(ルーマニア編、いい加減終結せねばと思いつつ・・・
日々の新たな潮流に逆らう体力が欠け気味でした。
このページを時折めくって下さった方々がいらしたかも知れず、
更新停滞甚だしさ、お許し下さいませ。)
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さて、ルーマニアと言えば、ロマと呼ばれる移動民族、
いわゆるジプシーが有名である。
ジプシー音楽に魅了され、影響を受けた西洋作曲家は
数知れないが、その音楽の自由奔放さ、濃厚さ、
ヴィルトゥオージティをこれ以上は無いくらい発揮する
表現の多様性は、ルーマニア気質の原点を成しているのかも知れない。
祭司の家に生まれたクリスティーナが、
若いながらも時折アッと驚くような、
ひらめきの美を伴う表現を生むその根源は、
やはり、時を経て複雑に混ぜられたにもかかわらず、
どこか血の中にうずくまっているものなのかも知れないと、
道行く浅黒い濃い顔の人々を見送りながら、ふと思う。
午後の遅い時間、私とクリスティーナは、車の中に居た。
父ヴァシル氏が、
「気が向いたら、後で私のルーマニア正教会の
仕事現場を見に来るかい?」
と誘ったからである。
辺りは生温かい3月1日の湿気を一息に爆発させたように、
雷を伴うどしゃ降りとなった。
教会へと足元をドロだらけにしながら飛び込むと、
丁度乳児への洗礼の場面に出くわす。
どう振舞っていいかわからない私に、
「好きなところに座って大丈夫、何も緊張する必要なんて
なし」
とクリスティーナが耳打ちし、
私は陳列客のすぐ後ろで、同様に立ってその様子を
観察する事にした。
白い毛布のようなおくるみに大切に巻かれた赤ちゃんは、
洗礼ということをわきまえたかのように母に抱かれて
人形さながらに静謐そのものである。
ヴァシル氏が何か唱えながら、
赤子の額にそっとかめから掬い上げた水を数回つけた。
安堵の表情を湛えた母が、ヴァシル氏と共に教会の後ろへと
振り返って下がる。
若い夫が、嬉しそうにその後を付いて歩く。
親戚が、様々な角度から小型デジタルカメラで、
パシ、パシ、と明るくシャッターを切り、
その人生の記念すべき記録を、年長者として額面に納める。
赤ちゃんが私の横を通り過ぎた。
臨席する皆が申し分なく幸福で、満遍なく満たされ、
儀式を終えるという、人間としての「型」を全うし、
共有する喜びに溢れていた。
丁度一まとめに7歳、5歳、3歳になる年の私たち兄弟が、
両親に連れられて着飾って行った七五三の秋を、
やはりあの日は人生において何らかが特別であった、
と思い起こした。
それは「祈る」ということにおいて切実で必然であったのだと、
何も苦労して着物を着せて子供全員を神社に連れ出す必要も
ない、忙しくて若かった両親が、やはりそれをせずには居られない
理由というのはひとえに、人が祈らずには生きていけない
儚なさを熟知している動物だということに帰依するのだと。
近頃演奏の関係でたまたま知り合ったスイス人心理学者が、
夕食時に日本人の私に向けて漏らした問いがここにある。
「日本人は、戦後、基本的に無宗教だなんて宣言して、
信心深い人は減り、宗教観も薄れていると言いますが・・・
それは果たして本当ですかね?
人間はね、『儀式』を大切にしてきましたよ。
ええ、それが人間らしいんですがね、
そのために争いごとも、問題も生んできました。
さてそのことが、宗教、民族の境目が、
この現代社会にして未だある、どころか世界の問題の一番の
争点となって今までになく混沌を極めておりますがね。
果たしてじゃあ、『儀式』を全く無視したとしてですね、
それじゃあ、その中にあった『意義』やら、
『精神』やらっていうのは、人々の中から本当に消えるんですかね?
無理やり消したかのように思われたその髄が、
かえって根を張ったりするんじゃないんですか?
