江戸東京たてもの園に行く・・・の巻 | 乾パンのブログ

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1月4日は小金井市都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園に行ってきました走る人

 

 

E電東小金井駅か、西武鉄道花小金井駅から、歩くしかない場所にある小金井公園。

便利なようで少々不便な場所にあります。

 

 

園内には近世~近代~昭和期にかけての住宅を主にした歴史的建築物を移設展示している。

この辺りは微かに武蔵野の面影が残っているのであります。

国木田独歩先生の世界ラブラブ

 

 

板橋区常盤台にあった常盤台写真場。

1937年(昭和十二年)建築。

建物角部が曲線を描いているアールデコ様式じゃん!!

 

 

写真場は2階に設置されていたとのこと。

自然光を最大限に生かした構造である。

素晴らしいドキドキ

 

 

 

田園調布にあった大川さん家。

1925年(大正十四年)建築。

 

 

鉄道省の土木技師だった大川さんという方が建てた家。

当時の新興階級であったプチブルジョワジー(サラリーマン)はこんな「豪宅」に住んでいたんかビックリマーク

 

 

キッチン。

冷蔵庫もあり。

 

 

風呂場。

超モダン音譜

見学していた女性方は「こんな家に住んでみたいわぁ~」との声がしきりに聞こえてきました。

 

 

 

こちらは建築家前川國男先生の住宅。

なんと1942年(昭和十七年)建築。

 

 

窓が非常に大きくて明るい室内。

戦時中とは思えない構造である。 

 

 

キッチンも白で統一されていて明るい。

 

 

何と風呂と洋式便所が一体化したユニットバス様式。

75年前に作られたとは考えられないなぁ

 

 

 

三井財閥の本家の方のお家。

豪宅です。

 

 

奥方様のお部屋ですが・・・畳にベットですかにひひ

 

但し私はこのような「特権的ブルジョワジー」の住宅ではなくて、

当時の普通の労働者階級の住んでいた住宅の姿が知りたいんだけどね。

 

私は紀田順一郎の「東京の下層社会」や横山源之助の「最暗黒の東京」を貪り読んだことがあって、

明治~関東大震災期のスラム街における凄惨な住宅事情について興味があります。

なかなかこのよう近代日本の「恥部」は記録に残らないし、形として残らないんだよなぁ

 

 

で、近世の住宅のコーナーチョキ

 

 

八王子千人同心の組頭の住宅。

同心ってTVドラマ「隠密同心」とかのイメージで武士階級と思えてしまいますが、

実際は「足軽」と同義であり、半士半農的な立場だったようです。

 

 

土間のある住宅って関東や東北地方ではお馴染みです。

でも冬はさぞかし寒かっただろうなぁカゼ

 

 

東京下町の近代建築のコーナーパー

 

 

木造住宅の「顔」に銅板を張った、いわゆる看板建築ってヤツ。

 

 

私は学校が神田駿河台にあったので、神田神保町の古本屋街にも足繁く通いましたが・・・

靖国通りにもすずらん通りにもこのような看板建築が沢山ありました。

今ではみんな解体新築されてしまいましたがハートブレイク

 

 

このような長屋も沢山ありました。

2階もある、いわゆるメゾネット様式なんですよね。

 

 

乾物屋さん。

 

 

このようなたばこ屋さんは今では見かけませんモンね。

昔はこのようなたばこ屋さんでタバコを買っていました。

 

 

いわゆる銭湯。

 

 

脱衣場。

籐製の脱衣かごもお馴染みだったよなぁ

 

 

番台。

女湯丸見えで憧れました恋の矢

 

 

そうそう・・・湯槽も深いのとか、水風呂とか、熱いのとか、分かれていました。

懐かしいなぁ音譜

 

 

都電7500形。

新造時はこんな顔だったんだな。

私は車体更新後の7500形しか知らなかったもんでね。

 

ここで紹介したのは園内の極一部あせる

まともに見ようと思ったら丸1日掛ります。

 

東京にお住まいの方は是が非でも江戸東京たてもの園に行くべきだと思います。

昭和の時代に記憶の残っている情景がそこにありますモンべーっだ!

 

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小金井公園の南側には玉川用水が明渠として保存されています。

国木田先生もこの辺りを散策されたに違いねぇ

 

 

玉川用水はU字状に穿かれた人工的な用水路です。

よって用水に転落すると、ほぼ確実に溺死したそうです叫び

 

太宰治がその愛人さんと玉川用水に飛び込んで入水自殺したのは・・・三鷹辺りだったっけはてなマーク

その愛人さんは遺書を太宰の本妻さんに送りつけてから心中したそうで、

ドロドロした人間関係だったようですドクロ