った先で詳細に

何が何時何分何秒に

どう起きるかは

解らないけれども

行くというのは

そんなに

未知数ではない



行った後も

概ね

決めた未知未来

決められている未知未来

基づいて


この席につく

あれを勉強する

あの人に会う

あの人の声を聞く

どの辺を動いて

どのように振る舞い

集中したりだらけたり

おしゃべりしたり

ひとりでいたり

トイレに行ったり

食事をしたり


厳密には

することが

概ね解らない訳じゃない

分かった上で

行く物語性がある

ように

考えて観ました




つまりは

人それぞれですが


人はいつからか

人は概ね

自分自身の一日を

単位に例えば


自分自身が一日

大体どのように動いてく

かは

解っている物語性に

ついて考えて観ました


別の表現が可能なら

その大体の

行動予測を知らないうちに

でも

信じていて

信頼している

側面がある

考えて観ました



自分自身が

今日一日

何をしでかすのか

全く解らないで

自分自身がとても

怖くて仕方ない

という人は

おそらく

マイノリティかも

しれません

仮定しました



意外にも

あなたは

あなたの未知や未来を

信用や信頼している

75%くらいの

領域では

未知ではない

未知数ではない

微分積分が成立して

いて

後の

25%くらいの

領域を

未知や未来と

その選択性

その可能性

から

読んでいるかも

しれない

考えて観ました




今日

隕石が空から降ってくる

ことは

25%の領域で

今日

食事をしたり

人と会ったり

街の景色を見たり

帰宅して何かしらする

ことは

75%の領域だと

仮定した場合



人それぞれです

人は概ね

25%の領域のことで

あれこれ悩んだり

あれこれ不安になり

あれこれ考え過ぎ

あれこれ恐怖する

のかもしれません



25%は

4分の位置ですから

割合としては

無視できない

のは

解りますが

これは

未来や未知を

人はどう生きている

のかの

例えばのお話です



人それぞれですが

一日の内に

4分の1も

自分自身がいったい

何を考えて

何をするのかが

全く読めない

不可解で意味不明な

生命体だとは

認知されていない

ようにも

想い観ました



いろいろな

言い方で

書き換えて

アプローチして

観ますが



あなたの今日は

未知ではない

未来とも言えない

かもしれません



あなたの今日は

概ね解っている

既存の一日が

立ち上がっていて

なん%かは

人それぞれです

その僅かな

未知数の可能性と

呼ぶ選択性は

持ちながらも


大体決まった

大体決めた

大体決められている

一日を

過ごしています

考えて観ました



還るか

変えないかの

お話とかでなく


今回は

未来を生きる

という

視点について

考えて観ました


意外にも

人は

人それぞれです


今日と呼ぶ過去を

繰り返して

コンティニューしながら

生きています


今日と呼ぶ

過去を

未来人の今の自分自身

つまりは

少しばかりの

選択性

可能性のカードを

携えている

自分自身

25%領域内の

自分自身が

75%以上領域内の

自分自身を生き直している

考えた場合



未来への捉え方

未知への視点について

面白い観方ができるかも

しれない物語



仮に

25%以下の領域を

非現実と呼び

75%以上の領域を

現実と読んでいるなら


25%以下の領域世界は

みんながしないこと

みんなと違うこと

みんなが想わないこと

みんなが感じないこと

世界であり

同時にその世界は

自分自身がしないこと

自分自身が想わないこと

自分自身が感じないこと

普段の正常な自分自身なら

選ばないこと

という

75%以上領域の世界でも

あると観るのは

可能かもしれません



いいとか

わるい

とか

ではなく



この

既存既知

当たり前な

微分積分を

破壊する

或いは

割合領域を反転させる

世界観が

人生をより創造性豊かに

面白くさせる

視点の切り替えに

なり得るかもしれません



意外にも

そんなに

明日が解らない

来週が解らない

来年が解らない

不安や恐怖で

右往左往しなくても



今日という一日の

デザインの中に

潜んでいる

基本設計を観ると


大体解っている

大体知っている

追体験の連続性の

トウビーコンティニューを

ちょっとずつ

ちょっとずつ

だけ

どう生きて往くのか

だけの

そんなに怖がらなくていい

物語性について

考えて観ました




例えば

占いやカードを

信じる人は


自分自身の世界の

25%領域への

働きかけ

声かけ

呼びかけ

自分自身の選択性

対する

後押しや支援

背中を押す勇気づけ

だと

考えて観る物語



信じることが

別にいいとか

わるいとか

依存だとか

他人軸という

お話でもなく



慣れ親しんだ

75%の未来を

より

未来らしく生きて観る

為の

楽しむアイテムの

ひとつに過ぎない

としたら


普段なら

ほっとくと

ついつい

何かと困ったら

左を選択してしまう

自分自身を知って


占いやカードで

右を取れ右を取れ

意識することも可能だと

考えて観ました



あくまで

