♪カヤの木山のカヤの木は | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


カヤノキ

写真は社の庭の榧。

昨年晩秋のこと、普段の不摂生がたたり、愚老は救急車で搬送される失態にたちいたりました。
救急車の車内ではもう一人の自分が、冷静に我を見ていたのです。
「もう駄目かな、たぶんもういかんだろう。考えてみればずいぶんし残したことがあるなあ」

ふと気づくと、病室のベッドの中。周囲には親族の顔が並んでいましたね。
あ、生き返ったのか、ああ、助かったのか。
そう思う頭の隅に「榧の実」を考えていたのですね。
深草の少将「百夜通い」の伝えがある、京都善願寺で授与された「榧の実」入りのお守りなど。

かような時に命をお救いいただいた善願寺の「お守り」に感謝すると同時に、ボケ爺は「榧の実」に関わる別のことも連想していたのですよ。

それは、3代目三遊亭金馬口演の落語「孝行糖」。
親孝行の善行を、町奉行に誉められ、商売をするように金子もいただくのでが、町役人や住人一同の計らいで、与太郎は「飴売り」の行商をすることになりました。屋号は「孝行糖」。
黙って立っていても商売にはならないと、世話人たちから重々教えられたのですね。与太郎は教えられた売り声を大声で復唱して歩くのです。
この売り声が警戒厳重な「水戸藩邸」門番に咎められる。

さて、ここで救急車で搬送された病床の爺は、売り声の文句はどうであったか、ハタと思い悩むのです。

「♪孝行糖、孝行糖~。孝行糖の本来はうるの小米の寒晒し、かや~にぎんな、ニキにちょ~じ。チャンチキチ スケテンテン」

売り言葉は、「孝行糖」の製造方法について述べられているらしい。
「飴の原料はうるち米のクズを寒中にさらしたもの、そこに榧の実と銀杏の実を交ぜ、肉桂(ニッキ、クスノキ科の木、シナモンの原料)と丁字(フトモモ科の木、香料)が隠し味だよ」
という意味でしょう。
さてこの売り言葉の中の「榧の実」が爺の粗脳に焼き付いていたのです。

救急車搬送の事態が、京都善願寺の「榧の実」を思わせ、3代目三遊亭金馬の「孝行糖」への連想へ繋がったのです。

今朝は「榧の実」の連想で、落語と寄席の句作と致します。

駄句5句。
初寄席は提灯だけの揺れた頃
初寄席を肩越しに見し昭和かな
初寄席に噺家の酒匂ひし頃
大雪の予報聞く子の早寝かな
明日の雪此処までかなと長靴の子

腰折れ1首。
初寄席に文楽志ん生居並びて口上述べし昭和も昔