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乾パンのブログ

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どうやら今日、衆議院選挙が公示されたようですね。

ポスター掲示場にポスターが張られていましたひらめき電球

 

 

いわき市が属する福島4区は4人が立候補のようです。

5枠・6枠等にも立候補者がいるかもしれませんが・・・

 

まぁ初日に全てのポスター掲示場にポスターを張り切れない候補者は

言っちゃぁ悪いけど泡沫候補ですわな汗

 

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一昨日辺りから突如として弊ブログにアクセスが急増した記事がコレ下矢印

原知宏さんについて述べた書き込みですな。

もう15年前の投稿なんですけどねぇ

 

玉野和紀さん主宰のエンタメショー『CLUB SEVEN7』に出演された原さん。

wiki等で検索してみたら・・・V6(グループ)のメンバーだったのが直ぐに交代!?

そうなのはてなマークはてなマーク

 

国会図書館に行って調べたら、意外な「事実」が分かった・・・という顛末。

wikiには(嘘とは言えないのかもしれませんが)不正確な間違い記事があるということを

再確認した出来事でした。

 

 

何で今回この記事にアクセスが急増したのかはてなマーク

調べたらすぐに分かりましたパー

 

原さんはTwitterで御自分のアカウントをお持ちなんですねぇ

その発信した記事の内容から弊ブログに検索かける方々が多いようです。

 

芸能界を引退されて確か舞台の製作関係の仕事に就かれたて表舞台からは消えました。

いつの間にか人材業(キャリア支援・転職サポート!?)に転身して

SNSで情報発信し始めたようです(いつからだろうはてなマーク

 

んでV6(当初はVsix)のメンバーに成るか成らないかはてなマークの頃の感情を

赤裸々に語ったというわけか・・・まぁ書けない事の方が多いと察しますが汗

 

 

「抜擢」って難しいよねぇ

抜擢されてTVや舞台の真ん中でスポットライトを浴びて誰もが知る有名人になる陰には

追い抜かれてチャンスを掴めないまま表舞台から去る人もたくさんいる。

 

でもこれは仕方がないとも言えるわけで。

これで恨みつらみを言うのはやはり「如何なものか」という印象を持ってしまいます。

 

かつてですが宝塚歌劇団月組路線娘役であった某娘役さんが

トップ娘役まであと一歩というところで(トップ娘役不在で月組1番手娘役になったのに)

娘1に抜擢されずにそのまま退団という出来事がありました。

 

退団後にご自分のブログでその頃の自分の心情を正直に語り始めたら・・・

プチ炎上してしまいましたショック!

この話題はシビアであるがゆえに「夢の世界」の話ではないんだよなぁ

 

 

ジャニー喜多川さんはご自分の感性(好み)でジャニーズの所属タレントを抜擢する

傾向にあったようです。

 

でもV6はかなり成功して各々のメンバーもTVでお馴染みだったしなぁ

よってこの「抜擢」は上手くいった事例と言えるでしょうドキドキ

 

でもその陰にはあと一歩まで行って(雑誌に名前まで掲載されて)

栄光を掴み切れなかったティーンエイジャーが居たってことで。

 

原さんもファンの方々もさぞかし辛かったと察します。

今の時期になってようやく昔の苦い思い出を

「総括」出来る心情に至ったのかもしれません(邪推ですが)

 

 

どんな世界でも「抜擢」ってのはあります。

マークシート試験だと点数の優劣でその人のスキルは一目瞭然ですが、

現実社会ではそうはいかないですからね。

 

「レギュラーに抜擢」「ベンチ入りに抜擢」「管理職に抜擢」「取締役に抜擢」等々。

その抜擢が適正か否かは別として・・・そういうモンなんですな。

 

宝塚歌劇団の娘役とかもさ・・・トップ娘役には想定外の抜擢も多々あります。

芸達者なベテラン路線娘役が梯子を外され、

未熟な若手娘役が抜擢されるのは日常茶飯事。

 

