かれこれ5年ほど前、「自分の本質を知る」という内容のセミナーに参加しました。
そのとき、講師の方が冒頭に言われたことを今でも覚えています。
「なんでそんなに知りたいの?」
「わかる必要ある?」
しょっぱなから…(゜゜)
その方曰く、
「わからなくてもできることいっぱいあるでしょ?」
「できるんだったらよくない? 使えたらそれでよくない?」
“わからなくてもできること“って、例えば
スマホの作り方
→作り方知らないけど使ってる
電気はどうやってできる?
→学校で習ったかもしれないけど覚えてなくても使えてる
などなど。
…確かに。ん?確かに?
それでも私は知りたいんだー! ってそのときは思ったのですけど、当時講義を受けて「なるほどー!…で?(゜゜)」ってなったのも正直なところです。
(もちろんしっかり「自分の本質」にまつわる講義をしてくださいました)
「自分を活かして仕事をしたい」
そう強く願っていました。
↓
じゃぁ、その“自分”ってなあに?
↓
自分のことを知らなくちゃと。
それがいつの間にか、
「自分のことを知らなければ自分を活かした仕事はできない」
ってなっていった。
わかる。だからできる。
それはそうかもしれないけど
わからない。でもやっている。
も あるのにね。
それをわかりたかったともいう
そもそも「わかる」ってなんなのだろう?
わからないことのほうが圧倒的に多いのに。
なにをそんなにわかりたいんだろう?
わかったらどうなると思ってるんだろう?
わからないとどうなると思ってるんだろう?
それってわからないとできないことなのだろうか?
わかる必要のあることは、わかる必要のあるときに、わかるようになっている。
のだとしたら?
わかるためにがんばるのも良いけれど。
わかったらこうなる!
わかったらこうできる!
そう思っていることを、今できるところからやってみてもよいかもしれない。
わかりたいという気持ちはそのままに。
興味や好奇心からだったものが、わかること自体に固執し始めることがある。
そう気づいたら思い出したい言葉。
「わかる必要ある?」
今でも時々思い出す、なかなかのパワーワードです^^
お正月は毎年「もちっこ」でお餅を作ります。
今はこんな感じなのですね~↓
我が家のはこちら。まだ使えるのすごい。
「もちっこ」の仕組みはわからないけど、お餅は食べれる(笑)
お餅をみんなで作る楽しみ、お餅をみんなで食べる美味しさが味わえれば良いのです。
「とはいえ、わかりたいんだ!」って気持ちもよくわかる。
そんなときはとことん「わかる」に突き進もう!
ということで、「わかる」にまつわるこちらの記事も良かったら。
いろいろ書いてた…(笑)
「わかりたい!」が強いものでつい。