命日 | kanaのブログ

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海外で不妊治療をして2012年1月陽性頂きました。
双子妊娠だったのですが一人をお空に送りました。
9月イスラエルのお正月に出産しました。
海外在住の方、不妊治療で頑張っておられる方
色々お話ししませんか?

明日3月29日は
娘の命日

3年前のこの日
娘をお空に送りました

当日私は双子を妊娠

けれども10週目のウルトラサウンドの検査で双子の内のひとりが頚部浮腫の疑い

双子の為血液検査による
染色体異常の検査は対応しておらず
また羊水検査は危険と言う事もあり
絨毛検査をしました

絨毛検査は予想以上に
痛く大変な検査でした

その後も出血もあり
検査による感染が心配でしたが
救急で病院で検査して貰ったら
感染の疑いはなく
双子は元気に動いてました

絨毛検査の結果が思ったより早く出て
直ぐに担当医から直接主人の携帯に連絡が入りました

双子のうち一人が21トリソミーでした
絨毛検査をした結果
双子の性別もこの早い時点で分かりました

診察に当たって下さった先生と話し合い
その後診察に当たって下さった先生と絨毛検査をして下さった先生方が会議をして下さったそうです

それから主人と二人で話し合い
それから先生とも話し合い
夫婦で双子のうち一人をお空へ送る事を決めました
とても辛い決断でした
だったらなぜ産まなかったの?と思われるかもしれません
初産、しかも高齢出産、産んだとしてもただでさえ双子だと手が二倍も掛かるのにその内ひとりが21トリソミーともなればその三倍も四倍も大変だと先生からのご意見、それに私の年齢からの体力の心配、
言い訳に聞こえるかもしれませんが
またイスラエルでは21トリソミー等の場合医師は産む事を勧めない先生が殆どのようです
先生は勧められないとおっしゃってました

2人で話し合い話し合い
決めた事です

29日の早朝
絨毛検査をした病院へ主人と2人で行きました
まだ早朝と言う事で風が冷たく
朝日が登り始めたばかりの空でした
眩しかったのを覚えています

お空に送った瞬間手術の痛みよりも
(麻酔は無しでした)
心の痛みの方が大きく
手術後初めて大泣きをしました
手術に当たって下さった先生も私の意志を分かって下さってて
「手術が痛かったんじゃないよね、ここ(胸に手を当てて)が痛くて大変なんだよね、分かるよ、辛いよね」と言って下さり
ますます声を上げて泣いてしまいました
私の様子を見て主人も辛い顔をしていました
男の人ってこんな時何もできないから余計に辛い気持ちなんですよね
主人にも申し訳ないなぁと思っていました
術後落ち着くまでかなり時間がかかりました
また11時頃の手術で終わったのは12時頃
それから安静室に行って横になって診察を受けてから医師のOKが出たら帰宅なのですが、昼食も配られてきて食べる気が出なかったのですが、もう一人の子の為に少しだけでも口にしました
主人も部屋に居てくれてましたが、私は少し寝るように言われたので、主人には外で売店やカフェに言って来てと言いました
合間合間に違う産婦人科の先生が来てお腹の張りを見たり血圧を測ったり
出血の様子も確認
先生も合間に手術があったり診察があったりで早く自宅に帰りたいと思っていても
先生が掴まらず部屋で長時間待たされ
またOKがすぐに出なかったので
OKが出たのは手術が終わってから
6時間後でした
主人も6時間病院に居てくれてました

お空に送ったと言ってもその子はお腹の中に入ったままです
そのまま自然に胎内に吸収されるのが殆どだそうです
希な場合出産時にそのまま残っていて出産する形になる事もあるらしいです
私の場合は後の例で出産の時までお腹の中で吸収されずそのままの形で残っていました
エコー検査の時も成長しないままで姿を見る事ができていました
それをまた見るのも辛かったです

当時批判の声もここでありました
子供ができず欲しくて治療して授かったのになぜ産まなかったのですか?etc……
色々なご意見があるのは分かりますが私達夫婦が決めた事ですし、はいそうですか!では手術します!って簡単に決めたわけでもありません
分かってくれとは言いませんが
こう言う選択もあるのだと言う事を頭に入れておいて下さると有難いです

6時間後やっとOKが出て帰る事が許されました
帰宅許可にサインをして先生に挨拶して病院を出ました

朝は朝日が眩しかったのに
帰りはまた肌寒く
今度は夕日が迎えてくれました

何だか娘が
パパママバイバイね!って言っているようでした

まだ10週で胎動なんてまだまだ感じない時でしたが
胎動を2つ感じられると妊娠がわかった時思っていましたがそれがなくなったと思うとお腹にさみしさを感じましたね

二日前は主人の誕生日で双子の娘たちと最後のパパの誕生日祝えました
また義父のお墓参りに行った時に双子妊娠の報告もできましたが、病気が消えて奇跡が起こってくれればいいなぁとお願いした時でもありましたが残念ながらそれは叶わなかったです
いいように取れば義父が孫を抱きたくて呼んだのかなとも思ったり

双子の内残ってくれた今の娘
出血が続いたり心配もありましたが
お腹の中でしっかりしがみついてくれてたみたいで頑張ってくれて
無事に生まれてきてくれました

先日同じ病院へ主人の治療で私と娘も一緒に行ったのですが
丁度三年になるね!って話していたんです
あの日と同じ場所の駐車場に停め
あの日の朝日と夕日を思い出していた私でした

3月29日私にとって
一生忘れない日です
生まれて来られなかったもう一人の娘
ゴメンネの気持ちと感謝の気持ち毎年変わりません
その分もう一人の生まれてきてくれた娘に愛情いっぱいこれからも注いでいきたいと思います

色々なご意見があるかとは思いますが
私達夫婦が選んだ道ですので
何卒ご了承下さい