その抜擢された娘役が誰もが認める美人さんや可愛い子ちゃんなら兎も角として

そうじゃない方もいらっしゃいます。

 

納得できない悔しい思いをして退団してしまうジェンヌさんも多いと察します。

難しいなぁ汗

 

 

でも「抜擢」は組織にとって必ず必要でもあります。

日露戦争開戦時に連合艦隊司令長官に「大抜擢」された東郷平八郎中将(当時)

その頃は佐世保鎮守府司令長官→舞鶴鎮守府司令長官→連合艦隊司令長官へと

一見奇妙な人事異動されますが・・・当時の日本軍の人事は柔軟であったと。

 

佐世鎮司令長官→舞鎮司令長官はどう考えても左遷人事だし、

舞鎮司令長官→連合艦隊司令長官は考え難い大抜擢人事。

(言っちゃ何だけど昭和の日本海軍ではあり得ない。)

 

何で東郷が連合艦隊司令長官なのかはてなマーク」と訝る明治天皇に対して

東郷は運がいいですから!!と山本権兵衛海軍大臣が言った逸話は伝説のようです。

 

東郷さんのwikiでは東郷平八郎が連合艦隊司令長官に抜擢されたのは

将官の中で実戦経験豊富な東郷が至極順当に選ばれたというのが真相」とあります。

 

でも一見抜擢に思える「至極順当な人事」が硬直した人事体制の組織では

無理になるのも然りであります。

組織にとって自由に抜擢する体制が必要なのも事実だと感じます。

 

JR常磐線四ツ倉駅前交差点に衆議院選挙のポスター掲示板が設置されていて驚きました。

ホントに選挙するんですねぇ・・・このクソ寒い季節にさ雪の結晶

 

 

いわき市は福島県第4区なんですね。

小選挙区選挙とのことで当選定員は1名のハズですが・・・ポスター枠は8つ。

選管的には立候補者5±1名程度を想定している訳で立候補者が多いなぁグッド!

 

 

いわき市選挙管理委員会のポスター掲示場のトップナンバー(「1-1」)はココドキドキ

どうでも良い話ですがねべーっだ!

 

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弊ブログのアクセス解析を眺めるのが好きですが・・・

時々、思わぬ過去ブログに多くの方々が検索されているのを確認することが出来ます。

 

 

上矢印今回はコレ。

小野田襄二さんについて述べた書き込みに多くの方々がアクセスされていて

ちょっとだけ・・・驚きました。

 

小野田氏には色々な肩書きがありますが、そもそもは革共同中核派政治局員だった方。

中核派の面白いところは様々な離脱者・脱落者が

党中央を批判するような「回想録」を書いて公然としていること。

小野田襄二氏は1967年の10・8羽田闘争前後に中核派を離れた幹部の人なのですが・・・

 

中核派の「教祖」であった本多延嘉氏は

去る者は追わず、闘争が激しくなれば脱落者が出るのもやむを得ない。

という立場だったようです。

色々あるようですが中核派の(かつての)気質はこんな感じだったんだな。

 

 

調べてみたら論創社さんで「小野田襄二回想録 革命飆飆」が新規出版されたんだベル

既に小野田襄二さんは死去されてますから編者による編集作品のようですが・・・

 

是が非でも読みたいパーと思いつき(今日は午前中まで仕事だったので)午後から

いわき市街のアッチコチの書店を巡りました。

 

 

いわき市で最もデカい書店は多分・・・鹿島街道走熊交差点近くの鹿島ブックセンター。

「小野田襄二回想録」は売ってなかった

 

 

ってな訳で小名浜イオンまで久し振りに出張ってみました。

小名浜イオンのブックエースさんで売ってなければ(多分)いわき市のでは手に入らないな汗

 

 

小名浜イオンはホントにデカいグッド!

