白光と闘牛の地で | ドイツ在住ピアノ弾き 上法 奏のブログ

ドイツ在住ピアノ弾き 上法 奏のブログ

ライン河沿いの古都、ケルンの街角から送る、人々の歌声をつづる日記

2月5日スペイン、海岸沿いのカルタゲーナ

(スペイン語読みでは、カルタへーナ、と発音するに近い)の、

物静かな入り江で、人々がその薄い潮風ににさらされながら、

食事をする音のみがやたらに目立つかのような午後の

レストラン。

魚介がふんだんに乗ったパエリアの蟹の身を、

苦心してほぐしながらその恵みを味わっていると、

ヴィオラ奏者のネリーが言った。

彼女はドイツ・ケルンで嘗て勉強したこともあるそうで、

使用言語はドイツ語である。

「このレストラン、私もおととい初めて人に教わったんだ・・

このさほど『盛況』って感じのしないところからみても、

地元民も、知らない人が多いんじゃないかしらね。

穴場っていう感じかな」

適度にすぼまった形の、

周囲に崖が張り巡らされた海岸は、未だ季節が

一応「冬」に属するからか、

観光業にまみれた感じが微塵もせず、

澄んで波打ち際まで幾層にもエメラルドグリーンを広げた

水辺は、至って「プライヴェート」な空間を醸し出し、

その証拠に人々はほとんど黙って、

波の方に一様に背を向けて、

フォークやナイフの音を響かせ続けるのだった。

私は前日にここでリサイタルをし、

その慌ただしさと、いつものように夢遊病のような

「本番」という異空間を終えて、身体が浮くような

感覚を覚えながらも、どこかで当然ホッとしていたし、

初めての国スペインで空いた一日の食事が

つつがなく楽しめる事に満足し、

その全てをアレンジし、提供してくれた

周囲のスペイン人たちに感謝もしていた。

そんな私を見透かしたかのように、ネリーが続ける。

「ねえ、カナデ。ドイツ人って、何で老後ここに来て、

生涯のんびり過ごすことばかり考えるの?

彼らのほとんどは、現役時代最も稼いで、

活躍して、自国で社会に貢献した人たちばかり。

それで居て、ちょっと年取ったからって、

南の我々の国に来て、海岸に家買って、

その後の人生、ずっと何もせずボーっと異国で

時間を無駄に消費するのよ。社会と一切の鎖を断って、

スペイン語のひとつも話さずにね!

・・・そりゃ、私たちだって海を限りなく愛してるわよ。

だからって、私にはその精神構造と

そしてそれを実行する人の数の多さが、

信じがたい」


前日、

「ホラ、こうしてね、年中太陽にさらされて、

心も身体も温まって、

果物や魚介に溢れて、

粋な人たちにに囲まれて、

そうして私たちは働くことを少しばかり引き延ばしたり、

忘れたりしがちなのよ」

と言った、同じスペイン人が今日言うことがこうなのだから、

人種というもののイメージは、例え大雑把にでも、

一面では全く捉えきれない。


スペイン出発時は、前日まで仕事が詰まっていて、

しかもフライト時間が早朝5時だったため、

一晩一睡もせず飛行機に乗り込んだ。

機内で寝たとは言え、睡眠量と質は、

たかが知れている。

その日だけでなく、近辺睡眠不足が続いていたのは、

「異国」への過大な期待感や、

それを知らない事による贅沢な「不如意」

(どうして自分がそこへ今から乗り込んでいくのか、

あるいは行かねばならないのか、と言う

理不尽な気持ちの交じった不安感)

によるものだったらしい。

そんな思いを未だ抱え続けたまま目覚めて、

航空機がこの国の端に近寄り、

雲を突き破って海から陸を満遍なく

眼窩に映し出すようになると、

そのチョークで書いたような海岸線や

乾ききって何段にも分かれて色を違えた地層の連なり、

輝ける漁船の帆先、などが

その全容を惜しげもなく機上の人々にほの白く燦然と

さらした。

そしてその瞬間、

「太陽に祝福された大地」

に訪れる者(私は初めて、機内のドイツ人たちは、

それが休暇なのか仕事なのか何度目か何十度目かは

分からないが)のアッと息を呑むような、

声にならぬ嘆声が周り中から否応なく漏れるのを、

私ははっきりと聞いた。

ゲーテが常に南を、イタリアを賛美し、それに執着したことも

トラウマか習慣のようになり、

ドイツ人の太陽熱に対する憧憬の念は、

過剰とも言えれば、今も昔もありきたりであるとも言える。

しかし、飛行機に乗ってほんの2時間ほどで、

吹雪く明け方のデュッセルドルフ空港からこの

白光の大地にありついた途端、

それもむべなるかな、という気が芯からしたのだった。


初めての異国では、

私の中での常識はいろいろと覆った。

まず、伝統に則って(というより身体が自然と要求し)

