大阪歴史博物館に行く・・・の巻 | 乾パンのブログ

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この前に宝塚大劇場遠征に行った時ですが・・・

 

 

 

帰りがてら、大阪市営地下鉄谷町四丁目駅前にある大阪歴史博物館に寄り道してきました

 

 

 この博物館は難波宮の上に建っており、発掘現場を観察することが出来ます。

 

 

大阪の歴史を、

古代、中世~近世、近代に分けて分かりやすく展示してあります。

GJクラッカー

 

 

 いわゆる難波宮の官人たちのリアルなフィギュア。

 

 

 

女官の皆さん。

 

 

 貴族官僚の方々。

 

 

当時の貴族は短靴を履いていたんですねぇ

なお宝塚歌劇の古代日本物でお馴染みのロングブーツはまだこの時代にはありませんでした

 

 

 

中世大坂の展示。

 

 

 淀川河口域にあった安治川橋の模型。

 

 

 江戸期の繁華街だった船場の情景。

 

 

角の芝居と称されていた道頓堀角座。

 

 

 よく出来てるなぁ

 

 

 

近代大坂の商店街。

 

 

 魚屋さん。

 

  

八百屋さん。

今は魚も野菜もスーパーで買う時代ですが、こんなお店もまだまだあります。

 

 

 

日の本タビの広告。

 

 

 

近代の道頓堀角座のようです。

 

 

 

昭和初期のショーウィンドウ。

良いですねぇ

 

 

 

 博物館から大阪城が丸見えです。

かつては大坂本願寺(石山本願寺)があった場所。

 

戦国期の浄土真宗本願寺勢力は機内に強大な武装集団を形成していて

反織田信長の急先鋒だったのは有名。

 

大坂本願寺は最終的には信長に屈服し信徒たちは退去したものの、難攻不落だったの確か。

秀吉がこの大坂本願寺の地に大阪城を築いたのも当然とも言えます。

 

で南側を向くと・・・

 

 

 

難波宮跡が保存されています。

ビル街に囲まれた緑の空間。

難波宮は孝徳天皇(軽皇子)が造営して遷都した都ですが・・・

 

その後、孝德の姉である宝皇女(皇極・斉明天皇)、甥姪の中大兄皇子、間人皇女、大海人皇子、

宮廷の豪族・臣下までが孝德を見捨てて飛鳥に帰ってしまうという非常事態に陥ります。

(孝德天皇が孤立してしまった理由はなにかあったんだろうけど不詳)

 

特に間人皇女は孝德天皇の姪であり皇后でもありましたし、如何にショックを受けたか・・・

孝德天皇の間人皇后に対する「恨み節」を詠んだ歌が日本書紀に残っています。

 

一説によると間人皇后と中大兄皇子の不倫(同母兄妹なので当時でも最大級のタブー)を

伺わせる歌との見解もありますが、考え過ぎとの説もあり。

 

その後・・・程なくして孝德天皇はひとりぼっちの難波宮において悶死。

そして孝德天皇の息子があの有間皇子ですから。

いよいよ恵まれない親子だなぁと思いますね。

 

と・・・思いつつ、難波宮を眺めるのも良いモンです

まぁ河内王朝の是非とか、大阪のミナミは日本古代史において謎は多いんですけどね。