・・・・そして同時に、『儀式』を論じることが先に来てしまうと、
そのことそのものが、人々が『精神』へ行こうとすることすら
阻むこともあるんじゃないかと・・・」
ヴァシル氏は、洗礼を終えると、つかつかと私達の方に
足を運んで、
「カナデ、良かったらもう少し、夕方のミサを聴いていかない?」
と言った。
「疲れちゃうなら、別に帰ってもいいのよ」
と気遣うクリスティーナに、私は
「勿論喜んで残る」と応えて、二人で端の合唱台のイスに寄りかかり、
ヴァシル氏をはじめ、
4,5人の祭司達のグレゴリオ聖歌の合唱を一時間ほど聴き続けた。
「あの人は、新米の祭司で、今日はこのミサの指揮を
初めて執ってる」
とクリスティーナがいう、恰幅のいい40代半ばほどの祭司が、
金細工が施されたキリスト、聖パウロ、聖ヤコブの画が描かれたドアの
中から出たり入ったりしながら、ミサを取り仕切った。
少々不器用で落ち着かない祭司の動きを見つめながら、
イヤだ、あの人緊張しちゃってる、と私にささやくクリスティーナ。
その日の夕刻のミサの出席者は、
私たち以外にはたった二人きりだった。
大変やせこけた、中年の男性と、
幾重にもスカーフをかぶった老女で、彼らはグレゴリオ聖歌が
一曲終結するたびに、頭を垂れて、深く十字を切った。
「祈らなければならぬ理由」
を、身体全体に湛えて。
「音程、悪・・・!」
何百回も歌われ続けているであろう、父とその同僚の
日々の「儀式」の一部を、祭司の娘、クリスティーナが
横でそっと批評した。そしてすぐに嬉しそうに付け足した。
「でも、そこもまた、心地良いのよね。
時々ちょっとした不協和音が混じって、完璧じゃないところがさ」
ミサが終わると、ヴァシル氏が何かを片手に、
真っすぐに私たちのところへやってきた。
「さあ、よく我慢して全部聴き通したね。
・・・カナデ、これはね、君へのお土産だ。
ルーマニア正教会から、そして私から、
心ばかりの友情の印だよ」
そうやって手渡されたシンプルな白封筒を開くと、
中は芳しいお香と、マリアとキリストのキーホルダー、
そして黒い紐で編んだ、ペンダント式の十字架が
入っていた。
「いつか、お金が出来たら、必ず日本に行きたい、
ずっとそう思ってたんだ。
自己の中の静寂を愛する仏教も、自然を崇める神道も、
本当に素晴らしい。その足跡を、是非尋ねて歩きたい」
と言うヴァシル氏の目は、遠く澄んで、笑みを絶やさず、
その言葉に一点の曇りも疑いの余地もなかった。
その場面が、一瞬にして「西洋音楽」という、キリスト教を
ベースにした、それと切っても切り離せない関係にある
その芸術に携わろうと試みている自分への疑いの気持ちをも、
絡まった糸がひとりでにほぐれていくように、
一挙に解き放ったのだった。
私には許されている、「このことをしようとすることが」、
という根拠のない、しかし強固な確信を植えつけられた、
瞬間だった。
夜8時。
食堂には、クリスティーナと私、
兄と兄嫁が、テーブルを囲んで、テレビを目の前に、
緊張の面持ちで待機している。
イスにあぶれた両親は、一つ部屋を隔てた、
寝室にてやはり同じチャンネルをつけて、
ベッドに寝転んでいる。
アラッド地域のチャンネル、8時のインタビュー番組が
始まった。
タイトルは、
「ヴィオラで音楽を極める・期待のアラッド出身、
クリスティーナ・ポップ」
である。
懸命に笑顔は作っているが、いかにも困惑気味のクリスティーナが、
テレビ画面一杯に現れると、家中にわっと歓声が沸いた。
「ギャー、なんだこの顔!」
自分でちゃかすクリスティーナ、白いスーツに身を包んで、
髪をきつくポニーテールに結ったその姿は、
私が子供の頃にファンだったルーマニアの新体操選手を
髣髴とさせた。
紺のスーツ姿のいかにもNHKのアナウンサーを思わせる
きちんとした面立ちの男性が、
横から丁寧に質問攻めにする。
「ヴィオラを始めたのはどういうきっかけですか」
「高校を優秀な成績で卒業した後、
スペインへ留学された訳は?」
「スペインから、ドイツ・デトモルトへと勉学の場を
移した理由は?」
「スペインとドイツと、どちらが音楽的環境がいいですか?」
おおよそ、こんなこと訊いてるんでしょ、
と察しをつける私が問うと、
「ルーマニア語分かるの、カナデ???」
と驚く一同。大体からして、インタビュー内容なんて、
