八高線の二つの慰霊碑・・・の巻 | 乾パンのブログ

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この前は久しぶりにJR八高線に乗りました。

八王子と高崎を結ぶ八高線は、東京から最も近い国鉄の非電化ローカル線として有名でした。

 

私の知っている八高線は・・・キハ35形天国だったなぁドキドキ

外吊り式両開き片側3扉ロングシート気動車というかなり特殊な様式だったのですが・・・

 

通勤用ロングシートが災いして小学生だった私は毛嫌いしていました。

時折増結されるキハ20形とかのクロスシートの方を好んで乗っていた思い出がありますビックリマーク

 

今では八王子~高麗川間を電化して川越線直通運転をしているようです。

川越線も昔は完全非電化で純然たるローカル線でしたなぁ

今では埼京線が川越まで乗入・・・う~んあせる

 

 

八王子駅での205系。

平成初期におけるE電の主力でしたなぁ

山手線における片側6扉無座席車(折りたたみ席)とかも今では思い出です。

 

 

八高線と言えば・・・昭和二十年代の戦後混乱期に二つの重大事故を起こしたことでも有名でして。

現在でも僅かに痕跡が残っておりまして・・・今回はその散策に出かけました。

 

 

多摩川の八高線鉄橋。

左岸昭島市側にある多摩川緑地くじら運動公園ってとこ。

 

 

堤防に錆びた鉄輪がモニュメントとして残されています。

 

 

「八高線列車衝突事故」の説明板もあります。

 

1945年(昭和二十年)8月24日、すなわち終戦から9日目の出来事。

豪雨で増水した多摩川鉄橋の中央で蒸気機関車が牽引する旅客列車が正面衝突。

 
大正時代に作製された木造客車は正面からの衝撃に脆く、
この事故でも完全に粉砕されて跡形も無くなるという惨事。
 
死者105人、重軽傷者67名という大惨事。
但し、増水した多摩川に落下しそのまま流された犠牲者も多数目撃されていて、
正確な犠牲者は未詳。
何せ、終戦から9日後の出来事で日本も混乱していたんでね。
 
 
衝突した車両は多摩川に突き落として、八高線を復旧させたそう。
多摩川に落ちた車両はその後回収されましたが、
その残骸はかなり最近まで鉄橋周辺に放置されていて・・・この車輪類もその一つのようです。
 

 

綺麗なガーター橋ですね。

でも事故が起こっても逃げ場はないなぁ叫び

 

 

この写真の真ん中付近で二つの車両は正面衝突したらしい。

 

列車同士の正面衝突と言えば1991年の信楽高原鉄道を直ぐに思い出します。

共通する点は閉塞システムの不具合において実施された代用閉塞(指導式)が破綻したこと。

人間って慌てるとツイウッカリ・・・ってことがあるんですよねぇ。

 

 

 

で・・・八高線に乗って高麗川駅へ。

東京の通勤圏になるのかなはてなマーク

ローカル色漂う駅舎パー

 

 

八高線も高麗川駅以北は非電化。

川越線に直通する109系と高崎へ向かうキハ110系。 

 

 

高麗川駅から線路に沿って1km位の場所。

「稲荷ガード」なるボックスカルバートも開業当時そのままのコンクリートですかね。

 

 

その脇に「八高線事故慰霊碑」があります。

1947年(昭和二十二年)に高麗川の段丘崖を駆け下りる旅客列車がこの左カーブを曲がりきれず、

客車4両が脱線転覆粉砕。

 

 

この畑に投げ出されたそうで・・・

この事故も木造客車の上に、客車の屋根まで乗客が乗っている超満員だったそう。

 

 

死者184名重軽傷者495名は、この時に少し述べた大阪西成線ガソリンカー脱線転覆事件に次ぐ

鉄道重大事故となっとります。

(国鉄としての最大の事故は洞爺丸台風事件ですけどね。)

 

事故としての分類は2005年(平成17年)の福知山線脱線と同型なのですが・・・

福知山事故でもマンションの1階に突入し真っ正面から内壁に激突した1両目よりも(運転士は死亡)

マンションの角部と3両目に挟まれ、くの字状に圧壊された2両目の方が大量の死者を生じました。

 

車両は側面の衝撃には脆いですからねぇ

脱線転覆、側面からの衝突事故は重大事故になりますから怖いです。