写真は造成地のポピー 。
ポピー、とだけ聞けばポパイの親戚ではあるまいかと思いますよね。
怪力のポパイとは全く対極にあるポピーは可憐であります。
ポピー、別名は雛芥子(ひなげし)、虞美人草(ぐびじんそう)。
ポピーの可憐さにとらわれて、ついみのがしてしまいますが、ポピーほど環境適応力のある草花は珍しいですよ。
季節を問わず、国道の路側帯にひょろひょろ立つ花姿は、内面の強さを表現しているのではないかな。
意図的な植栽に頼らず、朱色、白色の花を咲かせるポピーに、意志薄弱な難聴ボケ爺などは連帯の拍手をおくりたくなるのです。
昨日は午後から雨模様となりました。
連休終盤に(終盤も醜犯も、無職の爺には関わりはございませんが)有終の美、と言うではありませんか。
終わり良ければ全てよし、とも。
本格的降雨前に、とカメラ片手に外出せん、と相成ったのです。
道路沿いに「一里塚」の趣きで立つ、桐の花の優雅なこと。
薄紫の花穂が「五七の形」で枝一杯に咲いています。
あふちの木(センダン)も桐に負けない花が満開。
村はずれのコンビニに車を留めたのですが、新規開店のコンビニは、駐車場がまだ完成には至っていないらしく、建築廃材の瓦礫や、基礎工事用の割り栗(石コロ)が仮積みされていました。
それらの瓦礫の間から思いがけない草花が、咲いていました。
特に目を引いたのが野生のポピー。
朱色、白色のポピーが、雨含みの重い風を受けたよりなげに揺れていたのです。
刹那、前後の脈絡も何もなく、白花ポピーの花言葉が粗脳に浮かびました。
「忘却」!
昔ムカシ、毎夕ラジオに流れる女性向けの連続悲恋物語がありまして、この時間の銭湯女湯には人影がなかった、とか。
放送の冒頭「忘却とは、忘れ去ることなり」という深刻なナレーションがあった、と記憶しています。
世の女性の若きもさらずも、涙を拭う放送に、思春期の悪たれ坊主どもは皆重々しいナレーションを真似てふざけたものでした。
「忘却とは、思い出せないことなり」
「忘却とは、宿題忘れのことなり」
ボケ爺は、白花ポピーを見ながらさようなことを「思い出して」いました。
駄句5句。
土くれに一輪朱の虞美人草
雛罌粟(ひなげし)の割り栗除けて朱一輪
造成地花残土の壁にポピーかな
発掘の遺跡の真中ポピー咲く
雛罌粟(ひなげし)は残土の中で童唄
腰折れ1首。
割り栗の投げ捨てたる土くれに白雛罌粟(ひなげし)の優しかりけり