写真は芽ぐむ落葉松(からまつ)。
松は皆落葉しない、という先入観のゆえか、落葉松は、秋になると何ごとか面白くないことがあった人のように問答無用と葉をふるう気がします。
気の優しい爺は、葉の落ちた落葉松をおろおろながめ、何度も枝を矯めて命の繋がりを確かめ、つい見当違いの詫び言を述べるのです。
落葉松だから落葉するのは当然。
それにしても落葉の仕方が唐突だったな、管理に手抜きがあったのかな。
来春は陽当たりの上等な場所に置こう。
かように理屈もなく気を揉む爺なのですから、春の到来を今や遅し、と待ち構えて新芽を吹き、「蘇生」した落葉松を発見した喜びようは尋常ではないのです。
世に「祝い酒」なるものがあって、かかる慶事には道行く人々をも招じ入れ、一献酌み交わすことこそ篤実な人格者の採るべき道ではないだろうか。
爺はさよう考えた次第であります。
爺は喜色を満面に浮かべ、その具体策を家人に提案致したのです。
婆は剣もホロロ、爺は涙がポロロ。
家人は一言、
「ばかじゃないの」
爺は半句、
「いけないかねえ」
家人はシメのご託宣、
「善悪じゃないよ。アンタは禁酒の身。道行く人は他人の身。なんで訳の分からないアンタの酒を飲むかね。ばかじゃないの」
雑俳5句。
落葉松の芽ぐむ季節や人優し
落葉松の芽出し惜しまず梢葺く
落葉松の色変へたり春の雨
春時雨落葉松蘇生祝ふやう
春の日に落葉松長きシルエット
腰折れ1首。
春の日に落葉松長きシルエット新芽を吹いて我が生の時