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乾パンのブログ

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今日、ふと宝塚友の会のアカウントを確認していたら・・・

私のステージがシルバーからブロンズに格下げになっているのをみて驚いた。

 

そっか・・・このペースの宝塚観劇だとランク的にブロンズクラスになるんだね。

まぁ分っちゃいたけどちょっとだけショック叫び

 

ブロンズになると全ての公演の先行申込で第3次抽選しか申し込めないんだっけはてなマーク

今まで結構第2次抽選で当選してチケット確保してたんですけどね。

 

ちょっと残念ですが東北地方に住んでいるし、しがない高齢サラリーマンの身にとって

これ以上観劇機会を増やせないんだよなハートブレイク

 

かつては夢中になってあらゆる手段を駆使してチケット確保して宝塚観劇してました。

もうそんな情熱は無いしねぇ

私の宝塚観劇趣味はどうなりましょうか!?

 

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福島県いわき市も藤の花が目立つ季節になってきましたクローバー

 

 

道端に野生の藤の花が咲いています。

緑の中に紫色の花ですから目立つんですな音譜

 

 

藤はホントに独特の花序で見ていて飽きませんね。

 

 

日本の野生の藤にはノダフジとヤマフジがあって、

ツルの巻き方が右回りと左回りで違うそうですが・・・

素人にはわからへんでぃにひひ

 

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んで・・・道路の路肩や駐車場の片隅でナガミヒナゲシの花が咲く季節でもあります。

 

 

私が東北支店に赴任した8年前には、

まだ東北地方にはナガミヒナゲシの花は目立ってなかった。

 

この8年間でホンに爆発的に増えている様な気がします。

きっと強靱な植物なんでしょうねぇ

 

 

花は綺麗なんですけどねぇクラッカー

でもポピーよりもちょっと貧相ですね汗

 

 

いわゆる芥子坊主も細長いですね。

ケシ一族って私的には最も好きな花の一つベル

 

東南アジアの方ではもっと立派な芥子坊主のケシの花が咲くそうで・・・

見てみたいなぁ目

この前の日曜日は山形県東根市にある陸上自衛隊神町駐屯地で挙行された

創立記念行事(観閲式)を参観致しましたが・・・

 

 

これから福島県いわき市に帰って月曜日は通常勤務ですから

どうしても早く帰らなければなりませんあせる

 

14時からB庁舎前で行われる福島第44普通科連隊隊員による

ファンシードリル実演も見たかったんですがね。

残念ながら13時には神町駐屯地を後にしました。

 

 

東北中央自動車道を南下して米沢市経由で栗子峠を越えて福島市へ車

山形盆地は平たいですねぇグッド!

 

 

福島JCT→伊達桑折JCTから福島相馬自動車専用道路に入って霊山ICで下車。

国道349号線→国道459号線→浪江→常磐自動車道でいわき市四倉町へ帰りました。

 

 

上矢印福島県伊達市では市議会議員選挙のようでポスター掲示場が設置。

左下の赤角枠に白抜きの投票日表示は・・・かつて住んでいた郡山市の選管と同じ仕様。

 

んだら福島県中通り地方では同じ業者さんが公職選挙のポスター板設置を

請け負っていると察しますが・・・んだばい!?

 

 

伊達市月舘町下手渡って場所。

 

 

史跡下手渡藩陣屋跡があります。

下手渡藩って御存知ですかはてなマーク

 

超ディープな日本史(江戸時代史若しくは戊辰戦争史ファン)じゃなきゃ知らない藩。

だって江戸時代後期~末期の63年間しか存在しなかった小藩ですからね。

 

私も最近になってグーグルマップを閲覧しながら下手渡藩陣屋跡の存在を知りました。

今回訪れたのは国道349号線を初めて通っていて偶々見つけました。

 

 

下手渡藩陣屋跡。

1万石の小藩ですから御城はなくて陣屋。

 

