写真は山茶花とミイちゃん。
冷えますねえ。
これでこそクリスマスですよ。
物資欠乏の子供時代に、一度だけサンタクロース様が貧しき我が家に降臨されたことがあります。
今は昔、24日の夕刻から二十歳になったばかりの叔母が、我が家を訪れてなぜだかそわそわしていまして、普段と違う空気を感じていました。
叔母の厳命は、
「みんな早く寝ろ。枕元にそれぞれ靴下を置いておくこと」
でありました。
ところで、太平洋戦争の敗戦の記憶がまだ鮮烈なその頃、どこの家庭の洟垂れどもにも「靴下をはく習慣」などはありません。靴下どころか、登校下校にも運動靴などの洒落たものは見かけなかったですね。素足にゴムの草履が張り付いていました。
登校後も「上履き」なしの、素足。吹きさらしの渡廊下は極寒地への連絡通路、今でも時々板張りが冷たかった切ない思い出が蘇ります。
さてクリスマス。
叔母の[嬉しい]厳命を奉じて、辛うじて子供6人が枕元に置いたのは、靴下ならぬ洗いざらしの古い大人の足袋が、片方ずつ6個。コハゼなどは情けなくとれかかっていましたな。
裸電球の仄かな灯りに照らされる両親、若い叔母の滅多にない華やいだ会話を嬉しく聞きながら、あかぎれ坊主らはいつの間にか寝入ったのですね。
翌朝、なんと!かたかたの6個の足袋には、1個ずつの森永キャラメルが入っていたのです。
6人の洟垂れは小躍りして喜びましたよ。
あれから、半世紀。
爺は歳月の流れを複雑な感情で思います。
当時、二十歳の叔母は薄給をヤリクリして「森永キャラメル」を奮発し、食べることに餓えた甥姪を狂気させたのですね。
顧みて、馬齢を重ねたこの爺が、孫の衆を涙を流さんばかりに乱舞させることが、一度でもあったろうか。
爺は胸底に、素直に育った孫の衆への激励思いと、わずかな過去の痛みを思うのです。
駄句5句。
鳥と人と分け合ふて食ふ林檎かな
木守林檎半分齧られて下がり居る
山茶花は孫に握られ花占に
はらはらと八重の山茶花風に舞ふ
山茶花は孫の手中に落ち居たり
腰折れ1首。
来る来ない八重の山茶花握る子の頬柔らかに冬の陽照らす