写真は野蒜(のびる)。
爺の子供時分の「若菜摘み」はセリ・ナズナではありませんでした。
セリ・ナズナは容易に採集できるけれども、ゴギョウ・ハコベラはねえ、野に生えるどの草がそうなのか、見当がつかなかったのですよ。
まして、スズナ・スズシロがやたら野に顔を出すとは思えなかった。
よほど暖かくなるとワラビ・ゼンマイが伸びだし、これならヤツガレなどの愚鈍な子供にも識別ができました。
「若菜摘み」は春まだ浅き、寒風吹く頃の行事です。
新聞紙で包んだ握り飯を食い食い、母や祖母に親に纏わり付き、母の提げる蔓籠が「若菜」で満たされるのを見ると、幸福な気分になれたものです。
「これは何?」
母の蔓籠の中のネギに似た葉物が気になって尋ねると、
「あ、これはノビル」
と簡単な答え。
手に取ると強いネギの匂い。
不明瞭ながら、ところどころ思い出す、「若菜摘み」の記憶です。
「ノビル」という妙な名前の山菜を覚えたのはその頃でした。
以来忘れていた「ノビル」に再会したのは、10年前。
娘一家が新居を構え、爺は頼まれもしない新居の庭作りにシャシャリ出たのですが、狭い5坪ほどの庭の、芝生に生える懐かしい「ノビル」を見つけたのです。
芝生の土に紛れていたのですね。
「ノビル」の間には「ネジバナ」が!
新居の庭で「若菜摘み」と「野草栽培」。
趣味と実益をくすぐる珍事出来でした。
昔ムカシ、ヤマトタケルノミコトは、父天皇に命じられた「東征」の旅の途中に、足柄山で白鹿に化けた地の神を「蒜(ひる)」で叩いて退散させた、と言われています。
「蒜」とは「ノビル」でありましょう。
野生ネギのノビルで退治される神の弱さは何としたことだろう。
あ、そうそう。ヤツガレも小学生時分に算数が不得手で、担任教師殿から、
「こんなものもできないのか。豆腐の角で頭割って死んでしまえ!」
と叱咤されたことが何度もあります。
さすれば、爺と神とは同格なのでござろう。
雑俳5句。
野蒜摘む川原の土手の忘られず
野蒜摘み亡母の提げし木通籠(あけびかご)
野遊びや野蒜の花の香りして
思ひ出は野蒜の花もおぼろなり
懐かしや野蒜そっと噛んでみる
腰折れ1首。
野蒜摘み母に纏はる幼子の思ひ出おぼろ春の野の夢