郡山イオンよりもデカい。

イオンがあるってことは大都会であるってことですチョキ

 

 

イオンモールでも在庫無し汗

書店で購入するためには東京新宿の「模索舎」さんに行かなきゃダメなのかなショック!

(模索舎ってまだあるんだっけはてなマーク

 

 

ハワイアンズいわき(旧常磐ハワイアンセンター)はいわきの誇りですねチョキ

運営する常磐興産(株)さんは外資系に買収されたんでしたっけはてなマーク

地方のエンタメ施設を経営するって大変でしょうねぇ(新型コロナとかもあったしね。)

 

 

水族館アクアマリンふくしま。

 

 

道の駅いわきららミュウも賑わってました音譜

 

 

小名浜イオンモールは福島臨海鉄道小名浜貨物駅の跡地であります。

東日本大震災における巨大津波で壊滅。

だからこそ広大な貨物ヤードが空き地として転用できたってな塩梅。

小名浜地域はいわき市の中心街たる平地域とは僻遠した盛り場となっております。

 

 

小名浜港の一角にある妙なタイルの紋様。

これは旧日本海軍駆逐艦「汐風」が終戦直後に沈船防波堤として埋殺しになったレリーフですね。

 

 

近くに説明板あり。

小名浜港には駆逐艦「汐風」「澤風」が防波堤として沈められましたようですが、

その後に「澤風」は撤去され「汐風」はそのまま現在までに至ると。

 

 

駆逐艦「汐風」は峯風型駆逐艦。

艦橋前部の甲板がカットされて低くなっていますが、こうすると凌波性が向上するそう。

太平洋戦争期の帝国海軍駆逐艦のこの特徴を最初に採用したのが峯風型とのこと。

 

 

アクアマリンふくしまはこの位置だと巨大な潜水艦に見える目

 

 

小名浜マリンブリッジ。

関係者以外渡れない橋ですな。

仕事で行く機会が訪れると良いなぁ音譜

 

 

で・・・いわきF.C.の小名浜スタジアム建設予定地の駐車場を改めて訪問。

広いねラブラブ

 

 

でもさ・・・この小名浜地域の休日における駐車場不足は結構深刻に感じる。

これで小名浜スタジアムでJリーグの試合が行われれば・・・

更に千台規模の乗用車が押しかけるのは目に見えてる。

 

Jリーグの試合ってシーズンのみでそれも隔週で1日だけ行われるペースだし・・・

よくよく考えてみると地方のJリーグスタジアムにおける駐車場問題って難しい課題に感じる。

 

貨物専用の福島臨海鉄道をJリーグの試合時のみ臨時旅客運行するって案も・・・

よくよく考えてみると難しいぞあせる

 

 

じゃぁ帰りは小名浜から江名経由で湾岸道路を通って四倉へ戻ります車

常磐バイパス走るより少し遠回りだけど信号無いから楽ドキドキ

 

 

夏は海水浴客で賑わう薄磯海岸。

太平洋は青いね波

 

 

塩屋埼灯台。

上に登れる灯台として有名ですが・・・

今日は矢鱈と風が強かったし・・・休業したんじゃないかな!?

 

久し振りの書き込み・・・

先ずは・・・将棋界の最長老格である加藤一二三九段の訃報に驚きました。

御冥福をお祈り致します(-人-)

 

2017年に棋士としての現役引退されていますから元将棋棋士ではありますが.

随分と御高齢だし、今度加藤九段が話題になるのは訃報じゃ無いかなぁ・・・と

覚悟はしていました。 

 

 

享年86歳は、私の父が亡くなった歳と同じだな。

死因は「肺炎」とのことですが、誤嚥性肺炎じゃないかはてなマーク

と思ったりします。

 

棋界きってのユニークなキャラの御仁だったなぁあせる

敬虔なクリスチャンであり愛猫家だった方。

 

近所の野良猫の餌付けを行って住人トラブルになったり・・・

親族の方々は大変だったらうなぁ

 

