紅葉葵はなぜ赤い | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


紅葉葵

写真は紅葉葵(もみじあおい)。

モミジアオイ別名=紅蜀葵。夏の季語。
日本渡来以来の歴史は浅いようですが、この花の端正な印象が強いせいか、古い顔なじみの花に思えます。

モミジアオイの花言葉は「穏やかさ」「優しさ」だそうです。
爺は現在のところ自在に歩き回ることができないので、山の神殿に頼み込んで、書斎の窓下の置いています。
大型の端正な花ながら、「花の命」は朝から夕べまでです。

難しいことは分からないのですが「般若心経」の「色即是空」「空即是色」とは、この花のことではあるまいか、と思うのです。
浅はかな浮き世との関わりをどうしても絶てない、爺などは「物欲」「色欲」の権化ではないかと、時には反省するのですがね。

金!何より欲しい!
食欲!この意地汚さ!
色欲!救いのない欲ボケ爺!

などと、今朝も書斎の窓からモミジアオイを見ながら、我が身を責めたものです。
でもね、ものは考えようですよ。
このような生きるための「こだわり」や「汚さ」が我が生きる力になっているのかもしれない。

我が命は掛け替えのない我が命。
「あんな者は生きる意味などない」などと、勝手に他人に決めて欲しくないですね。



駄句1句。
紅蜀葵(こうしょっき)折るが如きの花赤し

腰折れ1首。
炎天下紅葉葵(もみじあおい)の花いや赤し一日なれど懸命に咲く