アラッドは、人口20万人の中都市である。
夜11時半も過ぎた頃ようやくそれらしき街の中へと入ると、
まず白く瀟洒な感じの時計台が立った市庁舎が
目に入る。
工事中の線路や、道路がやたらと目に付くが、
一見して昼間の活気も覗えるような、
ヨーロッパの街らしい形態をなしていて、
ドラキュラでも出るのではないかと半ば
冗談半分、本気半分に期待していた
トランシルヴァニア地方へのそこはかとない
不安交じりの想像は瞬く間に消えていった。
車はとある殺風景な駐車場に止まり、
そこには首を長くして到着を待っていたであろう、
今回私を招いてくれたヴィオラ奏者の
クリスティーナが、止まっていた隣の車からすぐさま
飛び出してきてくれた。
クリスティーナの住むアパートに到着すると、
そこは意外にも、豪勢にリビングを囲むようにして
計4つの部屋と二つの洗面所があり、私は一番東側の、
道路に面したこざっぱりした小部屋を使う事にした。
バルコニーの出ている窓の、ブラインドを少しめくってみると、
外は道路と市電の線路が二重になっていて、
目の前に丁度通行人が足を止めてこちらを
見ている。
目が合ってすぐにブラインドを閉じたが、
1分後にもう一度それをめくって覗うと、
その老人はオレンジ色の夜明かりに照らされて、
さっきと全く同じ姿勢でこちらを下から見上げていた。
私にとって東の果ての国、ルーマニアでの時間は、
そうしてスーッと空気が沈黙する、深夜から始まった。
クリスティーナ・ポップは、1982年生まれ、
共産体制が崩れるまでの7年間、家族で
アラッドから数十キロ離れた田舎に暮らしていたという。
「極めて平和な子供時代で、ありがたい事に
政治的な軋轢は感じないで済んだ」
という彼女は、朝、冷蔵庫から
コーヒーに入れるミルクを取り出しながら、
無邪気に言った。
「見てカナデ、これが私たちの冷蔵庫、
1980年代から家が持っていたものなの。
何がどうって訳でもないけど、でも、
『共産冷蔵庫』って感じでしょ」
言われて見ると、確かに至って普通の冷蔵庫である。
機能的には何も現代のドイツ製冷蔵庫と
何ら変りは無いのだが、
扉を開けると、とにかく中が棚に分かれてもいず、
明かりが点くわけでもなく、
文字通り「冷やすための庫」というだけの代物で、
何となく寒々しさを感じさせる。
「どう?ルーマニアっていう国の第一印象は」
キッチンの縦開きになった窓を通して吹き抜ける、
何となく砂ぼこりが交じった風を感じながら、
私は外へと目をやっていた。
「うん。未だ分からないけれど、
ここへきたって言う実感は、空気で分かる。
いずれにしろ、期待で一杯でエキサイティングな気持ち」
と応えると、25歳のクリスティーナは、
「ねえ、どこを向いても工事現場ばっかりでしょ。
この国って、何でも進めるのが遅すぎて。
見届けてたら一生終わっちゃいそう」
と言った。
それでも何より、
初めてのいわばデビューリサイタル前の彼女が、
緊張と高揚の中にも、国への愛情と故郷に帰ってきた
安堵とをにじませているのは、
大量のパンやハムやチーズ、クラッカーやオレンジ
などの朝食を用意する、弾むような手つきからも分かる。
「あーあ、だけど正直、カナデが来てくれるまで、
どうしようかと思ってた。ストレスたまりまくりでね。
実家に帰れば、両親はやたらに気を遣うし、
街へ出れば、いろんな人から、
「今度のリサイタル、楽しみにしてるね」
って。三歩歩けばだれかに会っちゃう。
新聞には大げさに、「クリスティーナ・ポップ・
地元で初のデビューリサイタル」
なんてデカデカと載っちゃって。
お父さんはルーマニア正教会の祭司で、
街中の人たちを招くは、会う人会う人皆に宣伝するは、
もう、盛り上がっちゃって大変。
挙句に大司教まで呼んじゃったって言うし!