あと何分!?」とか、10年単位で対局の昼食で同じ食事(うな重)を注文し続けたり・・・

変わった人だったんだろうなぁ

 

 

私が加藤九段のお顔を拝観出来たのは・・・12年前の京急将棋祭りでしたな。

京急上大岡駅前の京急デパートで行われた将棋祭り。

あの頃(東京都大田区久が原在住時代)の私はライトな「見る将」でしたひらめき電球

 

兎に角・・・加藤九段は頭の回転の速い方・・・という印象でした。

速すぎて口の回転が追いつかない・・・もどかしさを、聞く方でも強く感じましたな。

もう足腰は弱っていらっしゃるようで座っての「座談会」でしたがビックリマーク

この方は天才だパーと思ったモン。

 

人間誰しも寿命がありますからね。

残念です。

 

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先週末の土曜日は休日出勤しまして、明日明後日の休日も出勤確定汗

ってな訳で、郡山の病院に行って血圧の薬を処方してもらう暇が無い。

 

ってな訳で1月19日の月曜日は代休を頂きまして郡山市の病院へ車

医者の先生の診察を受けないと降圧剤の薬を処方して貰えないんだよな。

 

帰りは郡山市開成にある開成山大神宮へ。

福島県いわき市も寒いのですが郡山市はそれ以上に寒かった雪の結晶

 

 

開成山大神宮は開成山公園の西側にあります。

神明鳥居ですね。

 

 

神社には階段が付き物ですラブラブ

 

 

郡山市在住時代には、JR郡山駅前の安積国造神社と共に新年には参拝していた神社。

 

 

明治維新を迎えて従来の「支配者」であった武士階級(士族)は総失業。

彼らの救済は維新政府にとって喫緊の課題。

 

士族授産、殖産興業の一環として不毛の原野であった安積原野を利水すべく

安積疏水を建設。

維新政府が行ったインフラ整備でも安積疏水は最も上手く行った事例ではありますが・・・

 

 

各地の没落士族がこの郡山(安積)に入植しますが・・・

彼らは各々の信ずる「神様」をバラバラに持ち込みます。

 

これだとこの新たな「新天地」を一統出来ないと感じた維新政府が、

伊勢神宮の分霊の奉遷したのが開成山大神宮とのこと。

 

ってな訳でこの開成山大神宮は、この場所の「土着的信仰」の神社ではなくて

明治維新以降の国家政策の色彩を色濃く反映した神社のようです。

 

 

開成山大神宮の向かいにあるのが開成山公園。

 

 

「開拓者の群像」碑。

安積原野の初期入植者(士族)の苦労は並大抵ではなかったとのこと。

その「受難の歴史」が郡山の礎になってる気がするなぁ

 

 

開成山公園の池はウッスラと凍結してました。

昼間でも氷点下でしたから。

 

下矢印埼玉大学教育学部人文地理研究室の谷謙二先生が公開している

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」を参照。

昭和6年測量の地図ですが・・・

 

 

開成山大神宮の向かいに競馬場があったことが分ります馬

現在の福島県には福島市に福島競馬場がありますが・・・

昭和時代初期には郡山に競馬場があったわけでべーっだ!


 

上矢印国土地理院様の航空写真参照

昭和22年のUSAF撮影の航空写真。

 

写真中央に四角形の「空き地」がありますが・・・これがかつての郡山競馬場跡地やな。

戦前期の「参謀本部の地図」での競馬場の地形とは随分と異なりますが。

当時の地図はこんなモンだったのかなぁあせる

 

終戦直後の昭和22~23年頃。

占領軍たる米軍は日本全土の精密な航空写真を撮影しますカメラ

これらの膨大な写真資料はその後に国土地理院に移管されます。

 

昭和30年代の高度成長期以前の日本の地形を克明に撮影した航空写真は

現在では非常に貴重な文化遺産になっています。

 

現在では失われた近世・中世・古代・上代の日本の地形が

これらの航空写真によって推測することが可能なんですからラブラブ!