写真は山辣韮の花(やまらっきょう)。
「名もなく貧しく美しく」
これは戦後まもなく作られた名作映画です。
物資欠乏の時代背景がありました。
「貧しさ」は特別なことではなく、日本全体の問題でした。
貧しさに打ち負かされることなく、誇らかに懸命に生きる人の姿が描かれていて、多くの人たちに感動を与えたものでした。
酒飲みのぐうたら古稀爺となった小生ではありますが、この映画の題名がふと過ぎることがあるのです。
「名もなく貧しく美しく」
秋の夜長にいつまでも愚図愚図徳利を転がし、殊勝に我が半生を振り返ることもあるのです。
「『名もなく貧しく美しく』か、うんうんあったあった、そんな映画が」
「名もなく貧しく小汚い」爺はかように昔ムカシを振り返るのです。
「山辣韮(やまらっきょう)の花」は美しい。
写真の山辣韮が何時の頃から我が家に住み着いたのか、定かではないのですが、秋深まる頃に懸命に穂を上げて、紫色の花を咲かせるのです。
我も人もこの世に生きるもの。
取るに足りない存在ながら、生きるが定めなら、どうか精一杯に命を主張したい。
我が花を見よ!
我が命を見よ!
なあんてね、山辣韮がさようなことを言うはずがないじゃあ~りませんか。
酒の酔いが回った爺が鉢を手に持ち、さように思うだけであります。
そういえば、あの盆栽爺め、
「山辣韮は酢味噌で食うのが美味い、とぬかしたな。どうせお前なぞ山辣韮もネコジャラシも味は同じだろう。お前はジャマダッチョ」
呂律も回らず、爺はバタンキュウ。
駄句5句と愚歌2首。
山間(やまあい)の辣韮の花蕾なり
山に生ふ辣韮の花垢抜けて
行く秋を惜しみ木犀匂ひたつ
夕暮れも彼方明るき秋桜(あきざくら)
山茶花を手折る子叱り花を待つ
手に持ちし山の辣韮垢抜けて安鉢なれど気高く見けり
段菊の一段一段楷書咲き秋の風吹く今盛りなり