台風5号ですがそもそもの予報では東北地方の太平洋岸に沿って
北北西の方向に進む予報だったんです。
それが突如として西に90度転換する進路を取り、
東北地方を太平洋岸→日本海岸へと横断することになりました
これは台風の進路とすれば異例中の異例で
「東北地方を太平洋岸→日本海岸へと横断」する台風は観測史上2例目らしい。
どういうことなんだろう。
おかげで今年のお盆の東北地方は温和な気象予報だったのに
多雨な予報へと急変してしまいました
昨日の福島県は山登りには全く不適な天気
弊アパートに居てもウダウダと酒飲んで折角の祝日が勿体ないことになります。
ってなわけで会津若松市にある猪苗代第一及び第二水力発電所の散策に出かけました。
阿賀野川の支流である日橋川に沿って東から西へと
猪苗代第一・第二・第三水力発電所が並んでいます。
この場所のJR磐越西線は北へ南へと激しくうねっているのが分ります。
猪苗代⇔会津盆地間は標高差約300m。
この急勾配を越えるためにこのような線形になったんですね。
狭隘な地形だったらスイッチバックやループ線ですが、
この場所は開けているのでジグザグに進むことによって緩勾配化を図ったわけで。
で・・・この急勾配を利用して水力発電所が次々と造られたって塩梅です。
昨日朝の磐越自動車道から見た磐梯山
山体は残念ながら完全に雲の中・・・小雨降ってます
こん時に第四水力発電所を見学して、その他の水発も見てみたいと思った訳です。
磐梯河東IC近くの八田ポケットパークに車を駐めて散策開始
旧二本松街道(下道)を通って西へ。
磐梯酒造(株)さん。
寄り道してお酒買いたくなりましたが・・・これから歩くので今回は残念。
JR磐梯町駅。
かつては大寺駅って言ってました。
誰もいない舗装道路をトコトコ歩きます
右手に日橋川が流れていますが・・・・
猪苗代第二発電所の取水堰と取水口があります。
草刈りしてあって見やすい
猪苗代第一発電所に到着。
八田ポケットパークから1時間歩いてしまった
上に高圧鉄管の水路が見えます。
1914年(大正三年)完成とのことですが、
発電所外装はリニューアルされてるようです。
少し上にある膳棚開閉所。
開閉所とはスイッチの事で発電施設の元栓みないなモンですか
水路式水力発電所のキモである高圧鉄管。
美しい
最上部の取入口にはゲートがあるようです。
太い鉄管ですねぇ
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じゃぁこっから第二発電所に向かって歩きます。
随分と登ってきたのに上にも田んぼがあるのが不思議な気もします・・・地形が複雑です。
この道を自家用車で走るのはちょっと不安
なので歩いてきた訳です。
第二水力発電所の導水路。
この辺りはツキノワグマさんがお住まいの場所。
今年の福島県はクマさんの目撃情報が非常に多いんです。
注意しなきゃ
このゲートが高圧鉄管の取水口のようですね。
日橋川の深い峡谷は挟んで向かい側に日曹化学金属(株)さんの工場が見えます。
祝日なのに煙突から煙モクモク・・・営業してるようです。
高圧鉄管。
鋼管とコンクリート構造物。
直線の様式美です
晴れていればもっとインスタバイするのにな
まぁ天気悪いからココに来たわけですが
水路式水力発電所に余水路も付き物です。
増水時に落ちたら絶対に助からないなぁ
猪苗代第二発電所。
1918年(大正七年)完成。
外観的に赤煉瓦を周囲に張付けたRC構造物のようです。
(東京駅を設計した)辰野金吾が設計・監修とのこと。
直線重視のシンメトリーなモダン様式。
素敵
発電所に付帯して開閉所あり
直ぐ下に猪苗代第三発電所の取水堰と取水口も見えます。
この辺りの日橋川は取水口→水力発電所→放水口が連続していることが分ります。
この辺りは日橋川が蛇行し険峻な地形を利用した要害大寺城があった場所。
旧二本松街道下道ににらみを利かせるためですね。
ココは慧日寺を守る西側の要所。
平安時代の会津地方は寺社権門と言うべき慧日寺が統治していたってのが興味深い。
(言うまでもないことですが当時の寺院には沢山の僧兵や寺侍がいて武力を有してた。)
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この辺りは会津五街道の一つ、会津⇔二本松を結ぶ二本松街道(下道)が通っていた場所。
ついでに八田野一里塚も見学。
現在の交通路から完全に外れたからこそ、一里塚が現存しているってわけ。
江戸時代になって幕府が五街道整備の一環として街道沿いに一里塚を設置したのは有名。
それに倣って各藩でも主要街道に一里塚を築いたのですが、
その中でも会津藩は熱心に街道整備した大藩でした。
現在でも会津地方には当時の一里塚が沢山残っています。
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じゃぁ郡山に帰ります
雲が低く垂れ込めています。
折角のお盆休みですが・・・残念です。
監獄部屋、戸崎繁著 みやま書房。
北海道を中心とする悲惨な「タコ部屋」労働システムを描いた著書。
1950年(昭和二十五年)初版なので正にリアルタイムで実地調査出来た時代の名著。
北海道以外の監獄部屋の実態調査として、
真っ先にこの猪苗代水力電気工事の実例が述べられています。
猪苗代第一・第二発電所の工事人夫の多くは東京から募集。
人里離れた「監獄部屋」に収監して暴力支配による労働を強要。
日当85銭~1円(現在の8千500円~1万円程度)なのに
飯代1日60銭(6千円)というとんでもない暴利
徹底した中間搾取によって多くの人夫は解散時にも係わらず一文無しになり、
乞食同然で物乞いしながら東京まで帰ったという記録が残っているようです。
現在も稼働し社会に貢献し続ける猪苗代発電所も
前人達の血と汗と涙の結晶である事を忘れてはいけないんでしょうな。