世界共通で、大抵は面白くも、個性的でも
ないものである。
笑顔を絶やさずも時折首を傾げつつ、
答えに窮する場面が見受けられるクリスティーナ。
「そうだよ、こんなつまんない質問、答えづらくって、
バカらしいったらありゃしない!」
とテレビに向かって照れ交じりに、
片手にしたクッキーを投げそうな勢いで叫ぶ彼女は、
あまりにブラウン管の中のしとやかな新体操選手とは別人である。
兄がこれ見よがしに、どこを見るともなく英語でつぶやいた。
「この番組、ホントにつまんねえな。
・・・・何か他のチャンネルに変えないか?」
その直後兄は背後から腕を巻きつけられ、
妹の首絞めの応酬を浴びることとなるのだった。
その日の夕食を終えると、ポップ家との別れが待っていた。
父ヴァシル氏は、両側に挨拶のキスをすると、
「カナデ、君はもう私たちにとって、
この3日間で本当に娘同様になったよ。
ルーマニアに家族が出来たと思って欲しい。
何か寂しくなったり、助けが必要なときは、
ドイツからいつでも電話したり、来ていいからね」
続いて後ろに控えたエプロン姿の母は、
ただただ私を抱きしめて、
いつものように「ふんふん」と猫が鳴くような声で
挨拶の代わりをする。
兄は人懐こい笑顔を浮かべて、
控えめな兄嫁は、挨拶も照れ気味で、
最後は少し視線をずらす感じで、
初めての日本人との別れを最後まで謙虚に終えた。
その佇まいは、日本人に似ている、と思った。
「日本で、演奏と故郷での時間を楽しんでおいでね。
カナデはきっと、日本ではスターなんだろう」
とヴァシル氏が言う。
いえいえ、とんでもない、残念ながらスターではありませんね、
と言うと、ヴァシル氏は笑みをこぼしながら言った。
「いいや、僕はそんな謙遜は信じないよ。
クリスティーナは・・・勿論駆け出しでスターでもなんでもないが・・・
だけど僕らにとっちゃあ、いつだって一番輝ける小さなスターだ」
その後、一ヶ月経つか経たないかの内に、
兄夫婦に赤ちゃんができたことが判明、
家族中思いがけない喜びに包まれている、
とクリスティーナから聞いた。
冬の名残を留めた乾いた牧草地の中を再び数時間車にゆられて、
ブダペスト空港から一度ケルンに戻り、
その2日後にコペンハーゲン経由で
『故郷』日本へと飛んだ。
飛行機の隣席は、偶然にもポーランド・ワルシャワ出身の
ピアニストだった。
その間目にした風景や人々は、それぞれ個性的で、
系統も趣味も国の生業も国民性もバラバラだったが、
不思議と私にはそれらが繋がって、
違和感や相違や比較を全くもたらさなかった。
成田エクスプレスからのなだらかな春を待つ農地の風景や、
新宿の甲州街道の雑踏が、「浦島太郎」ではなく、
ルーマニアの地続きのような気がした。
3月22日の久しぶりの東京でのリサイタルで、
私はちょっとした初めての経験をした。
普段なら楽屋にいるか、おそらくそこらじゅうを
歩き回ったりして身体を温めたり、
コンニャク体操をしたり、楽譜を眺めたり、
何かと落ち着かないのだが、
JTアートホールには楽屋と舞台袖脇にこんな装置があった。
開演時間前に三箇所に亘る、
ホール入り口、客席前方、後方から見たお客様入場の
様子を、映像にして流しているのである。
今時どこのホールでも珍しくないことなのかもしれない。
ただ、客席全体を映すのは目にした事があっても、
ホール入場のお客様の様子を
今から出て行こうとする舞台袖で逐一見ることが出来たのは、
私にとって少なくとも生まれて初めての経験だった。
私は、開演前に入られたお客様のお一人お一人を、
ずっと見つめていた。
いろいろ日々の変動やご事情の重なる中、
私の小さな音楽会にわざわざ休日を使って
この虎ノ門のホールまでお運びくださった方々が、
紛れもなく私の生まれた土地の、
普段遠くに居てなかなかお話しすることもままならない、
しかし同郷の人々だということを感じたとき、
味わったことのない感銘と、言いようのない緊迫感とが、
一挙に押し寄せた。
ホール入り口の映像を流す機械が、説明もつかないほど強烈に、
それから間もなく舞台に出て行こうとしている一人の弱い人間に、
重力を伴うノスタルジーをもたらしたのだった。
そうして、「日本でのリサイタルに向けて祈る」
と言っていたルーマニアの『家族』が、ここにいても不思議はない、
という錯覚に囚われた。