写真は紅葉葵(もみじあおい)。
モミジアオイ別名=紅蜀葵。夏の季語。
日本渡来以来の歴史は浅いようですが、この花の端正な印象が強いせいか、古い顔なじみの花に思えます。
モミジアオイの花言葉は「穏やかさ」「優しさ」だそうです。
爺は現在のところ自在に歩き回ることができないので、山の神殿に頼み込んで、書斎の窓下の置いています。
大型の端正な花ながら、「花の命」は朝から夕べまでです。
難しいことは分からないのですが「般若心経」の「色即是空」「空即是色」とは、この花のことではあるまいか、と思うのです。
浅はかな浮き世との関わりをどうしても絶てない、爺などは「物欲」「色欲」の権化ではないかと、時には反省するのですがね。
金!何より欲しい!
食欲!この意地汚さ!
色欲!救いのない欲ボケ爺!
などと、今朝も書斎の窓からモミジアオイを見ながら、我が身を責めたものです。
でもね、ものは考えようですよ。
このような生きるための「こだわり」や「汚さ」が我が生きる力になっているのかもしれない。
我が命は掛け替えのない我が命。
「あんな者は生きる意味などない」などと、勝手に他人に決めて欲しくないですね。
駄句1句。
紅蜀葵(こうしょっき)折るが如きの花赤し
腰折れ1首。
炎天下紅葉葵(もみじあおい)の花いや赤し一日なれど懸命に咲く