写真は山モミジ。
「モミジのようなモミジの手」と写真に題を添えました。
山頂に雪を頂く恵那山を訪ねたのは4年前のこと。
葉山嘉樹(はやまよしき)の短編「セメント樽の中の手紙」を読んで、以前から恵那山と恵那峡のことは気になっていました。
ぼんやりとながら、恵那山、恵那峡には人の生死が関わるもののようだ、と思っていたのです。
4年前、早朝の電話は遠くに住む孫のピロ君からのものでした。
「ジイジ、あのね。ノミちゃんいなくなったの」
「え?何?ノミちゃんがどうした!」
「あのね、ノミちゃんね、さっき病院から帰ってきたの。ボク、ノミちゃんの顔を見たらノミちゃん笑っていたよ」
ピロ君の妹、ノミちゃんが7ヶ月の早産で亡くなったことを、懸命に伝える電話でした。
こみあげる嗚咽で言葉にならない母親を、むしろ励ますように明瞭なピロ君の幼い言葉でした。
それから半年の後、ふと思い立って「恵那山」を訪れたのです。
昔ムカシ、イザナミの神は山頂で出産し、嬰児をくるんでいたエナをその場に埋めた。
人々はその山をエナ山(恵那山)と呼ぶようになった。
他人に語ったとて、どうにもならない「ノミちゃん」とピロ君たちの悲しみを忘れ去るほど神々しい恵那山でした。
恵那山から流れ出る雪融け水の傍らに、タネをたくさん山モミジが立っていました。
写真の山モミジは、この時のものです。
モミジのようなモミジの手!
駄句5句。
山紅葉夏の気配に葉を二枚
山紅葉流れ流れて我が宿に
恵那山に芽吹き賑やか山紅葉
掌(て)に乗せて命の重さや山紅葉
ふと折るることもや山紅葉
腰折れ1首。
恵那岳の白雪景色の神々しさ命育む霊峰とみる