山に生ふ辣韮の花垢抜けて | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。





山辣韮14/10/2

写真は山辣韮の花(やまらっきょう)。

「名もなく貧しく美しく」
これは戦後まもなく作られた名作映画です。
物資欠乏の時代背景がありました。
「貧しさ」は特別なことではなく、日本全体の問題でした。
貧しさに打ち負かされることなく、誇らかに懸命に生きる人の姿が描かれていて、多くの人たちに感動を与えたものでした。

酒飲みのぐうたら古稀爺となった小生ではありますが、この映画の題名がふと過ぎることがあるのです。

「名もなく貧しく美しく」
秋の夜長にいつまでも愚図愚図徳利を転がし、殊勝に我が半生を振り返ることもあるのです。
「『名もなく貧しく美しく』か、うんうんあったあった、そんな映画が」

「名もなく貧しく小汚い」爺はかように昔ムカシを振り返るのです。
「山辣韮(やまらっきょう)の花」は美しい。
写真の山辣韮が何時の頃から我が家に住み着いたのか、定かではないのですが、秋深まる頃に懸命に穂を上げて、紫色の花を咲かせるのです。

我も人もこの世に生きるもの。
取るに足りない存在ながら、生きるが定めなら、どうか精一杯に命を主張したい。
我が花を見よ!
我が命を見よ!

なあんてね、山辣韮がさようなことを言うはずがないじゃあ~りませんか。
酒の酔いが回った爺が鉢を手に持ち、さように思うだけであります。
そういえば、あの盆栽爺め、
「山辣韮は酢味噌で食うのが美味い、とぬかしたな。どうせお前なぞ山辣韮もネコジャラシも味は同じだろう。お前はジャマダッチョ」

呂律も回らず、爺はバタンキュウ。

駄句5句と愚歌2首。


山間(やまあい)の辣韮の花蕾なり
山に生ふ辣韮の花垢抜けて
行く秋を惜しみ木犀匂ひたつ
夕暮れも彼方明るき秋桜(あきざくら)
山茶花を手折る子叱り花を待つ

手に持ちし山の辣韮垢抜けて安鉢なれど気高く見けり
段菊の一段一段楷書咲き秋の風吹く今盛りなり