そもそもは九州の守護大名大友氏系戦国大名立花氏の

三池藩(1.4万石)が転付されて創立されたのがこの下手渡藩(1万石)

 

近世大名立花氏と言えば誰しも大藩であった柳河(柳川)藩を思い起こしますが、

三池藩の立花氏は柳河藩の立花氏と同族だったみたいですね。

正直、知らなかった汗

 

昨年のNHK大河ドラマ「べらぼう」でも描かれていた松平定信と徳川(一橋)治済の対立。

小藩だった三池藩主の立花種周は幕閣で若年寄の重鎮だったんですな。

しかしながら「一橋派」に組みした種周は定信との政治抗争に敗北して失脚。

先祖伝来の北九州から飛ばされて遙か離れた東北の小藩に左遷されたというわけ。

 

色々あって下手渡陣屋(0.5万石)と三池陣屋(0.5万石)と1,000km離れた二つの領地

を所有する下手渡藩(1万石)ですが・・・

 

幕末期における戊辰戦争では三池陣屋では新政府軍に組みし、

下手渡陣屋では奥羽越列藩同盟に組みする苦渋の選択をせざるを得な状況に。

 

それでも下手渡藩内で対立することなくナントカしようとする努力はかなり立派です。

しかしバリバリ佐幕派の仙台藩はこのようなコウモリ的態度を示す下手渡藩に激怒ハートブレイク

 

下手渡藩領に侵攻した仙台藩兵200名はこの下手渡陣屋を焼き討ちして

下手渡藩は消滅(=三池藩として再興)する結果となります。

 

 

明治維新後に旧下手渡藩士の方々が建立した石碑。

そりゃ九州出自とはいへ60年間もこの陸奥の片隅に暮らしていた藩士にとっては

再び三池に戻ったにせよ「故郷」はこの下手渡の地だったってのは分ります。

 

 

こんな歴史がこんな福島県の片隅にあったなんでねぇチョキ

 

 

こんな片田舎に大名の陣屋があったなんてねぇベル

 

 

この純然たる田園風景ですが200年前はこの場所に

(1万石とはいへ)幕藩体制による近世大名が政治を司る藩庁(陣屋)がありました。

ヘァ~としか言いようがないです。

 

 

更に国道459号線へ。

旧街道って良いですが人が住めない場所ってのがなぁ汗

 

 

片交の場所多しあせる

 

 

この辺りは帰宅困難区域ばかりであります。

線としての幹線道路は通れますが面としての入れない。

地域としての除染作業はこれからの課題ですかね。

 

 

パトロールカー(警察か行政かは分らんけど)が走り回って居て

四輪車から降りるのも気が引ける場所。

まぁ人が住めない場所ですから空き屋の泥棒とか

産廃の不法投棄が多発していると察しますビックリマーク

 

 

東北電力㈱さんの昼曽根水力発電所で寄り道。

 

 

道路上から圧力水管が望めるって素敵だなぁベル

 

 

昼曽根水発は福島県内でも最小規模の水力発電所のやうですが・・・

でも素敵だなぁドキドキ

 

水力発電所好きチョキ

火発も原発も地発も好きだけど。

こん前の土曜日は福島競馬場で競馬を楽しんだ後・・・

東北中央自動車道で栗子峠を越えて山形県米沢市へ。

土曜日は米沢市のビジネスホテルに1泊の予定でしたからねベル

 

米沢市に着いたのは15時半頃。

僅かな時間を用いて米沢城跡(上杉神社)の散策を行いました。

 

 

米沢市で観光は8年振りかぁ

郡山から喜多方で喜多方ラーメン食べて雪の大峠を越えて米沢市街散策。

 

愛車が2000cc日産ブルーバード号だったから圧雪・凍結道路も平気で走ってましたが、

今の660cc日産軽自動車号ではこんな雪道ドライブは真っ平ゴメンです叫び

 

 