それは

例えばのお話でしょう


自分自身は

意外にも

未来なんて生きていない

未知なんて生きていない

考えて観る物語



加えて観ると



未来は未来なんだ

けれども

未知は未知なんだ

けれども


その海に

いきなし

ザブンと飛び込んで

いて


75%の勇気で

ジャブジャブ

進んで生きている

物語



その物語は

常に今日一日が

厳密には

全く新しい未知や

初めて訪れた

完璧な未来だと

観る人から観たら


とんでもない

勇気

とんでもない

冒険者

パイオニアの

ように

想えるかもしれません




未来を生きる

のではなく


未来という

自分自身が

過去を生き直していく

考えて観ると

面白くなるかも

しれません




未来が生きていると考えて観る物語





昔の自分自身から

観たら

今のあなたは

完全な未来人です



仮定します



すると

未来人である

今のあなたが

やって来ている

その世界は


昔のあなたが

生きて来た先

微分積分の世界でも

あります


あなたが

降り立つ今日という

未知の惑星は


昔のあなたが

気付いてきた

文明社会が

成り立っています


あなたは

未来人として

あなたが

努力して

創り出した

過去と呼ぶ

世界を

今日

未来人として

生きて往く物語



あなたは

かつての修練の先に

いますが

かつての微分を

バトンされ

未来人でありながら

昔から続く

あなたの民族性

文化文明慣習

郷に入って郷に入る

フィールドワーク

やっている

だけかもしれません



あなたは

探検家であり

冒険者です


ただ

未来人として

過去の自分自身の

紡いで来た

歴史的ベクトルを

大幅に改変しない

ように

干渉を最小限にして

今日を生きて往く物語


何故改変しないのか



それは

今までの自分自身

これまでの

自分自身たちの

夢や希望を叶えて上げたい

からかもしれません


あなたを

創り

あなたを構成する


これまでの

あなたという

数々の民族が

あなたという

歴史の中で

様々な闘争を

繰り返して

その屍を累々と

積み上げて来た結果

あなたの中の

生き残りのあなたが

昨日から今日へ

託した何かが

今日ある

ようにも

想い観ました



もしも

例えば

そうした

物語性を

現代の感覚で

捉えて観るなら



もしも

今年が

去年の始まりだ

としたら

如何に観ることが

可能でしょうか


撮影した

動画を再点検する

ように

再生した

動画の進行ボリュームは

左から右へと

動いて行きます



その中で

去年を生き直している

今年と呼ぶ

トウビーコンティニューの

物語に

25%領域の未知数が

舞い降りたり

起き上がりをも

観せます



去年は

何が起きたか

でもありますが

去年は

どう在ったか

でもあります


フリーシナリオ

ひとつの点から

枝葉のように

分岐して観る

ことも

可能ですが



同じ動画を再生して

観る度に

ちょっとずつ

違うシーンが

挟み込まれて往く

物語とも

捉えて観る物語



同じ去年を

生きるとは

去年を今年も

去年と同じ在り方で

生きて観る試みです


同じ去年を

生きるとは

今年は去年とは

少し違う在り方で

去年を生き直して

観る試みでもあります



75%以上領域を

どう操作するのか

25%以下領域を

どう操作するのか

自分自身の人生を

自分自身で創り上げる上

では

面白い物語性を

帯びて行きます



人それぞれです

今日一日は

自分自身の歴史上

最も未来人の

自分自身が

形を持って

いる生き直しだと

考えた場合



いいとか

わるいとか

お話ではなく



未来をもう

今生きている


75%をどこに

持ってゆくのか

創り出すのか

自分自身次第とも

想い観ました



自分自身を創る

為に

0%から初めて観る

物語は

考えなくても

いいのかもしれません



25%以下領域を

イジりながら

生きて観るのか

75%以上領域を

イジりながら

生きて観るのかも

正解や不正解の

物語がある訳でなく


人それぞれですが

自分自身に合った

不安や恐怖と

いっしょに生きる

アプローチ方は

異なると

想います





未来が生きていると考えて観る物語



自分史上

未来人である

今日のあなたは


過去の歴史を

編んで来た

自分物語を

今日は

どのように

生きて観るのでしょうか


今日という

世界に降りて来た

あなたは

エントリーして

ログインして来た

あなたに

ワクワクすることは

可能でしょうか



今日の自分は

何をしでかすのか


不安なのか

恐怖なのか

信頼できないのか


いや

ファンタジスタ

観るのでしょうか



ピッチの外で

座っているのか

観客席にいるのか

プレイヤーとして

生き生きして

躍動感あるのか

監督として

その情熱のタクトを

振っているのか


開拓者なのか

冒険家なのか


歴史や文化

自分物語の

築いてきた文明社会を

伝統を愛して守るもの

なのか



未来は変えられる

のではなく

未来は生きるもの

かもしれない

物語








以上




大変失礼致しました


ありがとうございました