私の出た音楽高校の先生方は揃ってお出ましだし、
ねえ、これで失敗でもしたら、私一体どうなるの?」
・・・・ラテンの純朴な東ヨーロッパの人々も、
やること思うことは一緒である。
ある名ピアニストが、東京で弾く私に向かって
「出身地で弾くのが、何より一番キツイよなあ」
と同情交じりにつぶやいていたが、
とにかく「地元デビュー」をする若いヴィオラ奏者にとって、
記念すべき、未知の経験であるのは確かで、
その小さな心の叫びも、想像に難くない。
アラッドの街が誇る、最大の文化施設、
「フィルハーモニー」ホールにリハーサルをするため
出向く。
この街の朝は、「喧騒の渦」の象徴である。
2月の終わり、春の兆候も見える外気のやわらかさの中、
殺伐とした外壁に囲まれたアパートを出ると、
「ったく、ここのスーパー、改装されると言って閉鎖されったきり、
何年も閉まりっぱなし」
「この道路の舗装、ちゃんとやってよね、
車がホコリまみれになるじゃない」
と、普段からこうして車の中で独り軽く悪態をつくクセが
あるらしいクリスティーナの車は、3分ほどで
大通りに出た。
車の往来は、豪快且つ、比較的乱暴で、
また何となく無礼なのだが生き物の走る姿を
模倣したようでもある。
すなわち、標識や信号や、ルールを重んじるよりも、
「動物的で」「遠慮の無い」非理性的な、
自然発生的な思いつきで操作をする車が目立つのである。
その中で、目の前を、ド派手なスポーツカーの天井を開けて
大音量のロックを流しながら奇声を上げて
走り去る若者がいた。
「あいつら、勘違いも甚だしい。
ルーマニアでも『こんなにかっこいいぜ』
って所を見せたいんだろうけど、
この国でそんなことしても、
かえって全然似合ってないんだよね、成金!!」
と叫びながら、彼らと逆方向にハンドルを切る
クリスティーナ。
しかもあろう事か、
フィルハーモニーの前、国立公園の近くに来ると、
裏通りを堂々とど真ん中に停車し、運転手が見当たらない、
いわゆる「乗り捨て」状態の車に出くわす。
「有り得ない・・・」
思わずつぶやきながら、
そのある意味見慣れない「欲求への正直さ」
あるいは「紛れも無い野放図さ」に半ば感心していると、
ちっと舌打ちをしてハンドルを大きく切り返し、バック
し始めたクリスティーナが言った。
「いいや、有り得るのよ、この国では!!
なんだって有りなの、『ルーマニアだから』!!」
街が誇る「フィルハーモニー」のピアノは、
ドイツ・ライプツィヒ製のブリュートナーの
コンサートグランドだったが、
いかんせん状態が悪く、どのくらいメンテナンスをしないと、
あるいはどのくらい破壊すると、こういう音になるのか疑問、
と言ったレヴェルの代物だった。
「音程が合わせられない」
と言って、ホーっとため息をついたクリスティーナは、
「主催の責任者に掛け合ってくる」
と言い残して、ヴィオラを置いてしばらくその場を離れた。
ペダルを踏みもしないのに、あちこちで音が残って
とんでもないハーモニーを生み出すピアノに触れながら、
ピアノの性質の弱点を制覇し、
長所を探す手立ては無いものかと思案する。
ピアノ奏者にとっての舞台での仕事の第一歩は、
言うまでもなくその日の「手強い相手」である
ステージに乗ったピアノの性質を知り、対策を練ること
である。
しかしペダルがふみっぱなし状態では、
対処の限界がある。とはいえ、結局
ブラームスはブラームス、その条件の中で
彼の音楽を最大限奏でる以外に無い。
息せき切って帰ってきたクリスティーナは、言った。
「ゴメン。主催者が言うには、
オーケストラ公演をする大ホールの方に
このピアノを引っ張っていった結果、
戻すときにいろいろ壊しちゃった形跡があるって。
さっき主催者も音を鳴らしてみて、さすがにショック
を受けたって。
今日調律に来てもらって何とかベターにするように
務めるからって言ってる」
一度言葉を切ったクリスティーナは、
もう半日のうちで何度聞いたか分からないほど口癖になっている、
「ルーマニアだもん。これが元共産圏のピアノだよ」
を最後に口に乗せて、
やっと各席からヴィオラと弓を手に取った。
リハーサル後は、午後2時ごろ、少し遅い昼食を取るために
クリスティーナの実家に出向く。
玄関が既にダイニングルームと兼用の、
シンプルな造りのフラットは、その先に書斎、
寝室、クリスティーナがもと使っていた部屋、と続き、