上杉神社の駐車場に停めましたが・・・お祭りらしく参道には屋台が一杯。

賑わってたなぁベル

 

 

内堀を越えて米沢城の本丸へ走る人

広い水堀ですねぇ

 

 

近世米沢藩の中興の祖上杉鷹山公の銅像も多々パー

 

 

明治時代になってからの廃藩置県で米沢城は廃城。

その跡地に1871年(明治四年)になって創建されたのが現在の上杉神社の前身。

 

そもそもは米沢藩の藩祖である上杉謙信公を祀った神社で、

その後になって上杉鷹山と合祀になったそう。

 

知らなかったなぁ・・・

ですから人間が神様になった例ですなグッド!

 

 

合掌(-人-)

拝殿の後ろにある本殿は大正年間の大火で焼失メラメラ

伊藤忠太先生の設計で再建されたそうで・・・見忘れました。

 

 

米沢城は平地(盆地)に建設された完全なる平城。

てっきり江戸時代になってから新たに築城されたと思いきや

最初に築かれ始めたのは13世紀中庸の鎌倉時代とのこと。

 

最上川・堀立川という2つの河川に挟まれて多数の水堀を配した堅牢な「水城」の一種だったか!?

タモリさんをブラタモリで米沢に呼んで散策してもらおうよ。

 

 

招魂碑

そもそもは戊辰戦争(1868年)と西南戦争(1877年)で戦没した米沢藩士を

弔った慰霊碑で1878年(明治十一年)建立。

これは古い石碑だなぁ

 

招魂ってどういう意味なんでしょうねぇはてなマーク

そもそも維新政府が全国の道府県に維新に貢献して亡くなった方々の魂を弔うために

招魂社を創建し、その中でも東京招魂社が現在の靖国神社なったってな塩梅。

 

 

米沢市上杉博物館にも寄り道。

JAF特待で入場料640円。

 

現在の特別展示は「上杉謙信と川中島合戦

上杉謙信は近世大名上杉家の藩祖ですからねぇ

 

でも米沢という土地と上杉謙信には直接的な関係は無いし、

部外者の私的にはちょっと奇異に感じます汗

 

越後国の戦国大名時代の上杉謙信と置賜郡との関係はどうだったのかなぁとも感じます。

当時の米沢城の領主は伊達氏。

 

いわゆる置賜郡に隣接する越後の国人領主群(揚北衆)は謙信の配下であったにしても

いわゆる外様衆で、非常に独立性の高くおいそれとは謙信には従わなかった。

このような状況で謙信的には置賜侵攻はあり得なかったと考えて良いのかな。

 

その後に上杉氏が徳川家康に疎まれ、会津→米沢に転付されると多くの揚北衆は

越後から米沢藩領に移動して近世大名上杉家の家臣団化したってのも面白いところ。

 

 

上杉謙信や上杉鷹山にかんする展示は多いのですが・・・

戊辰戦争における米沢藩の立場や状況も知りたかったなぁひらめき電球

 

「ハト派」と称される上杉藩は周囲を庄内藩・会津藩・長岡藩といった

奥羽越列藩同盟でも最強武闘派になる藩に囲まれ、

どうしようも無い状況に追い込まれ、どうしようも無い結末になったと・・・

 

 

もう夕方ですからタイムアップ。

米沢市街散策は・・・又の機会ですなノシ

 

 

米沢と言えば米沢ラーメンで有名ですがラーメン

福島競馬場で色々食べてお腹一杯で食べられませんでしたあせる

 

 

偶々万世大路道路元標の標識があったので寄り道。

一度、福島⇔米沢間の万世大路を歩いてみたいんですが・・・1日で歩けるのかな得意げ

 

 

ビジホにチャックインする前にスーパーヤマザワで買い出し。

ヤマザワ言うたら山形県ではNo.1のスーパーマ-ケトですけんねビックリマーク

 

 

たいようパンのベタチョコパンが美味しそうだったので購入。

美味しかったぁラブラブ!