10月26日(日)東京八重洲ホールにて第1回尾台榕堂顕彰会を開催します。尾台榕堂に詳しい、詳しくないに関係なく参加資格は
漢方を愛する者
ただ1点です。医師や薬剤師、鍼灸師に限らず、薬膳、アロマ、ダイエットなどの関係の方からの問い合わせもあり大変うれしく思います。また江戸時代~幕末の歴史関係の方や尾台榕堂の出身地十日町から参加していただける方もいます。改めてその広がりに深謝いたします。またこのブログを見てお問い合わせをしていただける方もおり日本ブログ村やアメブロにも感謝です。事前予約なしでも当日八重洲ホール201に来ていただければ参加大丈夫です。では当日お会いできるのを楽しみにしております。
第1回尾台榕堂顕彰会
10月26日(日)
東京八重洲ホール201
10時~15時(昼休憩時に尾台榕黄住居跡碑前で記念撮影を行います)
尾台榕堂先生と『方伎雑誌』
花輪壽彦(北里大学東洋医学総合研究所所長)
座長:並木隆雄(千葉大学附属病院和漢診療科長)
尾台榕堂の著書と遺墨
小曽戸洋(日本医史学会理事長)
座長:天野陽介(東亜医学協会)
尾台榕堂住居跡碑完成までの道のり
吉村重敏(十日町市市議会議員)
座長:庄子 昇(前徳島文理大学教授)
尾台榕堂と浅田宗伯の交流模様
渡辺浩二(渡辺産婦人科)
座長:田渕絵美(田渕内科)
新富義侯(三慶医院)
お問い合わせ先
尾台榕堂顕彰会事務局
くわたに内科 担当 院長 桒谷圭二(くわたにけいじ)
第1回尾台榕堂顕彰会{10月26日(日)}までおよそ2週間になりました。発足間もない会ですが、少しでも多くの参加者を気持ちよくお迎えする準備をしております。来賓として尾台榕堂のご子孫の方に出席していただけることになっています。歴史と現在がリンクする貴重な場です。数多くのご参加をお待ちしています。
尾台榕堂は1799年現在の新潟県十日町市に誕生。
幼名は四郎治。生誕地には記念碑が立っている。
尾台榕堂は1870年巣鴨で死去。
墓は東京都台東区谷中観音寺にある。
戒名は「廉昭院貉然無悶居士」
にほんブログ村
医食同源そして薬食同源という言葉があります。今までの医師としての経験から残念なことに体に悪いものはおいしいことが多く、体にいいものは物足りなかったりあまりおいしくないものが多い。そんななかである種の薬膳はおいしくしかも体に良いを両立させている。薬膳の本はたくさん良い本があるが第1回尾台榕堂顕彰会で特別講演の座長をしていただく並木隆雄先生が中心になって書かれた本が
千葉大学病院の薬膳ごはん
である。漢方治療は食事に準拠することも多い。しかし制限が多かったり、おいしくなかったりするとなかなか続けていいくのは難しい。そのようなときに一工夫できるこの本は治療のパートナーとして最適である。
- ¥1,652
- Amazon.co.jp
にほんブログ村
第1回尾台榕堂顕彰会
平成26年10月26日(日)
東京八重洲ホール201にて開催
お問い合わせ先
尾台榕堂顕彰会事務局
くわたに内科 担当 院長 桒谷圭二(くわたにけいじ)
第1回尾台榕堂顕彰会まであと2月を切りました。基礎知識として尾台榕堂の略年表を再掲します。しかし尾台榕堂の魅力はこの行間にあります。是非10月26日(日)八重洲ホールにてお会いしましょう。
1799年 越後の国中条村(現新潟県十日町市)に生まれる。
13歳 初めて病人を診察。傷寒に麻黄湯を処方。
(この年父と祖父が相次いで死亡する)
16歳 江戸に出て尾台浅嶽に師事。
(以後10年間修業し浅嶽門弟筆頭になる)
26歳 兄の病気に伴い帰郷して兄とともに開業。
36歳 江戸の大火。師浅嶽が心労で死亡。
(師恩に報いるため再び江戸に出て師家を継ぐ)
37歳 この頃私塾「尚古堂」を主宰。生涯300余人を育てる。
(以後家名を汚さず益々繁栄。名医の代名詞となる)
53歳 初めての著作『橘黄医談』を著す。
(生涯20冊を著作。なかでも『類聚方広義』『重校薬徴』『方伎雑誌』などは現在でも漢方を学ぶ者にとって必携の書となっている)
63歳 第14代将軍徳川家茂の侍医となる。
(この際①剃髪せぬ事②常詰出仕でない事③庶民の診療を続ける事を条件として受諾。この申し入れの許可は当時としては異例のことであった)
69歳 家督を尾台浅嶽の遺児武雄に譲り執筆活動に専念。
72歳 明治3年11月29日巣鴨の自宅にして死亡。
第1回尾台榕堂顕彰会
平成26年10月26日(日)
東京八重洲ホール201にて開催
お問い合わせ先
尾台榕堂顕彰会事務局
くわたに内科 担当 院長 桒谷圭二(くわたにけいじ)
にほんブログ村