その何の秘密も持たず全域を開け放たれた細長い空間が、
陽もほとんど当たらないのに妙に清々しかった。
書斎にはキリストとマリアのイコンが飾られ、
あとは壁一面の本棚にぎっしり詰まった本と、
しっかりした造りの書き物机の上にドンと置かれた
コンピュータがある。
奥の元クリスティーナの部屋には、
これまた音程が半音下がった飴色のアップライトピアノ、
そしてペルシャ絨毯が敷き詰められた上の家具調度品の
一つ一つが、ルーマニアの民族工芸を思わせる
ロマンティックで凝ったデザインをしていて、
モザイク模様が彫りこまれた古い木のベンチには、
贅沢な手刺繍を施したクッションや、
カヴァーが掛けてあった。
ダイニングではいそいそとクリスティーナが、
昼食の用意をしている。
「母特性の、チョルバ(野菜を細かく刻んで、
卵が入ったスープ)と、
サルマーレ(ロールキャベツ)」
だと言う。
ルーマニア料理の代表選手といえるそれらは、
「女性が一人前」だと認められる為の試金石のような
メニューで、煮たお米と豚挽き肉を
酢に漬けておいたキャベツで小さくくるんでスープで
煮込む「サルマーレ」は見た目以上に手間隙が
かかるらしい。
一口入れると、絶妙なハーモニーを醸すお味である。
ほのかな酸味と、お米でつないだ柔らかい挽き肉の
フィリングが口の中で崩れるようにとける感触が、
初めての感覚で、なんとも温かい気持ちになれる、
「母の味」である。
様々な種類があり「これがそうだ」
とは言えないほどヴァラエティに富んだスープだという
「チョルバ」も、丁寧に切り刻んだ野菜のうまみが
溶け込んだ、優しい味だ。
これらを前日に作り、冷蔵庫に全てしまい、
銀行の法律関係の仕事に従事する母は、
毎日8時に家を出て行く。
「私が出会ったときから」
という言い方をクリスティーナはした。
すなわち、物心ついた時から、
「母はそういう人だった」
という。
「自分の事は二の次で、他人のためにだけ何かをし続け、
怠ったことがなく、またそれに対して愚痴も言わず、
そしてそれに人生を賭している」
そうこうするうちに、
祭司である父、ヴァシレ氏が帰宅した。
「ホーレ、ケーキを持って帰ったぞ」
という祭司服を身につけた一家の主の手には、
ただいまお葬式で喪主にいただいたという、
ピンクや薄いグリーンのクリームで飾られた
スポンジケーキが紙皿に乗せられてあった。
そして私を見るなりドイツ語で、
「ようこそお越しくださいました。クリスティーナの父です」
と丁寧に言い、続けざまに、
「日本人だっておっしゃるから、もっと違う人を
想像してましたが・・・だってね、貴女よりも日本人ぽい
顔のルーマニア人も知ってるし、
何処か貴女、日本人って言う気がしませんね」
と自己紹介も早々に、
流れ込むように屈託なく会話が始まった。
ええ、そうですか、典型日本人だと思うのですけれど、
と応えたいぶかしげな私とクリスティーナに、
じゃ、ホラ見せますよ、私の日本人のイメージを、
と言って無邪気に見せられたその写真は、
北京オリンピックを前に世界に発信されている
コンピューターのクイズからの画像で、
男女交えて10人以上の中高校生たちだった。
特筆すべきはどう見ても同じ遺伝子から生まれたと
しか思えないほど酷似したその10人の表情で、
皆糸のように目が細く、また笑顔の作り方もほとんど
一緒で、誰が誰だか全く見分けがつかなかった。
「アジア人の顔とは」
というスタンダードを示したつもりだろうが、
そのクイズの質問内容は
以下の通りらしい。
「この中で、男子は何人、女子は何人でしょう」
「誰と誰が兄弟でしょう」
男女の区別もつかぬほど似通った10人に、
兄弟わけなど出来ようハズが無い。
今、チベット弾圧問題が爆発して、
中国のオリンピック開催は世界の物議を一挙に
醸している時勢、こんなクイズで笑うのは
不謹慎とも言われようが、
このちょっと人を食ったようなクイズはしかし、
アジア人の風貌の特長を極めた人々の
集大成、それも全員がウリ二つならず
ウリ10個、といった感じで真に迫っている様子が、
なんとも可笑しかった。
祭司の父とヴィオラ奏者の娘のルーマニア人親子と、
中国より更に極東のアジア人である私は、
ひとしきりこの画像を上から下から嘗め回すように見た上で、
本番前の午後の台所にて、
ああでもないこうでもないと議論しながら、笑いを
止めることが出来ないでいた。
続く