先日に仕事の合間にJR水郡線川東駅周辺を少しだけ散策しましたが
昭和後期に流行したメゾネットタイプの集合住宅を見てフムフムだったのですが・・・
後になってグーグルマップで検索すると周辺に更に古い公営住宅が残っていてとなりました。
こりゃまた散策しなきゃとね
は国土地理院航空写真Webサイトから参照・加筆させて頂きました。
1975年(昭和五十年)当時の須賀川市小作田字山ノ坊地区。
赤丸で囲んだ箇所に丘陵を切り開いた住宅街がハッキリ認められます。
2015年(平成二十七年)の航空写真。
40年を経ても多くの住宅はそのまま残されていることが確認されます
東京都八王子のUR都市機構「集合住宅歴史館」に行った事もあります
旧住宅公団の集合住宅(いわゆる「団地」)の元祖は東京の同潤会アパートという説明でした。
しかし狭い敷地にお金を掛けた同潤会アパートに対して
郊外の敷地に木造平屋建てが公営住宅として多く建てられました。
それまでのスラム街(貧民窟)と峻別した「改良住宅」は画期的であり
昭和中期(昭和20~30年代)に多く建築されました。
その痕跡が現在でも日本各地に残っているわけで、
私の散策趣味が疼くわけなのであります
JR水郡線川東駅駅前広場に車を駐めて散策開始
駅前通り。
昭和前期~中期頃はさぞかし賑わっていたんだろうなぁ
公営住宅山ノ坊団地配置図。
相当に古い案内板だと察しますがステンレス製なので錆びませんね
山ノ坊に向かって坂道を登っていきます。
周囲には廃屋が多いです。
人が去った住宅はアッという間に朽ちていきます。
お~・・・典型的な昭和中期の公営住宅(当時の団地)
私は東京都練馬区で生まれ育ちましたが当時の練馬は純然たる農村農園地帯であり
その中でも西武鉄道(株)池袋線の駅前にはこのような公営住宅が沢山ありました
私が幼き頃に見た風景を思い出して涙ぐんでしまいました
ベランダ状の縁側がある日本家屋。
コンパクトにまとめられていて庭もあります。
このような住宅に住むのが夢でしたねぇ
東京ではこのような環境で住むには贅沢すぎますね。
どうやらガスボンベがあるのが人が住んでいる住宅で
ガスボンベがないのは空き屋のようです。
この先にも公営住宅があったはずですが取り壊されたようです
あ~・・・トイレは汲み取り式ですね。
風で回るベンチレーターも良い味を出しています。
しかしつい最近まで人糞は野菜を栽培する肥料として極めて貴重な存在でした。
汲み取り式便所は理に適っているんです。
私も人糞を入れた肥桶を積んだ大八車を見た記憶が微かに残っています。
昭和四十年代の練馬はまだ田舎でした。
木造家屋よりも二世代進んだメゾネットタイプの公営住宅。
パラボラアンテナあるし人が住んでいるようです。
バリアフリーという概念が無かった頃の容赦ない階段
良い味出してる住宅街ですが、人の雰囲気がないのがねぇ・・・
この住宅地域のかつての商店も廃屋化しています。
この住宅は縁側をバルコニーに改良していますね。
今風のナウいライフスタイルなのであります
田舎暮らしも憧れますが・・・
老齢となり体力が衰えると田舎で余生を送るのは難しくなるのも分ります。
草刈りも大変な労力ですから。
手前側から木造→ブロック積み→RC構造へと進化していく住宅群
このような公営住宅はかなり安価な家賃で住めるようです。
どうでしょうか
南側が段丘になっているので冬至近くなると2階でも陽が当たらないようです・・・
う~ん・・・であります。
川東駅に戻ってきました。
散策の楽しさを久し振りに感じた1時間でした。
いわき市在住時代に好間の炭鉱住宅をちょっと散策しましたが、
いわゆる「廃墟の美学」を感じるんです。