大阿闍梨 塩沼亮潤さん | かむなぎ(神和)の道

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日々の気づきやメッセージなどを書いていきます。

過去のブログより・・・2008/11/11(火)

 

 

1ヶ月前ほどでしょうか。
書店で1冊の本を手に取りました。
タイトルは、「人生生涯 小僧のこころ」です。

書店で「お勧め」のカードがかけられていたので、何となく手に取って、パラパラとページをめくってみました。

吉野の大峰山にある修験の道場で、

「千日回峰行」という非常に厳しい修行があり、

著者はその行を満行した方であることが分かりました。

そしてその行は、一度スタートしたら途中でやめることはできず、もしやめる場合には理由はどうあれ、死なねばならないということ。


驚きました。

早速本を購入し読んだわけですが、その内容には、ただただ驚かされるばかりでした。

あまりにも壮絶な行の有り様。
そして行じる最中の塩沼さんの生々しい心の叫び。

単に「苦しい」ということだけではなく、その行の中で得た数々の悟り。
そしてその果てに見出された、生きるとは何か?人生とは何か?その問いの答えが、生きた言葉で記されていました。

心から感動しました。


本を読んでから2週間後、僕は奈良県にいました。

塩沼さんが修行された金峯山寺に足を運んでみたかったのです。

そして彼が歩んだ道程を、自らの足で少しでも歩んでみたかったのです。

彼は1日48kmを歩きましたが、僕は3kmでダウンしました。
勾配があまりに急なのです。
たった100mで足がつりそうになるほどです。

48kmという距離もそうですが、高低差1300mということがどれだけ物凄いことなのかを身をもって体験できました。


そしてその翌週。僕は仙台に赴きました。

塩沼さんが住職をつとめる慈眼寺へ行くためです。

塩沼さんは、毎週日曜日の13時より護摩修法を行います。

護摩というものを何度か見たことはありますが、あれほど鬼気迫った護摩は見たことがありません。
まさに命がけという感じでした。

自らの魂を削り取り、その削ったものを祈りとともに火中に投げ入れる。そんな感じでした。

1時間の護摩でしたが、その圧倒的雰囲気にのまれっ放しでした。


護摩には100名ほどの参拝者が立ち会っていました。

護摩が終わった後、護摩堂から参拝者が出て行く訳ですが、塩沼さんは参拝者の1人1人に微笑みを向け見送ってらっしゃいました。

11月中旬の寒空の中、薄い着物1枚のみをまとい、ただただ微笑みを向けていらっしゃいました。

すごい方だと心から思います。


帰り際、少しお話をさせていただきましたが、そのほんの僅かな時間が、今僕の宝物になっています。


「人生生涯 小僧のこころ」という本に出合えたこと。
塩沼さんにお会いできる機会が得られたこと。
本当に心から感謝です。
有難いことです。