普段は習慣に無い「シエスタ」なる昼寝を存分に実行し、

夜からやっとピアノにさわり始める。

翌日は、一日計5回の食事をするとまで言われる

この国で最も重要な意味を持つ、

ランチ時間のパーティに呼ばれ、

本番前日だったけれども迷うことなく参加した。

何が理由か、「人の呼ぶところ、必ず行かねばならない」

と納得させるだけの空気が漂う、

ここスペインなのである。

日曜ともなると、お昼が2時ごろから6時ごろまで

のんびりと決行されるこの国では、

アンチョビの酢漬け、海老のサラダ、

セロリのブルーチーズボート、などの前菜から

始まって、手のひらの半分ほどもあるムール貝に

手づかみでかぶりつきつつ、

鯛のメインディッシュオーブン焼き、へと入る。

ジャガイモのソテーが脇役のその一皿後は、

30、40代の二組のカップルがそれぞれの

自慢のデザートを披露する。

一つは、リンゴとレーズン入りのヨーグルトクリーム、

もう一方はココアの粉を振った、フランス風の

パイナップルとキウイのババロアスフレで、

両皿とも、「親の世代から伝わった得意レシピ」

だと言う。

美味しいものに付随するのは、

燦燦と窓辺に降り注ぐ陽射しと、

賑やか極まりないおしゃべりだ。

私と話すとき、メンバーは一様に英語がさほど得意でないから、

「このお菓子の材料は一体何?」

なんて会話になると、

「ええっと・・・動物の脂肪!

そんなんじゃダメか。ベーコン、って事に

なっちまいかねないな」

と言って、全員が屈託なく大笑いになる。

「我々の国スペインは、ヨーロッパの南端、

陸の孤島なんだ。どうも、

外国の情報が入りにくい環境にあるのも手伝って、

自分たちの殻に閉じこもりがちで、

したがって外国語の必要性も問われず、

上達もしない、っていう悪循環ね」

という彼ら、「なーんだ、島国日本と似ているじゃないか」

という話に移り、

それから王室存続問題と日本の皇室との比較、

隣国フランスやドイツが猛反対したにもかかわらず

決行されたイラクへの軍備派遣問題、

テロリズムと社会、など、総選挙直前の

現在の人々の話題を独り占めしている諸問題へと、

朗らかに進んでいった。

結果、1500年代後半、比較的早い時期に、

果敢にも次々と日本に乗り込んで

カトリック布教や貿易を推進してきた

このヨーロッパ最南の国と我が島国との共通点は、

決して少なくないことが、程なく判明していった。


本番当日は、ピアニストで、

カルタゲーナ音楽院の講師をしている、

マルガリータ・ドミンゲツの自宅の、

イタリア式のコーヒーマシンで淹れた香り高いカフェオレから

始まる。

「ドミンゲツ、はね、ドミンゴの息子、

という意味なの。ドミンゴっていうファーストネームの祖先が

居たのよ、家の家系には。今じゃ、誰の息子、

なんて言い方はせずに、

ただ単にその苗字を代々受け継いでいるだけ。

因みに、ドミンゴっていうのは、日曜日のことね。

かの有名な歌手のドミンゴは、ミスター・日曜日さんってこと」

と言う彼女は、情熱の国、スペインが生んだ、

熱血漢でエキゾチック美人。

「私たちはコケティッシュ、

カラフルな服やアクセサリーで自分たちを

演出し、男の人たちに目配せするのは得意。

でも、決してプレイガールじゃないの」

というセリフをするすると口にすることが許される、

スペイン人女性の特権を持ち合わせた人だ。

彼女のエネルギーは朝から炸裂していた。

「次の選挙は、知っての通り前回4年前のテロの混乱の

さ中にあった選挙の後だから、もの凄く期待と関心が

高まっているの。私は絶対に保守派はイヤ。

カトリックの不健康な縛りつけを強いる政党なんて、

もう古すぎる。

無条件の離婚や、同性愛を認めた革新的な社会党に、

何としても勝ってもらわなくちゃ」

そうして彼女は、紙を持ち出してきてやおら、

その他左翼共産党をはじめ、

カタルーニャ地方の右翼政党「ER」、

「エウスケラ」というスペイン語と一線を画した

独自の言語を話し、スペインからの独立を要望している

バスク地方のテロ組織「エタ」と関係を持つ政党

「ANV」(公式には認められていない)、などについて、

表を作りながら話し始めた。

大きな内乱のあとで、

更にフランコによる30年の独裁を耐え抜いたこの国の、

貧困の極地にさらされたアンダルーシア地方にて

嘆きとその克服の表現として生まれたものに他ならなかった

歌謡と舞踊「フラメンコ」は、

その芸術の色合いを歴史と共により現代に向かって

濃くしてきたようである。

私は本来、本番当日には政党や選挙の講義は愚か、

「フロ・メシ」みたいな、ニッポン男児の

短縮言葉の象徴のような会話ですら言うのも聞くのも

節約しがちな傾向が在るくせに、

このときばかりは昼まで小一時間、彼女の

話に耳を傾けていた。

それもこれも、翌日海辺のレストランで

ネリーが言った言葉にどこか象徴されるように、

風光明媚な平和の国というスペインのイメージが覆されつつ

あったというのも大きい。

人々が近年まで抱えてきた困窮や悲劇は深刻だったがゆえに、

自分たちの生活を司る政治体制に

ピリピリとする程の関心と疑念を抱かずには居られない

その切羽詰った空気は、ドイツとは比べ物にならないほど

人々の屈託の無いエネルギーから、

肌で感じ取ることができる。


たとえそれが観光王国スペインであって気持ちが

何となく浮き足立っていようと、

一度の舞台に一念をかけるということは、

体力と気力を消耗するものである。

若年のお客さんが多かったカルタゲーナ音楽院で、

演奏後の、今までに味わったことの無い人々の特殊な反応の中、

「やれやれ、これは一種の闘いだな」

と胸をなでおろすと同時に、

その喜びと苦しみとどちらも天秤にかけるには

大きすぎて壊れるな、と思いながら舞台をあとにする。

そういえば出演前に洗面所に行くと、

丁度一人の少女が出てくるところにぶつかった。

栗色がかった金髪をした12、3歳の彼女は、

今日のプログラムを見てアジア人が弾くことを知っており、

その当人だと分かった瞬間に大きく目を見開いて、

まるでお悔やみを述べるかのように一語一語を区切って、

「頑張って」

と言ったのだった。

その祈りにも似たエールが、

さほど大げさなことでないのを知るのは、

いつも全行程が終わってあとのことで、

私は完全に拍手がやんでから、舞台袖でしばし苦笑した。


帰りの飛行機で、

「エア・ベルリン」の機内冊子を読んでいると、

現代の女闘牛士の記事が載っていた。

15歳にもならぬうちに、父親の闘牛の場面に

遭遇し、それに「魅了され」、

「自分は女性の髪を洗ったり切ったりする職ではなく、

闘牛士になりたいと強く思った」

という彼女は、インタビュアーの、

「牛の目の前に立ち向かい、それを結局殺すに当たって、

何を感じるのか」

という問いに、

「魔力、そして愛情」

と応える。

「闘牛は、牛と、闘牛士との間の、献身的なダンス。

そして、そのダンスの中で第三者の存在に当たるのが、死。

生と死、そして危機は、同じ情熱への、単に違う概念として

あるだけよ。

そして、闘牛士というのは、あえて他人がやりたくないことを

すすんでする人たちなの。それによってこそ、

観衆を恍惚に導くのよ。牛に向かうとき、

私はとてつもなく強い人格を持ってして、

一個の女性になりきるの。この魔力が常に、

私をその都度魅了する」


私の目の前にあるのは、

角を持って暴れる牛でもなんでもなく、

ただの大きな木の箱(楽器)だが、

それでも闘牛士とピアニストの職業の特徴には、

少し共通項があるような気がする。

このパッションと光に彩られた国の

伝統競技が、自分の命に別状があるところで

大いに一線を画しているにせよ、

「他人がしたくないことをあえてする職」

というところで似通っている、と思うのは、

私だけだろうか。

少なくとも、おそらく舞台に立った事のある人なら、

誰もが味わうであろうその「魔力」

というのは、捨て身であり、崖っぷちの

領域でしか存在しないことだけは確かなのである。

ギリギリまで追い詰められて、

それでも「愛情」を持って、

目の前の牛(それは対象物だけでなく

自分の精神でもあるのだろうが)を制する人だけが、

おそらく他者に初めて何かを伝えることが

できるのだということも含めて。


「一音一音を、命に係わると思って弾くんだ―

いや、実際それが、係わってるんだよ」


往年のピアニスト、フリードリッヒ・グルダの言葉より